山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

#地震発生から198日目「自閉症の子を持つ母がまた災害来たらと悩む」

2011年09月24日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から198日目(9月24日、土曜日)。
 また、大震災発生から198日目の新しい朝を迎えた。

 自閉症の子をもつ親が、あの大震災後、また再び大震災が起こったらこの子は助かるだろうかと心配している。
 特に、こだわりが強い子は、今まで以上にそのこだわりが顕著になっている。そうした事例について、毎日新聞(2011.9.23)が次のように伝えている。

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【引用始め】

http://v.go-iwate.org/?p=7036
毎日新聞 9月23日より

自閉症の子、悩む母 「また災害来たら…」  投稿日: 2011年9月22日

「津波てんでんこ」(津波が来る時は各自てんでんばらばらに逃げろ)という言い伝えが残る三陸地方で、自閉症の子を持つ親が思い悩んでいる。再び大震災が起きたら、この子はどうなるのか。岩手県一関市の松本倫流(みちる)君(17)の母親は言う。「助ける側に余裕がなければ、ミッチは助からないかもしれません」

 倫流君は初めて1人でバス通学をしていた時、大地震に襲われた。大学院生の姉が気付かれないよう同乗していたが、倫流君は大きく揺れるバス内で顔面蒼白(そうはく)になり、立ち尽くしていた。

 倫流君は散らかっていたり、バラバラなものがあると、すぐ片付けないと気が済まない。できないと不安になり、落ち着きをなくしてしまう時がある。

 大地震が収まり帰宅したが、リビングは割れた食器やガラスが散乱し、足の踏み場もなかった。「お片付けします」。倫流君は素手で割れた食器をゴミ袋に入れ始めた。電気や水道がストップしていることを知ると、電話帳を母親に見せ「電気屋さんが明日来ます」「水道屋さんが明日来ます」と繰り返した。電気や水道を早く復旧させなければ、という思いからの行動だ。

 父親は単身赴任中で、一家は姉を含め3人。地元に避難所もできたが、行けば周りに迷惑をかけるし、倫流君のストレスにもなる。3人はリビングで毛布にくるまって寝た。

 4月上旬も深夜に強い余震が発生。家の壁にひびが入り、再び家具や生活用品が散乱した。倫流君は早朝に起き出し、食事も忘れて片付けに没頭した。

 以来、倫流君は震度1の地震でも起きるようになってしまった。風で家の窓が鳴っても「おかあさん」と抱きつく。

 家族はミッチが大好きだ。誤って包丁で手を切ると「大丈夫ですか」とばんそうこうを持ってきてくれる。「肩が凝った」と言うとマッサージをしてくれる。家族なら自分を顧みずに助けることができるが、将来ミッチが一人になった時に大震災が起きたら……。母親はそんな日が来ないよう、祈るのみだ。

 倫流君と同級生の自閉症の子を持つ岩手県自閉症協会の熊本葉一会長は「非常時は障害者より健常者が優先される傾向があるが、命に優先順位はない。しかし、だからこそ『障害者を優先して』とも言えない」と話している。            

【引用終わり】

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 障がい者も含めて災害弱者が津波等にあったら「津波てんでんこ」と1人で逃げるのは難しい。そのためにも、そうした人たちも含めた津波対策を常日ごろから考えおき、実行できるようにしておく。大災害を教訓に今できる対策はすべてうっておく。そうしなければいつかやれると思っていて、また大災害に襲われる。
 特に、今回の台風15号によって仮設住宅にいた人たちが浸水し、また避難所にいくはめになった。津波だけでなく、水害といった複合災害に襲われた。
 人智を越えた自然災害と言ってしまえば何もできない。今までの経験を踏まえて、考えられる限りの対策はなんとしてでもやっておく。
 災害弱者を含めた対策である。
 山形市手をつなぐ育成会を中心にして、「本人たちによる防災会議」を今まで3回開催した。障がい当事者が東日本大震災をきっかけにして、自分たちでできることを少しでも考え、問題提起しようということである。
 この事業には、「やまがた社会貢献基金」から助成もいただくことができた。
 それなりに、成果が期待されている。
 そして、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(10月15日~16日、山形国際ホテル)の本人大会でも、今までやってきたことを発表しようと考えている。
 本人たちだけでやるなんて難しすぎて無謀といった意見もある。しかし、それは勝手な思い込み。そうした機会を設定してこなかっただけである。

 こうしたささやかな試みを継続していれば、大災害に遭遇しても、「明けない夜はない」と絶望的にならず、冷静さを保てるようにしたいものだ。
 (ケー)