山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

#地震発生から51日目=防災ハンドブック8回目

2011年04月30日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から51日目(4月30日、土曜日)。
 また、大震災発生から51日目の新しい朝を迎えた。

 庭に咲く黄色に色づいた水仙が咲き誇っている。
 チューリップも咲き始めてた。あれだけ雪があったのに、雪がとけ暖かくなるまでじっと地中で耐えてきたのだろう。
 まんさくも八方に伸びた枝々に黄色の紡錘形の花をいっぱい咲かせて庭中ぱっと明るくしている。朝のひんやりした空気が気持ちいい。  
     
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 防災を考える上で知的しょうがい者にとっても、参考とすべきテキストして、
社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)
url http://www.autism.or.jp
より引用する。

シリーズ8回目

【引用はじめ】

要援護者名簿に登録しましょう!

 私の町(兵庫県)では要援護者対策として、民生委員等が行う心身障害者・在宅障害者の現状把握を利用し、災害出動時や避難勧告時の支援情報として人命救助の円滑化を図っています。
 要援護者情報の有無によって、避難誘導の優先順位や支援要員の配置、広報の重点的巡回地域、使用資機材の選択などの現場活動に大きく差が生じます。(消防署署員)

 要援護者名簿に登録を

 要援護者名簿の申請は、市区町村の防災・福祉係、民生委員の方におたずね下さい。
    
【引用おわり】

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 「要援護者名簿」登録に関して、どの程度各市町村において周知されているのだろうか。
 災害というのは頻繁に起こるものでないので、問題がなければ、行政も、地域住民も、障がい者関係者も、障がい者本人も、関心を示さない。だから、あまり問題にならず「要援護者名簿」登録といってもピンとこない。そこにはプライバシーとかなんとかいいがちで、問題の先送りの理由になっているような気がする。
 障がい者の登録そのものが、どこでもそんなに関心が高いと言えない。
 また登録していたとしても、それだけでは役立たない。いざというとき、地域でその登録した障がい者に対する避難誘導などの支援が機能するようになっていなければならない。誰が誰をどのように避難させるかといったことまで、決めたとしても机上の話になりがちといった危惧を抱く。
 それでもやはり「要援護者名簿」登録は必要である。地域の中に「要援護者」がいるのだと知っていてもらうだけでも、いざというとき支援者の手を借りることができるはず。
 このような前向きの対応があれば、「明けない夜はない」。
 (ケー)

#地震発生から50日目=防災ハンドブック7回目

2011年04月29日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から50日目(4月29日、金曜日)。
 また、大震災発生から50日目の新しい朝を迎えた。

 昨日は、東日本大震災から四十九日ということで、被災地などでは法要が営まれた。
 児童の7割が犠牲になった宮城県石巻市大川小学校では合同慰霊祭が営まれた。
 84人の遺影が並ぶ中での慰霊祭。
 心より、ご冥福をお祈りいたします。 
     
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 この犠牲を無駄にしないためにも、私たちが参考とすべきテキストして、
社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)
url http://www.autism.or.jp
より引用する。

シリーズ7回目

【引用はじめ】

家族の方へ― 練習していないことは  イザというとき役に立たない!
災害が起きたら
親がまず落ち着くこと
「大丈夫だよ」と声をかける
本人に分かりやすい言葉や方法で本人を落ち着かせる

普段からの準備と心構え
 お子さんと一緒に、落ち着く方法や、わが子の予想されるトラブルを考えて、普段からわが子に合った方法を準備し、練習しておく。
 また、そのために必要なものを用意する

① 気づいてもらうために
・「助けてカード」を作成し、本人に常時持たせる
・『助けて』と声を出す練習、ホイッスル(笛)を吹く練習
・衣服への記名、「サポートブック」を作成し、持たせる

② 日頃からわが子の存在を知っておいてもらう
・隣近所とのお付き合いを
・民生委員とのコンタクトも
・要援護者名簿に登録
・ひとりになったときを想定し、普段からの準備・訓練を

③ 家族で防災会議をしよう
  自宅以外での被災に備えて、家族同士の連絡方法などについて

④ 地域での避難訓練に参加を

⑤ 自宅以外で宿泊する体験をもとう(避難所生活に備えて)
     
【引用おわり】

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 コミュニケーションがうまくいかない知的しょうがい者にとって、「助けてカード」、「近所づきあい」、「家族防災会議」、「自宅以外での宿泊体験」は、実践的である。
 こうしたことを常日ごろからきちっと実践する手立てが必要となる。
 皆さんで心がけてやりましょうでは、震災後の早い時期には有効であっても、時間が経つと、日常的なことにかまけてなかなか実践しなくなるのが世の常。
 だから、「災害は忘れた頃にやってくる」と言われる由縁。
 油断が大災害を引き起こす。そのために、災害に備えてずっと緊張し続けるのも現実的でない。
 やはり、3.11の発災を防災の日として、私たちの生活を考え直す日とするのも一つの手。しかし、その程度では今回のような大災害に対して、どの程度の備えになるものか。やはり、あきらめも必要か。どこまで徹底するかは、その人の価値観に任せるしかない。
 それでも、「明けない夜はない」ことを信じて前向きな生活を続けていきたい。
 (ケー)

#地震発生から49日目=防災ハンドブック6回目

2011年04月28日 | 災害
平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から49日目(4月28日、木曜日)。
 また、大震災発生から49日目の新しい朝を迎えた。

 災害時、知的障がい者が身を守るためどんな行動をとるべきか、本人たちにわかるようにしたものが次の内容である。
    
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 私たちが参考とすべきテキストして、
社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)
url http://www.autism.or.jp
より引用する。

シリーズ6回目

【引用はじめ】

さいがいがおきたらこうしよう

① まず、おちつこう
 しんこきゅうを(3回くらい)してたすけをまとう

② きけんからからだをまもろう
 じしんのときは、あたまをカバンなどでまもり、
 ものがおちてこないばしょににげよう

③ ひとをよぼう
 おおごえで「たすけて」といおう
 「たすけてカード」を見せよう
 ホイッスル(ふえ)をふこう
 けいたいでんわでかぞくにれんらくしよう


④ あんぜんなところにつれていってもらおう
    
【引用おわり】

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 常日ごろから、とっさの時にできるよう繰り返し練習しておく。但し、それが実際の災害で役立つかどうかわからない。実際の災害を再現できないし、練習場面で災害について想像するのは知的障がい者にとって苦手である。
 しかし、無駄だといわずにやっておくことは必要である。本人たちにとって役立つわけではないかもしれないが、支援者にとって災害時に本人たちへの支援のあり方がわかるからである。
 真剣に災害への対応をしておくことで、いざというときの減災となりうる。
 備えあれば憂いなし。不安を消す意味でも災害対策を地道にやっておく。
 「明けない夜はない」ことを信じて。
 (ケー)

◆本人部会担当者会議

2011年04月28日 | 業務
東北ブロック大会の本人部会の運営をどのようにするかの会議を開きました。
というか、開いています

3月11日の震災前に考えていた分科会の内容とは変える方向で会議が開かれていると思います。
詳しい内容は会議で決定しないと発表できませんので、後日・・・ということでご了承ねがいます

今後、実行委員として働いてくれる本人さんたちと一緒に準備をしていくことになります。
山形県は本人部会が活発ではないので不安はありますが、みなさんのご協力のもと本大会に向けて進んでいくと思いますので、どうぞよろしくお願いします(F)

◆5月中旬の陽気でした

2011年04月27日 | 日記
昨日は桜が満開でしたが、今日は少し散り始めた桜もありました。
でも、今度は他の花たちが一気に咲き始めたようです。



花粉症の方はちょっと大変そうでしたが、風も暖かく春はやっぱり良いですね~
あと数日でゴールデンウィークにも突入です。
震災の影響でいろいろと自粛ムードもありますが、楽しめる機会がある人は楽しんでも良いのでは?
山形でも、一度中止と決まった催しを、やっぱり開催しようというような動きも見えてきています。
ゴールデンウィークは、近場でOKなので、ご家族でお出かけしてみませんか?

でも、明日は天候が荒れるとか・・・(F)


#地震発生から48日目=防災ハンドブック5回目

2011年04月27日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から48日目(4月27日、水曜日)。
 また、大震災発生から48日目の新しい朝を迎えた。

 朝の出勤で道路の気温表示計は11度。日中は20度まであがる。もうじきゴールデンウィーク。昨年だと高速が無料化、全区間千円とかで渋滞のニュースを流していた。
 今年は、被災地・原発事故現場がそれどころじゃない状況が続くので、浮かれてはいられない気分。どこの観光地も閑古鳥だという。どこもかしこもキャンセルが相次いでいる。自粛ムードも度を超すと復興にも悪影響を及ぼすと盛んに警告する報道が多くなった。山形市内の居酒屋は土・日になると、結構客も戻ってきているとの話はきく。

 ところで、災害時、知的障がい者はどんな行動をとるのだろう?
    
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 私たちが参考とすべきテキストして、
社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)
url http://www.autism.or.jp
より引用する。

シリーズ5回目

【引用はじめ】

 ☆新潟県中越大震災(2004年):地震が発生した直後、重度の自閉症のわが子(当時小6)は、何が起きたかまったく理解できずにきょとんとしていました。
 当然、自分から危険を感じ、回避する行動や避難など出来ませんでした。自閉症の人には、災害の怖さや避難の必要がなかなか理解できないということを知りました。􀀀
(新潟自閉症協会 坂内正文)

 ☆埼玉県川越地区水害(1999年):「けやきの郷」の水害の時、夏休みだったので、施設に残っていたのは、自閉症の人と知的障害の2人だけ。自閉症の人は、字も読め、パソコンも打て、会話も、まあまあ成り立ちます。一方、知的障害の人は重度で単語を発する
くらい。
 でも、自閉症の人は、床に水があがってきても、水をパチャパチャ手でかいているだけ。一方、知的障害の人は、異常を察知し騒ぎ出したのです・・・・。
(けやきの郷 佐々木敏宏)

 ☆東海豪雨(2000年):異常な状況や大変さが理解できないためか、音に反応するくらいで、不安な様子はみられませんでした。
 むしろ停電でTVが見られないことのほうが本人にとって大変な状況でした。
(愛知県自閉症協会 大森隆太)

 ☆阪神・淡路大震災(1995年):「並べたミニカーが崩れる」のが本人から見れば災害。母親としては家が崩れてこんな状況のときに「何言うてるんや」。災害を把握できないことが自閉症の人にとっての問題なのです。
(愛心園 福田和臣)
  
【引用おわり】

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 災害という異常事態に気づかない。異常事態に対応することより、今までやっていたとおりのことにこだわる。こうした自閉症の特性を踏まえた災害時の対策が求められる。
 個々の障がい者にあった対応がなされることが必要だ。そうすれば、大震災後でも「明けない夜はない」はずだ。
 (ケー)

◆山形は桜が満開です

2011年04月26日 | 日記
県育成会事務局がある山形市は、今、桜の花が満開です。


携帯の画像なのであまり綺麗ではありませんが、銀行へ行く途中には桜の花のトンネルを通って行くようなところもあり、とても清々しい気持ちで仕事ができます。

山形市の桜の名所、霞城公園お堀の桜のライトアップは今年はないそうですが、日中もお花見の方が結構いらっしゃるようです。
事務局の近く、いも煮で有名な馬見ヶ崎川の堤防沿いの桜並木もとっても綺麗に咲いています。

今日は桜満開の話題にしてみました。(F)

#地震発生から47日目=防災ハンドブック4回目

2011年04月26日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から47日目(4月26日、火曜日)。
 また、大震災発生から47日目の新しい朝を迎えた。

 山形市内のいたるところ桜が満開。学校の校庭、住宅のすき間からのぞいて見える霞城公園土手にも桜が咲き乱れている。昭和橋の下をとおる電車も桜並木に囲まれて通過していく。文翔館(旧山形県庁)の広い館庭にも幾本もの桜が咲き誇っている。通勤路ぞいの家の庭には、チューリップやすいせんの花々が黄色、白、赤と色とりどり。

春は桜とともに北国にもやってくる。地震、津波、原発事故にあっている被災地にも明るい未来がこれから少しずつでも見えるようになってほしいと願うばかりだ。
 もちろん多くの困難を乗り越えなければならないことは確かだが。
 一歩でも前に進むよりどころをみつけるためにも。
   
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 それだからこそ、私たちが参考とすべきテキストして、
社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)
url http://www.autism.or.jp
を紹介する。

シリーズ4回目

【引用はじめ】

 災害のいろいろ 地震・洪水・火災・竜巻など
 
 【絵入りの説明】
 がけくずれ「危ない!ここにいて」、山くずれ、土石流、
 列車の脱線、交通事故、橋の落下、液状化現象、道路の寸断、洪水、
 「しっかりつかまって」、家屋の倒壊、火災、地われ「気をつけて!落ちちゃうよ」、
 ビルの倒壊「危ない!頭にカバンのせて」、
 津波「逃げろ!高いところへ」、
 「早くにげろ!水があふれる!」、集中豪雨、竜巻。
 
【引用おわり】

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 災害にはどんなものがあるか。
 山、川、町、鉄道、道路、家屋、ビル、海などで起こる災害を、見開きページいっぱいに絵で表現している。
 自閉症者が、災害にはこんなにたくさんのものがあることを理解してもらう材料となるように作成している。
 これだけでは理解が困難な子供たちも多い。
 あくまでも、災害への対応のためのきっかけとする教材である。家族とともに、事前に災害はどこでもどんな時でも起こりうることを真剣に考えるためにとてもいい。
 こんなことによって、忘れた頃にやってくる災害に備え、大震災後でも「明けない夜はない」ことを証明したい。
 (ケー)

#地震発生から46日目=防災ハンドブック3回目

2011年04月25日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から46日目(4月25日、月曜日)。
 また、大震災発生から46日目の新しい朝を迎えた。

私たちが参考とすべきテキストして、
社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)
url http://www.autism.or.jp
を紹介する。

シリーズ3回目

 どんな中身になっているか、まず「目次」の項目を以下に引用する。
  
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【引用はじめ】
目 次
はじめに

災害のいろいろ
 災害がおきたら自閉症の人は?

災害がおきたら こうしよう
 家族の方へ――練習していないことはイザというとき役に立たない!
 要援護者名簿に登録しましょう

Q&A

避難所とは
 家族の方へ―ひとりで悩まないで
 早めに支援を求める
 自閉症の人と避難所生活

避難所での生活はこうなります
 福祉避難所とは
 「車中泊・テント泊」アウトドアの知恵

心のケアと心の健康管理
 助かってよかったね
 大丈夫だよ、元気になるよ

復興に向けて
 仲間同士の支えあい
 ネットワークを作ろう
 日頃からきょうだいへの配慮を
 被災後の健康管理

日頃からの準備を
 防災のための訓練を
 日頃の生活が防災の基礎になる
 その時、障害者は弱者でなかった
 本人の生活を一日も早く日常に戻すこと

家族で防災会議をしましょう

「助けてカード」の作成
 
【引用おわり】

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 以上のように、災害時にどんな課題があり、どんな対応が必要か、ていねいにわかりやすく述べている。
 どんな順序でどんな課題が生じ、それにどう対処するかそのヒントが満載である。
 常日頃からどんな心構えで望むかということであり、この防災ハンドブックは事前の準備として大いに活用できるようになっている。
 ここでなるほどと思うのは、アウトドア体験がいざというとき、役立つということだ。電気のない生活、テント生活などは単なるレジャーとしてだけでなく、災害時の事前体験となり得るという観点で見直すことも必要である。
 今の大災害時にも、この防災ハンドブックが自閉症者にとって役立ち、「明けない夜はない」ことを証明したいものだ。
 (ケー)

◆多賀城市と七ヶ浜町

2011年04月24日 | 災害
夫の所属しているライオンズクラブの会員の有志約60名で、多賀城市と七ヶ浜町へ行ってきました。
避難所には1000名くらいの方が避難していると聞いていたのですが、現在は500名くらいになっていたようでした。



和菓子・駄菓子なども持っていき、とん汁を作ったそうなのですが、わらび餅や駄菓子にはみなさん「懐かしいわ~」と大好評だったそうです。

多賀城市の避難所で炊き出しを行ったのですが、近くの七ヶ浜まで様子を見に行ってきたようで、こちらの方は津波で何もなくなっていて家屋の基礎の部分だけが残っていたそうです。
がれきもまだほとんど片付いてないようで、これが綺麗になるには相当な時間が掛かるだろうと思うと気の毒でならなかったとの事でした。
そして、そのすべてが流されてしまい何もなくなった場所に一本だけ桜の木が無事に残っていて桜の花が綺麗に咲いていたのがとても印象的だったそうです。

私は実際にその景色は見ていないのですが、頭の中にその光景が浮かんできて何とも言えない気持ちになりました。

本当にはやく復興が進むことを願っています(F)







#地震発生から45日目=防災ハンドブック2回目

2011年04月24日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から45日目(4月24日、日曜日)。
 また、大震災発生から45日目の新しい朝を迎えた。

 私たちが参考とすべきテキストして、
社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)
url http://www.autism.or.jp
を紹介する。シリーズ2回目
  
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【引用はじめ】

 長年、自閉症の人たちに接してきて、この人たちが社会で暮らしていく上で、基本的に人間としての「関わり合いの難しさ」を痛感しています。
 私も支援者の一人として、多くの研究者の意見を取り入れて実践はしていますが、現実の生活の中で自閉症の人たちが直面する事態は、受け身にされていることが多いのです。出来るだけ、一つずつ自分から学べるように援助することが重要だと思っています。そこには、どうしても日常的にしっかりした交流出来る人間関係を作っていることが望まれるのです。それが一番はっきりと表れてくるのが災害時だと思います。「どうするか」「何をしたらいいか」「こうしてみよう」「ああしてみよう」などという咄嗟の判断は、そこ
にいる複数の人たちが共通に認識出来るものでなければならないのです。
 『防災ハンドブックー支援する方へー』が好評であったことは、私どもの協会が、関係のつきにくい自閉症の人たちを大変困難な災害という事態から助けるという文化に辿り着いたからです。そして本書は、その内容を本人・家族向けにまとめたものです。関係者たちの真摯な気持ちのこもった内容を熟読玩味していただきたいと思います。

 社団法人 日本自閉症協会会長 石井哲夫

【引用おわり】

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 「防災ハンドブック」で石井哲夫氏は以上のように述べている。
 その中で、ポイントは、知的しょうがい者にも関わる困難な特性として、
 ①受け身で自己判断が難しいこと
 ②咄嗟の判断が難しいことである
 そのための解決策として、
 ③災害事態から助ける文化が必要だとしている。

 防災ハンドブックの作成によりその一助にしたい。
 そのことで、「明けない夜はない」ことを示していかなければならない。
 (ケー)

多賀城へ

2011年04月23日 | 災害
育成会での動きではないのですが、夫が入っているライオンズクラブが明日、多賀城へ出向き炊き出しを行います。

支援物資も会員から集め持っていくようです。

家も、今回は女性用の春物の下着や衣服などを寄付させていただきました。

地震が起きて間もなくは、使うあてがなくなって倉庫に積んであった大人用の紙おむつを寄付させてもらい、とっても喜んでいただきました。

炊き出しは、とん汁だそうで1000食作る予定だそうです。

山形は一部の乳製品が少々品薄気味ですが、ほとんど震災前の生活に戻っているように思えます。

テレビ番組も普通の番組構成に戻りつつありますが、被災地はまだまだ不自由な生活を強いられています。

山形県や県内の市町村から給水車も何台も被災地へ出向いていて未だにフル活動のようです。

被害の大きかった被災地はテレビで見るよりまだまだ復興への道のりは遠いと聞いています。

実際の所はどうだったのか、夫が帰ってからじっくり話を聞いてみたいと思います

育成会としては、各支部より義援金を全日本の口座へ送金して頂いておりますし、県育成会としても活動資金を送らせていただきます(F)


#地震発生から44日目=防災ハンドブック1回目

2011年04月23日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から44日目(4月23日、土曜日)。
 また、大震災発生から44日目の新しい朝を迎えた。

 知的しょうがい者を守るための団体である「山形県手をつなぐ育成会」として、東日本大震災が発災(村井嘉浩宮城県知事が使っていた言葉)してから、あらためて本団体の果たす役割を問い直す必要がある。
 今考えているのは、知的しょうがい者本人たちによる防災会議の開催、そして本人たちによる防災ハンドブックの作成である。
 調べてみるとこうしたことをもう以前から手がけている人たちがいる。
 人材も、お金も乏しい本県育成会事務局としては、こうしたものを十分活用して「山形県手をつなぐ育成会」会員にとって役立つものとしたい。当然、知的しょうがい者本人たち、その家族、関係者、学識経験者等の絶大な協力を得る必要がある。
 そこで、私たちが参考とすべきテキストして、社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)を紹介する。
 今後、シリーズで、取り上げていくこととする。
  
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【引用はじめ】

◎ 社団法人日本自閉症協会「自閉症の人たちのための防災ハンドブックー自閉症のあなたと家族の方へー」(平成20年12月発行)url http://www.autism.or.jp
 紹介「第1回目」

はじめに

「まなんでさいがいからいのちをまもろう」

じしんやかじやすいがいのとき、どうしたらじぶんをまもることができるでしょうか。
なによりも、さいがいにそなえて、ふだんからのくんれんがたいせつです。
なんべんもなんべんもくりかえしてくんれんすることです。そうすれば、じぶんじしんをまもり、かぞくやおともだちとたすけあってさいがいをのりこえることができるでしょう。
このハンドブックは、あなたをさいがいからまもろうとつくりました。
「よんでねマーク」のページは、あなたのページです。
しっかりよんで、やくだててくださいね。

いちばんたいせつなのはあなたのいのちです。

【引用おわり】

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 この防災ハンドブックはA5サイズのコンパクトなもので、25頁だて。
 カラフルで絵もたくさんあり、本人向けには、「読んでね」マークをつけて、フリガナ付き。表現も短く、わかりやすくといった配慮がある。
 上記の「まなんでさいがいからいのちをまもろう」という表現にも、なんとしてでも災害に対して、ふだんから備えておく重要性を訴えている。
 これはあくまでも守る側からみている。
 私たちがめざすべきハンドブックは、当事者からみた対応のあり方である。どこまで追求できるか心配ではあるが。

 そういう意味でハンドブックが形となれば、「明けない夜はない」に一歩でも近づくことにはなるだろう。
 (ケー)

#地震発生から43日目=災後を担うしょうがい者

2011年04月22日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から43日目(4月22日、金曜日)。
 また、大震災発生から43日目の新しい朝を迎えた。

 4月仕事がたて込んできた。何かと忙しく、せわしい。3月に予定していた諸会議がすべて大震災の影響で流れた。
 山形市内まで移動するのにも、ガソリン不足がたたり、それどころでなかったし、会議なんてやっている心理的余裕もなかった。
 どっかに不安があり、ぽっかり空白ができた気分になったのはわたしだけではなかったはずだ。被災地や被災者だけでなく、日本全体にそうした気分がまん延した。
 こうした空気はそうそうあるものでない。ひょっとすると戦争直後の気分と近いのかもしれない。
 そうしたことを指摘する記事があった。次に引用する。
 
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【引用始め】msn.産経ニュース
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110421/dst11042103130003-n1.htm
 特別記者・千野境子 「災後」を担え、若い力
2011.4.21 03:13
 「あの時」は、もはや民族共有の痛恨の経験として、末永く記憶されるに違いない。これに勝る時は昭和20年8月15日くらいかもしれない。そんな予感がする。

 3月11日午後2時46分。あなたは何をしていただろうか。私事を言えば、当欄の翌日組み原稿を校正して間もなくだった。経験したことのない揺れに、「ついに私も関東大震災を経験するのか」と思った。

 実は、その原稿は『関東大震災 女学生の記録』についてだったからである。横浜・山手のフェリス女学院に学ぶ、当時16歳から18歳の女生徒151人が仮校舎での国語の時間につづった震災体験の証言集で、創立150年を記念する校史編纂(へんさん)の一環で刊行されたものだった。

 好奇心も記憶力も旺盛な10代後半の少女たちの経験・目撃談は、体験者も少なくなった88年後の今日、貴重に思えた。10万人からの命を奪った火災の証言は実に生々しい。

 《物の焼け崩れる音、火のうなり声、何て物凄(すご)いのだろう。何日まで何処まで焼けるのであらふ》

 《逃げても逃げても後から火は逐(お)ひかけて来るのでした。…「万事休す」「横浜は全滅だ」など言ふ声が聞こえました》

 そしてもう一つ。にもかかわらず何人もの女生徒がいちはやく復興に目を向け、明日への希望や決意を記していたのが印象的だった。

 《総(すべ)てが灰燼(かいじん)の中から新しい生命をもって一日々々と復興してゆく町を見つめて居(い)るとき、忘れ得ぬ思ひ出はいつも涙をさそひます。そして生まれ出る力を祝福しつゝ頬笑ましい希望への胸は高鳴るのです》

 《多くの生命が此(こ)の世を去って行きました。と同時に多くの生命が生まれて来ました。廃墟(はいきょ)の都から新文化へと人々は努力して居ます》

 《古い一切のものを壊すのは結構だ。新しい美しい物を創造するの事を忘れてはならぬ。…記憶せよ、九月一日を永遠に!》

 目覚ましい回復力。前向きで貪欲な精神。若さの特権かもしれない。こんな正直な感想もあった。

 《稲妻の様に起(おこ)って過ぎた色々の事をけろりとわすれて、世の中に恐ろしい事などないといふやうな気持になった》

 実際、関東大震災後、東京も横浜も「万事休す」ではなかったのである。いまはまだ惨状広がる東日本大震災も同じであってほしい。そしてその復興には、こうした女生徒たちと同じ若い世代を原動力にしてほしいとも思う。なぜなら彼らこそ10年、20年後の日本を担うからだ。

 その意味で現下の復興構想などに若い力の積極的評価が見られないのは、いささか残念だ。肉親を失ったり、仕事や学業の機会を奪われたりして過酷な人生を歩まねばならぬ若者も少なくないだろう。それでもと、あえて言いたい。若さにはそれを克服する力がきっと備わっているだろうと。

 《木の葉の落つるも、先(ま)づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり》(『徒然草』百五十五段から)

 葉は古くなるから落ちるのではない。新しい芽の勢いによって葉は取って代わられるのだという。

 東日本大震災の後、「災後」の表現が散見されたのは示唆的である。もはや「戦後」ではない。まったく新しい「災後」日本を。そしてその主役は若い世代にこそ与えたい。

【引用終わり】

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 この「戦後」が終わり、「災後」の復興は「若い力」が担う。
 私自身若いとは言えないが、4月せわしく動き始めたのは、ぼんやりしていられないし、やるべきことをしっかりやってこそ被災地へのなにがしかのエールとなる。
 まあ、こんな言い方は後付けにしかすぎないが、要は切羽詰まってきた気分にあるということだ。自分自身の担うべき仕事をやり遂げることである。
 第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第31回山形県知的しょうがい者福祉大会(10月15日~16日)の開催である。その準備が予定よりかなり遅れている。
 特に、本人部会をどうしていくかが頭痛い。昨年度ずっと計画してきた内容から大幅変更して開催することにしたからである。
 本人のための防災会議と称して実施する方向である。
 そして、本人による本人のための防災ハンドブックを作成することももくろんでいる。
 そのため、やまがた社会貢献基金の助成を申請した。
 5月にそのためのプレゼンがひかえている。それを突破しないと、会議そのものの開催も危うい。幸い、山形市手をつなぐ育成会と山形県知的障害者福祉協会から協力してもらう。本人たちが災害の備えをいかにすべきかについて、真剣に話し合う場は今をおいて他にない。
 前進した内容にすれば、きっと「明けない夜はない」となるのである。
 (ケー)

#地震発生から42日目=がれき一個片づける

2011年04月21日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から42日目(4月21日、木曜日)。
 また、大震災発生から42日目の新しい朝を迎えた。

 昨日の朝はことのほか寒かった。山形県内でも雪が降ったところがある。なんか、蔵王の峰々や月山もとけかかった雪が止まった感じがする。
 被災地の宮古市でも雪だったらしい。
 msn.産経ニュース、被災地の皆さんへの欄に哲学者の内田樹氏が寄稿している。次に引用する。
 
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【引用始め】
 
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110420/dst11042007350007-n1.htm
 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん
 2011.4.20 07:33
 「新たな故郷」つくるシナリオを

 復興は目の前のがれきを片付けることからしか始まらない。
 でも、そこから始まる。
 まず石を一つ拾うことから始め、拾ったら拾った分だけ復興に向かう。
 何度も津波に遭い、その都度立ち上がってきた三陸のみなさんは分かっていると思う。

 被災地の方々にとって、高すぎる理想や遠い目標を掲げないことが大切。
 すぐに手が届くところに、ささやかな目標を設定し、それをクリアしたらお互いに健闘をたたえ合い、また次の目標を立てる。
 そういう小さな積み上げが長期にわたる復興には必要だ。

 今回は津波と原発の「複合災害」。
 自然災害は有史以来繰り返され、どう対処してよいか、私たちは本能的に知っている。
 復興のつち音が聞こえてくるのも遠くはないと思う。
 だが原発は人災で、対処法を歴史的経験として蓄積していない。

 福島や北関東の一部では、そこに「住む」という選択肢さえ失われる可能性がある。
 今のままでは農業や酪農はダメージが大きく、人口も減り、地価も下がり、いきおい地場産業も衰退するだろう。
 このエリアに大きな空白が生じる事態も考慮しなければならない。

 国の原子力行政の結果、土地を離れ、職を失うことを強いられた人々を救済するため、政府は「新たな故郷」をつくるくらいのスケールの大きな政策を検討すべきだろう。
 住民ひとりひとりの個人的な決断に委ねて、これ以上の苦しみを与えるべきではない。
 彼らへの全国民的な支援体制の設計が急務であると思う。

【プロフィル】内田樹
 うちだ・たつる 神戸女学院大名誉教授。昭和25年生まれ。
 阪神大震災で被災した経験を持つ。

【引用終わり】

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 がれきを一個片づけることから復興が始まる。復興はそこからしか始まらない。
 一個の石を片づけることが、「明けない夜はない」の実現を図る第一歩である。一個ずつ片づけることを地道に継続してゆく。遠い道のりのように見えるが、それが着実な方法であり、ある種一番の近道なのだ。
 (ケー)