山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

◆大晦日

2011年12月31日 | 日記
いよいよ大晦日になりました

みなさん大掃除もおわり、お餅の準備をしたり

年越しそばを食べに行ったり、準備をしているのでしょうか

昨日、お世話になっている向陽園に息子を迎えに行った所

もうすかり、新年の準備ができていました


なんと立派な角松なのでしょう

玄関も先日までのクリスマスの飾り付けから

お正月用に変わっていました。

紙コップに作られた可愛いミニ角松

利用者さんが作業で作ったのだそうです


それにしても玄関の角松は立派でした~

こんなに大きな角松をみたのは初めてかも・・・


それではみなさま、良いお年をお迎えください


#地震発生から296日目「引き波で外に出ていた利用者・支援員が亡くなった」

2011年12月31日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から296日目(12月31日、土曜日)。
 また、大震災発生から296日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、災害時におけるリーダーのあり方、避難所の実情にあった対応、施設における送迎のあり方についていかなる教訓を得たか問題提起があった。
 また、育成会が安否確認の支援を行ったことの報告がなされた。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その10】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 1週間はサバイバルな状態を生き延びる工夫が必要

【司会者】はい、どうもありがとうございます。
 声掛けとか研修会、放射能除染の問題といったことが、アンケート調査で顕著に出てきました。
 その他ございませんか?はい、どうぞ。

【発言者】 宮城県から参りました。
 災害当日の状況について3つの事例について、お話しいたします。
 1つは静川という南三陸町の現状です。丁度その時間は作業中でした。
 地震という事で誰でも机の下、椅子の下に潜って揺れが納まるまで静かにしていました。納まってから全員中庭に逃げたそうです。
 中庭に逃げて安心だから戻って部屋の物を片付けようという事で、沢山の利用者と職員は部屋の片付け方を始めた。
 その中に庭で遊んでた2人の利用者がいた。木のそばでぐるぐる回りっこしていて、それを支援員が近くで見守っていたというのです。それを想像してみて下さい。
 そのうち、地震の後津波が来る事に気づいた人がいて、地震が来るって言い始めたそうです。
 あ、そうだっていうので窓の外を見たんです。丁度窓の外には松の木がびっしり生えてまして見えなかった。
 真っ黒い津波がどんどん近づいて来て、その松の木を越えた時に初めて気づいた。それ事で逃げ場を失ってしまいました。
 その中にいた利用者と職員はもう下からどんどんと水が上がってきて体全体水に浸かってしまった。一階の天井の傍まで水が上がったので首だけ出して足をつんつんさせながら、大丈夫か大丈夫かと言いながら水が引くのを待っていた。
 10分ぐらいして水が引いていった。その引潮の時に中庭にいた方々が引いて行かれてしまって、命を落としたというお話でした。
 ですから、ここで気になる事は皆で同じ行動する中での誰かリーダーがきっちりとものを発する事が大事です。勝手な行動をさせておいて、まずいという所がそこで教訓として残されました。
 その後、全身水に濡れた方々は避難所の方に移動する事が出来たそうです。

 ある場所では避難所へ一緒に、小中学校の体育館に逃げたんです。大勢の人が入っていて、施設の職員と利用者が入っていられない状況になってしまった。その避難所の人にお願いしたら図書室が空いてますというので、障害のある方々の為に図書室を貸して頂いたという事例がございます。
 それから、福祉避難所になっていなかったが、福祉施設に近所の人が皆入りこんできた事例もあります。
 そこは避難所でなかったので、何も支援物資が届かなかった。
 単なる施設だった訳ですね。ところがご近所の方々が停電だから冷蔵庫が使えなくなるからというので、冷蔵庫にある物を皆持ちだしてきてくれた。
 それで一晩そこで利用者と地域の方々と一緒になって福祉避難所の支援は無かったんですけれども、一晩過ごしたという施設もございました。
 そういったことを考えた時に、利用者達を安易に自宅に戻さない方がいいという事が結論として言えます。

 ある所ではお母さんが子どもの迎えに行かなくてはということで、車を動かして渋滞に巻き込まれお母さんが亡くなってしまったというお話も聞いています。
 施設の方では保護者と連絡がつくまで動かさない方がいい。保護者は連絡がついて迎えに来て下さいと連絡が入るまで動かない方が、お互い良いのではないか。
 石巻では、あの混乱の中でスクールバスを出して、支援者と利用者がバスのまま流されたという事例もあります。その施設で動かない、あるいは自宅で動かないでお互い連絡をとれてから会わせましょうという事を、今後施設と育成会の中で考えていた所でした。

 ところで、JDFは、ジャパン・デスアビリティー・フォーラムの略でございます。
 ジャパン・デスアビリティー・フォーラムは、身体障害の方々が中心に立ち上げた団体です。、全日本育成会も加盟をしております。

 サバイバルな状態が一週間程続くという事を覚悟しなきゃいけないと思いました。
 自衛隊とか警察がどんどん応援には入りますけれども、一般の方々は被災地に入れない。何かしてあげたいと思っても行かれない。
 ですから、被災地の方々はそこで一週間は耐えることを覚悟する。一週間生き伸びる事を覚悟して助け合って待っていなければならない。
 宮城県では4月7日にその応援の為の対策本部を設置しました。JDFとは別に作りました。
 JDFはJDFで3月の下旬に全国から入って来ました。
 宮城県の場合には育成会と福祉協会と重症児者を守る会、この3団体で対策本部を作って全国組織から応援を頂いて4月7日から派遣を始めました。
 被災地に人を派遣しました。
 被災地の方々はお互い何とかしてあげようと思っても、自分の生活を守る事が大事なってきます。他人の事まで手が回らない。自分の家族と自分の子ども達を守る事がサバイバルな中では大変でした。
 従って、他の力を借りて生活の復旧をする事が求められます。宮城県では知的障害者関係団体だけの対策本部を作りまして、そこから被災地に派遣をしました。
 被災地に入る場合も勝手に入れないんです。きちんとしたプレートを付けて対策本部の職員であるという事を明記して、それなりの車を使って被災地に入っていく事が必要です。
 全日本育成会には、緑色の全日本育成会と書いたジャンパーがあるんです。
 それを着てその職員達は車で現地に入りました。誰が見ても、「あ、全日本育成会の支援者だな」という事で、不審者じゃないなという事で堂々と必要な方々に手を差し伸べる事が出来ました。
 対策本部ではローラー作戦により施設の利用者安否確認をしたおかげで、ほとんどの安否が分かりました。
 施設の方を通してどの方がどういう状態であるのかという事が分かりました。
 在宅の方は分からなかったんです。一般就労していた方達で仕事がどうなったかという実態が分からない。
 ローラー作戦ということで、安否確認は在宅の方々を中心に育成会が足で動きました。
 福祉協会のように、施設を持っている所は自宅が何処にあるかすぐに分かります。
 在宅の方は自ら手を挙げないと分かってもらえない。
 地域の相談支援員にうかがって住所を聞いて、その方が何処に避難しているかという事で避難所を訪問しながら個別にニーズを発掘していった。
 例えば、親がいなくなっているとしたら成年後見制度を使わなきゃならない。
 あるいは本人の施設や家族がなくなったという事であればグループホームを紹介しなければならない。
 そういったニーズを福祉に繋ぎながら、対策本部の活動を続けてきました。
 以上でございます。どうもありがとうございました。

【引用終わり】

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 1週間は自ら生き延びるための努力が必要である。そして、隣近所の人たちと助け合う。行政やボランティアの支援がいずれ入ってくる。こうした自助、共助、公助がうまく組み合わさって「明けない夜はない」と前向きに解決の道を探る。
 (ケー)


#地震発生から295日目「作業所の放射能表土除去も要望」

2011年12月30日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から295日目(12月30日、金曜日)。
 また、大震災発生から295日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、郡山市親の会のアンケートした内容の報告があった。大震災・原発事故に関する災害がどの程度であったかという調べである。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その9】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 郡山市親の会の大震災・原発問題災害アンケート

【司会者】 どうもありがとうございます。

【助言者】 JDFっていう名前で、障がい者の皆さん困ってませんかというチラシを作って各福祉団体に流しました。それで色んな支援物資が届きましてホッとしております。

【司会者】 はい、どうもありがとうございます。助言者より、障がい者団体がまとまった窓口を作るということが大切なんじゃないかという提案がありました。
 被災支援活動をどのような形で推進していけばいいのか。実情とか課題とか対策とかそういうことを含めて発言をお願い致します。どうぞ、はい。

【発言者】 福島県郡山市手をつなぐ親の会の副会長をやっています。
 親の会で大震災と原発問題の災害に関するアンケートを実施しました。
 時期的には7月下旬だったんですが、会員全員に、記述式で書いて送ってもらいました。集約率が良くないんですが131名中32通、24.4%の集約率でした。
 自宅及び作業所の被災率は75%以上と高く3月11日の震災は大震災だったと言う事がわかります。
 自宅の損壊、さらに問題としてはガソリンがなくて、あと食料・水道・電気それぞれ止った。水道は郡山で1カ月以上復旧までかかった所もあります。4、5日で復旧したた所もあります。ライフラインが壊滅状態だったということでございます。

 通所施設については、作業所の休業は一週間から20日程度。電気がこない、送り迎えが出来ないという事で休業状態が続いた。
 このため、親が勤務しないといけないのに、子どもを預ける場所がない。子どもを何処で看るかという問題がかなり切実な内容としてあったと。何処にも預けれる所がなかったという事で自宅に置くしかない。でも余震はありましたので、不安、心配だったと。心配だったけれども、子どもを置いて行くしかないという回答がかなりございました。
 薬を使用している方がいるのですが、薬が手に入らず無くて困った。知人の看護師さんに話して手をまわしてもらって何とかつなぎの薬を手に入れたという事でした。薬を常に飲んでいなきゃならない方の場合、薬の問題というのは重要です。
 子どもが一緒で避難先に行ったが、子どもさんなかなかそこで落ち着かない。避難所を転々とした事例もありました。
 障がい者のための被災者に避難所が無かったという事で自宅で看るしかなかったというなことが多かったです。
 障害者サービスとしての介護サービスをする施設も避難所みたいになっていて、そこに預けて利用する事が出来なかった。それで自宅で看るしかなかったという話がございました。

 災害発生時、携帯、電話も通じなくて安否の確認が出来なかった。
 送迎のサポート問題もかなり深刻だった。
 親の会に対しての要望なんですが、地域に障害のある子どもがいる場合、家庭訪問などで声掛けをしてもらえないかというのです。
 プライバシーの問題もあって全体的に進めるっていう訳にはいきませんが、これから何かあった時にサポートしていく必要があります。親の会の方では連絡を取り合って何かあった時に声掛けをする事を考えていかなきゃいけなんないんじゃないか。

 今回の災害に関して親の会の活動に対する要望、報道への要望では災害関連の研修会を開いてもらいたいということです。福島独自だと思いますが、放射能の影響を具体的に教えてほしいという研修会を開いてほしい。
 今回東北ブロック大会で災害問題を取り上げています。是非その報告をして頂きたい。私は帰ってから報告しなきゃなんないと思っています。
 放射能問題が今大きな問題になってまして、郡山市が土壌の表土除去を先導してやった所なんです。それが県内に広まりまして、放射能を減らす事に効果があるということで今表土除去をやっています。
 ただその除去された土を最終的にどうするかという問題が解決されない。それぞれ影響のない所に保管しておくという事なんです。そういう問題も学校とか公的施設を重点的に進めていく事になっています。
 作業所がどういう位置付けになっているのかも福島県の協議会として、動いてもらって、表土除去の問題も、作業所も含めて展開してもらう必要があるだろうと。
 郡山の中で行政の要望の中でもその辺は話をしていきたいと思っています。
 以上が郡山のそのアンケート調査を取った結果での大雑把な内容でございます。以上です。

【引用終わり】

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 東日本大震災に関する地域の災害調査を後世に残す。それによって、将来の防災・減災に役立てる。特に、今回初めての原発事故に関する調査は貴重である。障がい者がどんな影響を受けたのか。育成会としての詳細な独自調査を今後期待したい。
 調査を実施するのは、被災者を忘れないことでもある。
 こうしたことは、今被災している人たちが「明けない夜はない」と希望をもてる支援でもある。
 (ケー)

◆アレンジフラワー教室(天童市育成会)

2011年12月29日 | 日記
12月28日午後7時より天童ひまわり園内で
アレンジフラワー教室
がありました

私は初めての参加だったのですが、お正月用のお花
ということだったので、松竹梅を使ってお花をいけるのかな?
と思っていたのですが・・・

先生の口から「今日はおせち料理です」と聞こえてきたので
えっどういう事と焦ってしまいました

でも、私以外の方は「は~い楽しみ~」と楽しそうです

どうやら、真四角の花器におせち料理に見立ててお花を配置して
作品にするのだと解ってきました。


伊達巻や梅の花を作っています(これは生花ではなくオアシスや黄色の紙など)


みなさん手も動かしながら口も動きます


ストレッチア(極楽鳥花)は伊勢海老に見えるように作ります


小菊は栗きんとん・南天はいくらに変身していきます


先生にちょっとだけ手直しをしていただいて完成です
配置はその人それぞれの感性にお任せ


みなさんも完成しました

とっても楽しくて素敵な作品になりました

でも、「先生、これはどこに飾ればいいのですか床の間じゃおかしいですよね
との質問に、みなさん「あそうだね~どこですか

これには先生も「そうですよね~玄関でもおかしいし・・あまり高くない所にしてください」
とのことでした。どこに飾りましょうかね~


私は初めての参加でしたが、みなさん毎年参加されている方が多く
わきあいあいと作業をしていました。

私も仲間に入れていただいて大変たのしかったです
また来年も参加しよ~っと(F)

#地震発生から294日目「原発事故ですぐ逃げられなかった障がい者たち」

2011年12月29日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から294日目(12月29日、木曜日)。
 また、大震災発生から294日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、福島県では障がい者団体の連合組織(JDF)ができたおかげで支援物資が届き、在宅者の支援もできるようになったという報告があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その8】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 障がい者団体の連合組織を立ち上げて支援活動が円滑になった

【司会者】 はい、どうもありがとうございます。助言者の方から発言よろしくお願い致します。

【助言者】 はい、皆さんこんにちは。福島県からまいりました。
 育成会の被災支援活動を福島県でも立ち上げました。JDFという団体で、手をつなぐ親の会、障害者福祉団体、県社協、福島県作業所事業所連絡協議会、そういう団体がみんな集まって窓口を作ったんです。
 何でかと言いますと、支援物資が届いたのに窓口がないからやらんねーって言われたんですよ。だから、私達1カ月間なーんにも支援物資届かなかった。そして、目の前が大変だったもんだから、支援物資取りに行くにもガソリンが無いでしょ、だからもう、どっからも支援物資届かねって言ってました。
 そうしましたら、こういう会を立ち上げようじゃないかってことで、共作連から声が掛かりました。共作連が支援物資受けいれの中心窓口になった。
 その時に原発事故で南相馬市の方では障がい者が逃げられる状態でなかったんです。障がい者を抱えて家族が逃げられなかったんですよ。行政はどうしようもなくてお手上げ状態だった。共作連の人と小規模作業所、今はNPO法人ですけど、そこの逃げなかった人、そこの町は5分の4逃げたんですよ、原発事故の時、その逃げなかった作業所に残ってた人達に情報開示をしました。ここにこういう人がいますから安否確認をして下さい。
 その情報開示をしてもらったおかげで自宅にいる障がい者がみんな掘り起こされて、その作業所に集まった。
 ずーっと事業としては成り立っていかなかったんですけども、お風呂入れたり、日中活動の場として活躍したっていうことがありました。
 ですからこのJDFが窓口になっただけじゃなくて、各団体に支援物資を届け、その各団体の施設、在宅の人に呼び掛けて支援物資を届けることをやりました。
 今までに無かった団体JDFをつくってもらって良かったなって思います。私達は目の前しか見えなくて、そういうのつくるっていうことが頭に浮かばなかった。その時に身体障がい者の人と共作連の人、手をつなぐ親の会の会長、みんな集まって、このままではどうにもなんねえぞって、支援物資も届かねえってことで立ち上げてくれました。本当に助かりました。
 それから全国から色んな人達が応援に来てくれました。そのJDFを通して応援に来てくれました。そして主に、南相馬市に入ってくれました。南相馬市は避難準備区域っていうのと避難勧告って所ありましたから、本当にあそこにいる人達、私も訪ねて行ったんですけれど、みんな暗い顔でいました。
 本当に福島県は原発事故があってものすごく大変な思いをしております。以上です。

【引用終わり】

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 福島県も原発事故があり大変な状況が続いている。事故発生後9か月以上になって「冷温停止状態」になったと、野田佳彦総理大臣から12月16日「原発事故収束宣言」が発表された。予定より1か月以上早い収束宣言である。一つ山を越えて、めどがたったということであろう。しかし、楽観は許さない。厳しい状態はこれからも続くことを覚悟していかなければならない。避難地域にもどれなければ完全な事故収束とは言えない。
 「明けない夜はない」ことを信じ一歩ずつ解決に協力するしかない。
 (ケー)

◆御用納め

2011年12月28日 | 日記
県育成会事務局は今日が御用納めです

今年は東北ブロック大会の開催もあり

会員のみなさま、行政の方々、関係福祉団体の方々からも

大変なご協力をいただきました。

誠にありがとうございました

事務局は、明日29日から年明け3日まで閉局になります

ブログの方は、できるだけ毎日更新していきますのでご覧ください

来年もまたよろしくお願いいたします

#地震発生から293日目「緊急用電話の設置」

2011年12月28日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から293日目(12月28日、水曜日)。
 また、大震災発生から293日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、福祉避難所となれば高齢者も含み、多くなりすぎるので限定的に考える必要があるとする声があった。
 また、緊急時でも連絡可能な通信手段の提言もあった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その7】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 一般福祉避難所と障害者福祉避難所

【司会者】 どうもありがとうございました。
 ご質問などあれば承りたいと思います。はい、どうぞ。

【発言者】 宮城県手をつなぐ育成会の幹事をやってます。
 ある方の書籍に、「福祉避難所」の記述がありました。障がい者別福祉避難所が出来れば最高だと思います。ところが、一般福祉避難所となると、隣近所の高齢者の方、障害だけじゃなく、全ての高齢者を受け入れなければならなくなりますよと。だから少し一歩踏みとどまって、よく考えて行政に働きかけた方が良い。東京都の区の障がい者担当の課長さんの記述を見ました。そのことを提言したいと思います。以上でございます。

【司会者】 はい、どうもありがとうございます。それは本当に難しいことで、福祉避難所って、福祉って本当に広うございます。山形の場合も、特別養護老人ホームとかに福祉避難所を設けても、実際避難された方はほとんどいらっしゃらなかった。実際被災に遭われた宮城とか岩手、そして原発の目に見えない大きな被害を受けている福島の方々を、福祉という元に避難所を設けてどうだったのでしょうか。

【話題提供者】 この災害になる前に、今年の2月ですけれども、施設協会に対して市役所の施策政策課の方が来て、福祉避難所のために各施設と契約したいという話がありました。2月ですから、6月頃は契約に行きたいということだったんです。その前に3月11日があったわけです。
 それで、今また急ピッチでやっているんですけれども、実はその福祉避難所の図がもう大体出来ております。福祉避難所は盲、聾、それから自閉症、そういう障がい者、とにかく命が大切ですから、地域の避難所に一時避難して下さいと、そこから各障がい者別に搬送する、という市役所の今の所の考えです。
 親たちの方は、どこにどういう人達がいるから、その人は直接障がい別に運んでくれっていうんです。しかし、命を先に助けてそこから第二次搬送するということです。どのように移送を確保するかを市役所は考えているみたいです。
 もう一つ、電話ですけれども、私が避難所にいたら公民館の電話は通じるんです。でも私の施設の電話は通じない、それは光にしてるからだそうです。ですから、私は黒電話の線を一本光にしました。それを緊急電話にしてくれって業者に申し込んだんです。
 あと、市役所に提言してきたのは、そういうふうに一本特別に取りました。そして避難所として契約しました。そういう施設の電話を緊急用電話に登録して下さい。私達はお金は出しますけど、登録の申請はお金はかからないと思いますと。市役所の方でその電話を緊急用電話にお願いしますと、言っておきました。
 役所は、「はい、承ります。出来るかどうかわかりませんが。」ということでした。
   
【引用終わり】

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 東日本大震災の教訓から、福祉避難所のあり方、緊急時通信手段のあり方を準備しておく。いざとなっても「明けない夜はない」と前向きな活動ができる。
 (ケー)


◆改正障害者基本法(わかりやすい版)

2011年12月27日 | 障害者施策
いや~降りましたね・・・雪

事務局から見える景色

今朝の山形市は、昨日よりも渋滞が厳しかった気がします

山形県内にも被災地(特に福島県)から
多くの避難者がいらっしゃいますが
浜通りから避難してきた方などは、
雪の量に驚いていらっしゃるのではないでしょうか
特に、置賜地方や最上地方などは雪の量が尋常ではないので・・
でも、地域の方は温かいので心配しないでくださいね


昨日、全日本育成会から届いた書類のなかに
内閣府 障がい者制度改革推進会議で発行した
改正障害者基本法(わかりやすい版)
が入っていました。

このパンフレットは「改正障害者基本法」を
1人でも多くの皆様にわかりやすく伝えたいという
推進会議の思いを込めて作られています

推進会議のメンバーには、障害のある人たちも入っています
知的障害のほうからは、先日の東北ブロック大会にも
参加してくれたピープルファースト北海道の土本 秋夫さん
がメンバーになっておりますし
全日本育成会からも大久保 常明顧問が入っています


会議の最中に分りにくい事があった場合には

このようなレッドカードや
もう少しゆっくりわかりやすく
と書いてあるイエローカードなどを提示して
会議の内容を理解しながら進めて行っているようです

法律用語って健常といわれる人にとっても
分りにくい言葉が多く、私などは(私だけ?)チンプンカンプンです

このパンフレットには、漢字にはすべてルビがふってありますし、表現もわかりやすく書いてあります。

内閣府のホームページからダウンロード
できますのでご覧になってください。
改正障害者基本法わかりやすい版


#地震発生から292日目「情報の一元化を図る知的障害者連合団体を組織」

2011年12月27日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から292日目(12月27日、火曜日)。
 また、大震災発生から292日目の新しい朝を迎えた。

 山形市内、今朝も大雪で、真っ暗な早朝より除雪車が動いている。寝床から除雪している音が聞こえる。家の玄関前にどっさり雪を置いていっているだろう。明るくなったら雪片付けに精出さないと。スノーダンプ使って雪を押すのも力いる。ちょっと動いても汗かく。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、東日本大震災の支援で苦労したことを踏まえて、秋田県障害福祉団体連合会を発足させた発表があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その6】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 秋田県障害福祉団体連合会発足

【話題提供者】 育成会の被災支援活動の状況について、秋田県の取り組みを説明いたします。
 秋田県障害福祉団体連合会が、10月3日に発足致しました。
 秋田県の災害に対する状況は今回の震災では各施設が個別に対応できる範囲内でありました。育成会としては義援金を集めるぐらいしかしないで、特別の活動をしなきゃいけないってことはおこらなかった。
 ただ、県南部で局地的な地震があった。そうすると県中央部や県北部の生きている施設で、その職員が援助したり、壊れた施設の人を自分の施設で引き受けることがおきうるのです。
 この前の和歌山県、奈良県の水害なんか見ますと、やはり施設で局地的に被害を受けることがあります。そういう場合に残った施設で援助してやろうってことが必要じゃないか。今まで福祉協会とか共作連とか育成会とか、別々に目的があってできた組織ですけれども、こういう場合にはそんなことは言ってられない。全体で動く組織がどうしても必要だとなりました。それで連合会を組織することになりました。

 これをつくるきっかけは共作連で被災県の岩手県を支援する統括管理者が大きな役割を果たしてくれました。その人は、岩手県を支援する秋田県、青森県、近畿の人たちをまとめる役です。
 一番困ったのは行政が情報をを出してくれなかった。個人情報保護法によって、制約がかかった。行政はそれどころじゃなかった。知的障害まで手が回らなかったのが原因です。
 もう一つはやはり社会福祉協議会が全体のまとめを、本来するべき機関なんですが、老人達とか、病気の人達とか、それから病院とかで手いっぱいで、知的障害までは手が回らなかった。
 結局は、統括管理をする人たちが情報を自分で集めていかなきゃならなかった。そのときに、たとえば入所施設は福祉協議会が、小規模作業所は共作連が、それぞれのテリトリーが決まっている。お互いの情報の共有もなかった。
 情報を1カ所に集められなかった。それにどの施設で何が必要で、どういう支援をしなきゃならないかっていうことに関しても、やはり集められなかった。個別に各施設より聞くしかしょうがなかった。
 色んな協議会とか何か抜きにして、知的障害の所は全部集まって一元化する組織を作らなければならない。そうしなければ知的障害がたちどころに、対応することができないとなった。
 統括責任者が声掛け人になって、県育成会、知的障害福祉協会、きょうされん秋田、秋田県障害福祉協議会、秋田県社会就労センター協議会という組織五団体が集まりました。
 この後に重度心身障害親の会も入って6団体による組織ができました。
 育成会、重心親の会が利用者側の立場で、あとの4団体は施設側の団体になります。こういうのを合わせれば情報の一元化は可能ということで今回発足させることになりました。
 規約も10月3日に決定致しまして、それで、連合会の会長は、県育成会の会長がやることなりました。それは、利用者側に一番密着した形でのサービスなので育成会会長がやるべきだということです。声掛け人が事務局長を務めるということになりました。
 私ども育成会は利用者の保護者としての立場から、色々プラスになることを考えて行きたいと思います。まだ走り出したばかりでございます。
 災害の時に一番難儀したのは、在宅の方達です。施設に通っている子ども達に関してはある程度施設が追っかけてくれました。
 だけど在宅の方達は避難所に行っても、障がいのゆえ、車の中で過ごしたとか、そういう難儀をなされた。そしてフォローアップする機関も行政も動いてくれなかった。
 そういう方達も含めた、全体サービスが必要です。
 そうなりますと、育成会にそういう人達が出来るだけ入っていただいて、育成会がサポートをしていくという形がもっとも望ましいと話し合っております。
 局地的な災害にあってない県の施設の方達がサポートしていく役割をするのが第一番です。当然、水害とか火災とかに対処できる組織として連合会として動きたいと。
 もう一つは、これから行政とか法律とかに関して色んな要求とか陳情をしていかなければならない。議会の陳情だとか国に対する陳情だとか、色々出てくると思います。そういう場合にも育成会単独で陳情するよりは、6団体の連合会として陳情したほうがより効果が大きいだろうと思います。
 そういう形まで将来は持って行きたいと今動き出しました。まだ成果が出ていない状況ですけれども、参考になることがありましたらいつでもお問い合わせいただきたいと思います。以上で報告終わらせていただきます。
  
【引用終わり】

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 秋田県障害福祉団体連合会の今後の活動に期待したい。災害支援活動がきっかけになって組織されたことが重要である。いざという時に連合会組織がスピーディな支援活動をしてくれると被災者に希望がめばえる。「明けない夜はない」と前向きになれる。
 (ケー)


◆機関紙「手をつなぐ」1月号

2011年12月26日 | 日記
全日本育成会の機関紙「手をつなぐ」の1月号が届きました。


今回の特集はどう変わる?子どもの支援となっています。
昨年の12月に、障害者自立支援法や
児童福祉法の改正が盛り込まれた
「つなぎ」法が成立しました。

これは、2012年4月から本格的に施行されます。
障害のある子どもなどへの支援に関しては、
内容、ボリュームとともにこれまで例がないほど大きく
変わる見込みになっているようです。

今回の「手をつなぐ」には、改正のポイントなど
Q&Aの形式で分かりやすく解説してあります。

本日発送しましたので、しばらくお待ちください。

◆アメニティーフォーラムの案内

2011年12月26日 | 行事
全日本育成会より「アメニティーフォーラム」開催のチラシが届きました

今回のフォーラムは
「虐待防止法」「障がい者総合福祉法」
「相談支援事業」「児童福祉法」
などについての多彩なプログラムが用意されています。

「障がい者総合福祉法」については、全日本育成会の常務理事 田中正博さんも登壇いたしますし、このフォーラムの実行委員会の代表にもなっています。

案内チラシは、各支部育成会へ全て送れる部数は届きませんでしたので、県内4ブロックの育成会事務局と団体会員になっていただいている施設へ送らせていただきました。

興味のある方は、県育成会事務局、またはお近くの
地区育成会事務局へご連絡ください。

#地震発生から291日目「災害弱者支援個別計画が役立たなかった」

2011年12月26日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から291日目(12月26日、月曜日)。
 また、大震災発生から291日目の新しい朝を迎えた。

 昨日からの降雪により山形市内も30㎝以上の雪が積もった。家の前の市道にも除雪車が出て除雪していった。今冬始めての除雪車の出動だ。玄関口にはこんもりと雪を置いていった。今から雪片付けないと。

 さて、東日本大震災で被災3県の障がい者の死者数を市町村別に毎日新聞(2011年12月24日 東京朝刊)が調査した。障がい者の死亡率は一般と比較すると2倍を超える。
 以下のとおり、その記事を引用する。

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【引用始め】 http://mainichi.jp/select/weathernews/archive/news/2011/12/24/20111224ddm041040116000c.html

東日本大震災:障害者死亡率2倍 迫る津波、救援後手 電話通じず、警報聞けず

 大災害が起きたとき、地域の障害者を誰がどう救えばいいのか。東日本大震災で、東北3県沿岸自治体の障害者の死亡割合が住民全体の2倍に上っていたという事実は、障害者を守る方策が機能しなかったことを物語る。あの日、被災地の障害者はどんな状況に置かれ、行政はどう動いたのか。【野倉恵】

 障害者手帳の所持者2586人のうち約2・2%にあたる56人が亡くなった岩手県釜石市。手足や呼吸のための筋肉が衰える難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した60代の男性は、救急車に乗せられる直前、津波に流され亡くなった。

 地域の医療機関や介護支援事業者らは、災害時に動けない難病患者らをどうするか事前に検討していた。まず保健師らが安否を確認し、連絡が取れなかったり交通網が遮断されたような場合には救急出動を要請する--。

 地震発生時、保健師は事態が急迫していると判断、保健所から災害優先電話で119番通報して男性を助けようとした。しかし、何度かけてもつながらない。「寝たきりの患者を搬送してください」。やっと電話が通じたのは十数分後だった。

 地元消防や保健所などによると、救急隊の4人が男性宅に到着した時、既に玄関が浸水しており、男性を担架に乗せた直後、大量の水がなだれ込んで男性と隊員1人をのみ込んだ。隊員は生還したが、男性は亡くなった。

 住民の死亡・行方不明が700人以上に及んだ宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。聴覚障害者の渡辺征二さん(70)は地震発生時、やはり耳の聞こえない妻勝子さん(66)と自宅にいた。

 征二さんの兄敏正さん(74)が血相を変えて車で駆けつけてきたのは50分後。「早く乗れ!」。敏正さんは津波が来ると手ぶりで伝え、夫婦を車に押し込んだ。川沿いの土手を飛ばす車の数メートル後ろに黒い波が迫り、土手下の車と人をのみ込んだ。「30秒遅ければ、私たちも命がなかった」と敏正さんは振り返る。

 征二さん夫婦は普段テレビもあまり見なかった。消防団や地区の役員らが避難を呼びかけたようだが、聞こえない2人には伝わらず、「津波は全くわからなかった」(征二さん)という。

 釜石市も名取市も津波による浸水域を示すハザードマップは作製していたが、障害者らを誰が助けるのかは決めていなかった。

 ◇「時間帯」「障害別」で支援を
 国は05年、1人では避難が困難な障害者や高齢者らを支援するため、全国の市町村に「災害時要援護者避難支援計画」を策定するよう求めた。毎日新聞が調査した3県沿岸部35市町村のうち、だれがどの災害弱者を支援するかという個別計画まで立てていたと回答したのは宮城県石巻市、岩手県久慈市、福島県いわき市など6市。そこですら計画はほとんど役に立たなかった。

 個別計画を35市町村中最も早い07年4月に策定した石巻市。町内会、民生委員、消防団などのネットワークを使い、避難支援を申し出た人に原則2人の支援者をあてていたが、結果的に599人の障害者が亡くなった。市は今後、避難時の住民行動の検証をする方針だが、担当者は「津波は想定を超える高さで、逃げ込める高層ビルや高台がない所も少なくなかった」と話した。

 塩釜市の担当者も「防災無線や電話が使えず、支援者自身の身の安全確保すら難しかった」と話し、計画が機能しなかったことを認めた。

 「災害弱者に誰かをつけて一緒に逃げてもらう」という計画の仕組みそのものが、地元に伝わる「津波てんでんこ」の思想と「本質的に相いれないのではないか」(宮城県気仙沼市、岩沼市)との声も上がる。津波の際はめいめいが他人を気にせず逃げろという「津波てんでんこ」。気仙沼市の担当者は「支援者の安全優先を明確にしないと、なり手がなくなる。災害別、時間帯別、障害別に支援の仕方をきめ細かく決める必要がある」と指摘した。

 住民の高齢化や過疎化が進む三陸地方などでは、元々支援者の確保が難しい自治体も多い。震災後の災害弱者支援については「従前の支援計画を再び作っても意味はない。新たなまちづくりや復興計画と連動させるべきだ」(宮城県東松島市、南三陸町、岩手県陸前高田市など)とする自治体が多かった。

 自らも車椅子を利用する東俊裕・内閣府障がい者制度改革推進会議担当室長は「聴覚障害の人に危険を伝えれば自分で避難できるが、視覚障害や肢体不自由の人には移動介助が必要だ。災害弱者対策は都市計画、福祉、防災を総合して取り組むべき問題だ」と話す。

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 ◇障害者手帳所持者と全住民の死者数と割合◇
 【宮城】障害者手帳所持者(人)    %  住民全体   %

石巻市       599     7.4  2726 1.7

塩釜市         0     0.0    47 0.08

気仙沼市      135     3.7  1027 1.4

名取市        76     2.0   810 1.1

多賀城市       17     0.7   122 0.2

岩沼市        12     0.7   149 0.3

東松島市       96     4.8   990 2.3

亘理町        23     1.5   299 0.8

山元町        53     6.3   614 3.7

松島町         1     0.1    16 0.1

七ケ浜町        7     0.8    91 0.4

利府町         0     0.0    11 0.03

女川町        75    14.0   771 7.7

南三陸町       82     8.2   755 4.3

 【岩手】

釜石市        56     2.2   735 1.8

大船渡市       47     2.1   328 0.8

宮古市        36     1.1   418 0.7

大槌町        59     5.8  1184 7.4

山田町        60     5.4   730 3.8

岩泉町         1     0.1    11 0.1

田野畑村        3     1.5    23 0.6

野田村         1     0.4    28 0.6

久慈市         0       0     4 0.01

 【福島】

相馬市        17     0.9   457 1.2

南相馬市       34     0.8   640 0.9

いわき市       35     0.2   307 0.09

新地町        17     3.9   109 1.3

浪江町        23     1.7   146 0.7

広野町         0     0.0     2 0.04

楢葉町         1     0.2    11 0.1

富岡町         1     0.1    19 0.1

大熊町         0     0.0     9 0.08

双葉町         1     0.3    30 0.4

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3県計      1568     2.0 13619 0.9

【引用終わり】

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 以上、障がい者を災害時どのように支援するかが問われている。災害時支援個別計画がいざというとき機能することが必要である。計画の策定がなされていないばかりでなく、計画が策定されていてもうまく機能しないことが東日本大震災であきらになった。
 障がいに応じ、さらに個々に応じたきめ細かな計画づくりと、定期的な見直しがなされるシステムを確立していくことが求められる。

#地震発生から290日目「東日本大震災が2月に起きていたら凍死者も出ていた可能性あり」

2011年12月25日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から290日目(12月25日、日曜日)。
 また、大震災発生から290日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、東日本大震災から学んだ教訓は、停電、通信不能、交通機関のまひ等に対してどのように備えをしておくかである。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その5】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 停電はあらゆる生活を危機に落とし入れる

【話題提供者】 大震災から得た教訓と致しましては、通所施設において電気が止まったことで通信、送迎といった問題が多かった。通所施設はその対応をどうするかが、一番重要なんじゃないか。
 それから養護学校等では、たまたま卒業式で早く帰しただけの幸運に恵まれたわけですが、通所施設と同じような状況を想定しておかなきゃいけないことになると思っています。
 水槽が屋上にあってポンプアップしているところでは、停電になれば、水が出なくなる。だから水道は使えない、トイレも使えないことが想定されます。
 照明があるっていうのは非常に子ども達にとって安心になります。小型の自家発電設備を常備しておく必要があるんじゃないか。今は電気を使わなきゃならない暖房設備ですが、灯油を入れて芯に点火する暖房器具を必ず用意しておく。
 県の方では3月だったからまだよかったと言っていました。
 もし、1カ月前に震災が発生していたら、たぶん凍死者が出ていただろうという話をしておりました。
 それから、通信手段としての電話、利用者の送迎が通所施設で大きな問題となります。
 連絡方法に関してやはり用意しなきゃいけない。特に携帯電話が結構規制されておるんですが、時々通じるものがありました。特にメールやツイッターは使える形が取れますので、それの利用、ある施設では連絡網をツイッターとかメールのアドレスで変換したという所もありましたので、それがいいんじゃないか。停電で携帯電話が直ぐ切れちゃいますので、その乾電池とか、自動車から充電する装置が、割合安い価格で売ってるそうですのでそれも備え付けておいた方がいい。
 もう一つはテレビが役に立ちませんでした。やはりラジオだったわけですが、そのラジオ放送局に頼んでそれぞれの施設の避難状況とか連絡をラジオから放送してもらうという手も一つの方法としてあるんじゃないかって話もしておりました。
 旧式の電話機、あれは通信回線接続だけで済みます。電話回線一つだけで、電気回線を必要としません。もしあれば、捨てないで備蓄して置いたほうがいいと思います。
 あと交通機関は止まりますので、職員が送り迎えしなきゃならない。ある施設では個人の連絡網に今度全部住宅地図を添付することにしたと。真っ暗闇でそこのうちへ連れて行ったけれどもどこのうちだかよくわからなくて、引き渡すのに難儀したという話をしてましたので、個人情報の中に住宅地図を添付する形を取った方がいいんじゃないか。
 各施設では防災マニュアルを作っております。今回は行政が震災でそれどころじゃなかったですね。特に知的障がい害者のところまでは手が回らない。たぶん行政のを参考にしたマニュアルを作っておると思うんですが、それは全然当てになりませんでした。地力でやれるマニュアルに変更しておくべきだろうというような気が致しました。
 やはり暖房とか、通勤とか考えると、灯油、重油、ガソリン含めた燃料の備蓄、米とか水とかのストックを1週間ぐらい持てるような体制を作っておく必要があります。
 以上で秋田県の災害に対する状況、それから障がい者施設での対応状況に関して参考までにお話させていただきました。
  
【引用終わり】

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 以上、非常時の体験に基づいた詳細な対策である。この対策を忠実に実行すれば減災につなげることができる。再び大震災がきても、「明けない夜はない」と前向きに進んでいくことのできる備えである。
 (ケー)


#地震発生から289日目その2「障がい者の東日本大震災死亡率は2倍」

2011年12月24日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から289日目(12月24日、土曜日)。
 また、大震災発生から289日目の新しい朝を迎えた。

 毎日新聞は東日本大震災による障害者の犠牲者調査を行い、その結果を発表した。
 それが以下のとおりである。
毎日jp(2011年12月24日、土曜日)http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111224k0000m040091000c.html

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【引用始め】

東日本大震災:障害者の死亡率2倍 在宅者保護難しく

 東日本大震災の被害が最も大きかった東北3県の沿岸部自治体で、身体、知的、精神の各障害者手帳の所持者に占める犠牲者の割合は約2%に上り、住民全体の死亡率に比べ2倍以上高かったことが、毎日新聞の調べで分かった。多くの犠牲者は自宅など施設以外の場所にいて、移動が困難だったり状況を把握できず津波から逃げ遅れたとみられる。障害者が抱える災害時のリスクをどう減らすかが改めて問われている。

 調査は10月、3県の沿岸部のうち犠牲者が出た35市町村を対象に実施、33市町村(宮城14、岩手9、福島10)が回答した。仙台市と岩手県陸前高田市は「障害者の死者数を把握できない」として数値の回答はなかった。33市町村の死者は計1万3619人で、全体に占める割合は約0.9%。身体、知的、精神の各障害者手帳の所持者(計7万6568人)に限ると犠牲者は1568人で、死亡率は約2%に達していた。

 障害者が亡くなる率が特に高かったのは宮城県沿岸部。599人の障害者が亡くなった石巻市は7.4%に上った。538人は身体障害者で、うち256人が肢体不自由だった。視覚障害者と聴覚障害者もそれぞれ30人以上亡くなった。市障害福祉課は「施設入所者やデイサービスを受けていた人たちの死亡例は、ほとんどなかった。自力で動けなかったり、津波が迫るのが分からず自宅などで逃げ遅れたケースが多かった可能性がある」と指摘する。

 宮城県女川町では75人の障害者(身体69人、知的4人、精神2人)が犠牲になり、死亡率は14%に達した。このほか同県南三陸町(8.2%)、岩手県山田町(5.4%)、福島県新地町(3.9%)などの死亡率が高かった。【野倉恵】

 ◇過酷な現実示す数字
 藤井克徳・日本障害フォーラム幹事会議長の話 障害者がいかに過酷な現実にさらされたかを示す数字だ。この現実を直視せずに社会保障制度や復興策の議論を進めることはできない。国が責任を持って詳細な実態を調査すべきだ。

毎日新聞 2011年12月24日 0時03分
  
【引用終わり】

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 以上、障がい者は本調査から災害弱者であることがあらためて明らかにされた。
 特に、在宅者で逃げ遅れた例が多い。肢体不自由者が多く含まれている。自力で動けなかったためだろう。
 その半面、施設にいた障がい者の犠牲が少ない。適切な支援がなされたことの結果である。
 こうした結果をふまえ今後早急な対策が必要である。

#地震発生から289日目「障がい者施設の被災調査=停電・暖房なし・連絡困難・送迎困難」

2011年12月24日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から289日目(12月24日、土曜日)。
 また、大震災発生から289日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、災害時、障がい者施設ではどんな問題が生じたかその調査内容の発表があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その4】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 通所施設・特別支援学校・入所施設・グループホームの被災調査=停電・暖房なし・連絡困難・送迎困難

【話題提供者】 秋田市の障がい者施設は30くらいあるんです。障がい者施設がどういう状況であったか、3月25日に調査致しました。各施設の保護者会長に調べていただきました。その中で、入所施設3つ、通所施設7つ、特別支援学校2つから、調査結果が来ました。
 まず施設の人的被害や建物被害に関しては30センチぐらい水槽が浮いたという所があったようですが、被害は全然ありませんでした。
 それから災害時の学校や施設での対応は、通所施設において停電と同時に3時近くになっていたので、作業が終わる頃でした。すぐ作業を中断しました。また、市内に販売に行っていたり、作業に出ていた人達は、その作業所から通所施設に帰らせたそうです。夕方になっていましたので、職員は懐中電灯をつけて帰る準備をさせました。
 入所施設では、隣の寄宿舎に戻したそうです。ただ、寄宿舎自体は暖房が効かない、照明もない、炊事も出来ない、トイレもポンプアップしている水槽から流れて来ない。ということで、非常に難儀したと聞きます。
 二つの特別支援学校、養護学校では、その日、午前中に卒業式だった。そのために、午後には全部自宅に帰しておったということです。普通であれば、通所施設と同様の状況になっていたはずです。たまたま恵まれて、そういう形で済むことが出来ましたということです。
 災害が起きた時、通所施設では保護者へ連絡して、どう子ども達をうちへ帰すか、それが一番大きな問題です。
 まず保護者への連絡では、固定電話、携帯電話とも通じなくなりました。非常に難儀したようです。固定電話も、FAXをもった電話になりますと電気を使いますが、昔の固定電話は通信回線に接続するだけなので、電気を必要としない。そういう固定電話だと時々かかる。それから、携帯電話もメールとかTwitterだと動く所があってなんとか連絡が家族達にはついたそうです。そうしたものを付けてない方達には、近くの保護者の方に行ってもらって連絡した。いつなんどきどういうふうに送っていくかということを連絡したそうでございます。
 入所施設の方には家族からどうなったかという問い合わせが沢山あって、それに答えるのに通信が出来なくなって非常に難儀したと言ってました。
 特に通所施設の子ども達、利用者をうちへ送迎するのにどうするかというのが一番問題でした。迎えに来た人もあったそうです。それから大部分は職員の車で自宅へ送っていった。マイクロバスのある施設では、マイクロバスで駅まで送って行って、駅にお母さん達に迎えに来てもらう。そういう形を取りながら、夜の9時すぎまでかかって、全部送り届けることが出来たそうです。
 ただ、秋田市から15キロくらい離れた雄和って場所に住んでる子供達を送って行くときには施設の職員が、行くときには利用者が一緒に行ったんで、信号が点滅しなくて真っ暗闇だったんですが、行くときは行けた。
 ところが帰り道、土地が不案内だったものですから職員が施設に帰ってくるのに非常に難儀したと、そんなことを、話もありました。
 それから災害一週間くらいの対応に関してどうだったかと聞きました。
 通所施設と学校は次の日とその次の日は土曜日、日曜日だったものですから、当然休みで良かったんです。月曜日14日の日もほとんどの施設は休みにしたと言っています。
 通勤のバスがうまく動かなかった。それと昼食も、出せる食材とかが無かったことが大きかった。平常に集めた施設や学校は午後の2時に帰した。そういう形を1週間くらい取りまして、平常に戻ったのは28日頃になってからということでありました。
 それから秋田市では、17日に計画停電の予定が入ったんです。この時には事前にそういう連絡があったので、施設をほとんど休ませました。ただ実際は計画停電は実施されませんでした。
 入所施設は長い経験があって立派ですね。米とか色んなものをストックしてありましたので、なんとか食いつないでずっと入所者を入れておくことが出来たと言っておりました。ただ、ガソリンが不足しているものですから、遠距離から通勤している職員の方は、その施設に泊まってもらって宿直勤務を主にしてもらったとのことです。
 もうひとつ、グループホームの対応です。グループホームも停電、暖房がない。食料もその日その日で作ったり、買ったりしているので十分な食料もない。宿泊の支援員が通勤することも出来ない。それで、ほとんど自宅へ帰したというグループホームが多かったです。
 それから入所施設で経営しているグループホームは、そのグループホームには置けないので全部施設の方へ集めてグループホームが動ける時まで施設で待機させたという話をしてます。
  
【引用終わり】

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 障がい者施設の被災状況を各地域で詳細に調査することが、今後の対策にとって重要となる。これから地域生活の安心・安全を確保し、被災しても「明けない夜はない」と前向きな姿勢になるにも大切である。
 (ケー)