山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

#地震発生から193日目「普通の暮らしの空気を失わない」

2011年09月19日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から193日目(9月19日、月曜日)。
 また、大震災発生から193日目の新しい朝を迎えた。

 本日は、敬老の日。三連休の最終日。高速道路が渋滞していると報道している。
 ところで、曾野綾子氏は書評インタービュー(産経新聞 平成23.9.18)において、震災の日に「普通の暮らしの空気を失わない」ようにしたと、次のように語っている。

************************************************

【引用始め】         

「著者に聞きたい」曽野綾子さん 2011.9.18 07:59

 □『揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録』  

 人生、何が起きるか分からない

 半年前、震災が襲った日、曽野さんがたった一つ心がけたのが「普通の暮らしの空気を失わないこと」だった。慌てず、情報を過信せず、自分で自分の身を守る。そんな普段通りの“流儀”を貫いた。

 本書は3・11以降の個人的記録を中心にまとめた。平和ボケのこれまでの日本人に耳の痛い言葉が並ぶ。〈人間は嘆き、悲しみ、怒ることには天賦の才能が与えられている。しかし今手にしているわずかな幸福を発見して喜ぶことは意外と上手ではない〉

 「戦争中は食料の配給も避難所もボランティアの支援もなかった。あらゆる補償がなくても、みんな必死で生きてきた。それを思えば、いま自分に与えられている豊かさに感謝しないといけない」

 被災地の避難所で暮らす高齢者に対して「上げ膳据え膳」の弊害を説く。「被災者に優しくするのがいけないというのではない。『弱者に優しく』という一方的な決めつけがよくない。生きるということは、何らかの仕事を見つけて働くことなんです」

人間とは良心のかたまりではなく、その場その場で卑しさや怠惰な心が交互にのぞく動物である。「この震災には『運命の贈り物』のような側面がある。断水や停電を経験して水と電気のありがたみを知ることができた」。平和なご時世よりも「国難」といわれる事態になると、曽野さんの言説は一層、心に響く。実は本人もそれをご承知だ。

 少女時代は戦争で貧困にさらされ、40代は病との闘い、50代からはアフリカの最貧国にたびたび足を運び、カトリックの修道女の仕事を支援してきた。そんな“回り道”の歩みから学んだ教訓は「常に人生は次の瞬間、何が起きるか分からない。何事も信じてはいけない」ことだ。(扶桑社・1050円)
 (日出間和貴)

【引用終わり】

************************************************

 東日本大震災のような大災害に遭遇すれば、何もかも世界が一変してしまったと思う。肉親を亡くし、家を流され、福島第一原子力発電所事故によって住みなれた土地を離れなければならない、さらに仕事もない。こうした境遇の中で「普通の暮らし」なんて言われても傷口に塩を塗っていると思われるに違いない。
 でも、これからの新たな生活を立て直すというのは、今までの「普通の暮らし」を取り戻すことである。そのためにも、「普通の暮らしの空気」を続けることは重要である。「明けない夜はない」ことを信ずるのも、「普通の暮らし」に一歩近づくことである。
 (ケー)