私の2連ポスターは小沢一郎前代表と一緒に写ったものだったのですが、代表交代に伴い、鳩山由紀夫新代表とのものに貼り替えました。16日に代表選挙が行われた後すぐに発注し、20日昼に新しいポスターが到着しました。約2日半で選挙区内の約1500枚のポスターを貼り替えることができました。
小沢前代表との2連ポスターに関しては批判も多く頂き、「小沢さんとのポスターはあかな!」と、外されたポスターは数十枚に及びました。ポスターを貼って頂く苦労は並大抵のものではなく、一枚一枚には思い入れもありますので、自分の分身が失われていくような心境でした。しかし、2連ポスターは党の顔である代表とのツーショットが基本と思っていたので、ここは頑張りどころと思っていました。しかし、代表が代わったので、今度は迅速に新しいポスターに貼り替えることにしました。
ポスターのデザインは同じですが、私の方を濃紺、鳩山代表を赤地に白抜きと反対にしました。また、新たに写真を撮影し、正面を見つめる写真に変えました。また、文字の大きさと配置を変えて写真を3割方大きくすることができました。
ポスターはまだまだ増やしたいと思っています。皆さん、是非ご協力ください!
阪口直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ
ブログ「もうひとりの阪口直人」
小沢前代表との2連ポスターに関しては批判も多く頂き、「小沢さんとのポスターはあかな!」と、外されたポスターは数十枚に及びました。ポスターを貼って頂く苦労は並大抵のものではなく、一枚一枚には思い入れもありますので、自分の分身が失われていくような心境でした。しかし、2連ポスターは党の顔である代表とのツーショットが基本と思っていたので、ここは頑張りどころと思っていました。しかし、代表が代わったので、今度は迅速に新しいポスターに貼り替えることにしました。
ポスターのデザインは同じですが、私の方を濃紺、鳩山代表を赤地に白抜きと反対にしました。また、新たに写真を撮影し、正面を見つめる写真に変えました。また、文字の大きさと配置を変えて写真を3割方大きくすることができました。
ポスターはまだまだ増やしたいと思っています。皆さん、是非ご協力ください!
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党首討論、自転車街宣活動の合間に見ました。鳩山代表の言葉には、これまで見たことがないほど迫力とキレがあり、頼もしく感じました。「他人の幸せを幸せとする社会」と、様々な例を挙げて国家の未来の在り方についてビジョンを示した点は評価に値すると思います。揚げ足取りに終始した麻生首相を終始圧倒したように見えました。
メモについては気づきませんでしたが、上手く話すことよりも、自分の言葉で話すことの方が遥かに大切です。メモを見るようではダメですね。
野球で言えば、麻生総理の投球はチェンジアップの多用であったように思われます。
野球というゲームの中ではかわす技術も必要ですが、しかし党首討論という1対1の対戦の中では、ストレート勝負をして欲しかったというのが中継を聞き終わった後の感想です。
次回の党首討論では、双方がストレート勝負をし、それをフルスイングで迎え撃つ対戦を見たいものです。
これは国民への礼儀とも言えるでしょう。
理由は、民主党の人の悪口や、スタッフのプライバシーとともに私の目の前にやって来たからです。
国民にとっては、誰が人間失格でも、病気でも、離婚しても、選挙で落選した人でもいいんです。
とにかく政権交替!
身内の醜い争いはやめて、自民党を相手にしなくてはならないでしょ
阪口さんも前向きに活動してください。
単に好青年だけでは、この保守王国には勝てません。私は阪口色に煌く紀ノ川を見たいと心から思いました。毎日が大変だと思いますが応援しております。頑張って下さい。
またお手伝いに行きますので、よろしくです!
実質的に中2日の弾丸トラベラー的超過激なスケジュールになりましたが、メコンデルタで人々の生活を垣間見たり、ベトナム戦争時に撒かれた枯葉剤から復活したマングローブの森へ分け入ったりと、短いながらも有意義な日々でした。
現地で二十歳を迎えた長男が、この旅行から何を感じてくれるのか…?
父親としては、将来は阪口さんのように地球規模で活動ができる人物になってもらいたいという希望はありますが、それはしかし押しつけるものでもありませんので、まずは海外に興味を持ってもらえればというところです。
今週の木曜日、6月4日は中国の天安門事件から丁度20年となります。
天安門事件といえば、阪口さんがキャノンで中国関係のビジネスに関わられていた頃の事件ですね。
阪口さんが国際協力の道へ進むひとつのきっかけにもなった事件であったと記憶しています。
その時から20年。阪口さんにはこれまでのNGO活動を通して培われた経験や知識を今度は議員として外交関係の分野で力を発揮してもらいたいと願わずにはいられません。
追記
メコン河での大なまず釣りは、今回の旅行のひとつのテーマでしたが、残念ながら釣ることはできませんでした。
三高さん、ベトナム旅行の報告、ありがとうございます。私がメコンデルタに行ったのは1993年。国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)での活動を終え、引き続いてカンボジアで活動する合間に行ったのでした。
カンボジア人とベトナム人の気質の違いを感じ、ベトナム人の勤勉さと勇気に感銘を受けたのは、メコンデルタにあるクチのトンネルですね。南ベトナム民族解放戦線が、スコップの手堀りで250キロにおよぶ地下都市を作り上げ、猛攻を加える米軍に頑強に抵抗した象徴になっています。土が固く、この地域では農業に向かない土地を逆利用し、「ゲリラはどこを探してもいないが、どこからでも現れた!」と米兵に言わせた神出鬼没な攻撃で、ついに米軍をギブアップに追い込んだのでした。
昼間はトンネルを拠点に執拗なゲリラ戦を展開して米軍をパニックに陥れ、闇夜の闘いを恐れる米軍が基地に帰った夜、田んぼで農作業をしたり、新たな闘いに備えるなど、終始、解放戦線ペースの闘いだったそうです。
ベトナム人の粘り強さと祖国を守る気持ちの強さに驚嘆するばかりでした。