阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

人生とは旅である。14年目の七夕の夜に

2006年07月07日 23時17分49秒 | 日常
人生とは旅であり、旅とは人生である
 ~1992年7月7日-

俺が「選挙」という旅に出てから今日でちょうど14年の月日が経った。
29歳の七夕の日、国連ボランティアとしてカンボジアに旅立ち、その旅は始まった。

カンボジアの秘境ラタナキリ州。

国連が史上初めて一国の代わりに統治を行うUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の一員になり、選挙を成功させるため、毎日、夢中になって活動を続けた。

高床式の民家に住み、連日、地雷や不発弾の埋まったジャングルを歩き、何度もマラリアに襲われながら、俺の任地であるボケオ郡での選挙実施のため準備を行った。

脅迫に遭い、仲間が殺されても、ひたすらカンボジアの未来を信じ活動を続けた。

この旅が、こんなに長くなるとは、俺自身思いも寄らなかった。

カンボジアの後はモザンビーク、さらにボスニアに行き、そして、専門学校の教員に。大学院でも勉強を続け、その後、首藤信彦衆議院議員の政策秘書になった。

国会で秘書をしながら、インターバンドという平和構築NGOの事務局長も兼務した。
アジアの民主化支援NGOとともに、スリランカ、東ティモール、パキスタン、カンボジア、アフガニスタン、インドネシアなどの紛争地域で選挙を支援する活動を続けた。
また、平和構築活動において重要な除隊兵士を支援する活動の責任者になり、カンボジアでのプロジェクトを立ち上げた。
紛争地の現場と国会の両方で活動を行う中で、俺自身が国政に携わり、変えたいという強い思いに突き動かされた。民主党の候補者公募に応じ、2003年、衆議院選挙の候補者になった。

選挙は国の未来を決める大切なもの。

それだけに、候補者は多くの人前に晒され、また多くのジャーナリストから取材を受ける。
多くの期待や注目を集め、そして当選のための責任を負う。
地道な活動の苦労を忘れさせてくれる人のやさしさに感動することもあれば、自分の存在価値を全て否定されるような批判に苛まれる。

衆議院選挙の候補者になって以来、「選挙、好きですか」と言われても、「好きだよ」と素直に言えない自分がいた。
多くの方々の支援に感動を覚えると同時に、保守的な地盤、圧倒的に強力な対立候補の存在は、とてつもなく大きな壁だと感じていた。

けれど、総支部代表として2度目の挑戦になった昨年9月11日の総選挙の後、志を遂げるまでは、絶対にあきらめたくない自分が確かにいることがわかった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

落選の翌日から一週間、俺は毎日駅に立った。
どこの駅に立っても掛けてもらった「がんばれよ」の励ましの言葉。本当に多くの方々に支えられていることを実感した。

選挙という旅の中でも「総支部代表」は、俺にとって特別に重い地位だった。

2度目になった2005年の衆議院選挙に向け、俺は、政権交代の必要性について、また、議員になった時に実現する政策について、連日、駅頭に立って訴え続けてきた。
「政治家として、俺は何を変えることができるのか」それだけを考えて活動してきた。

俺は2005年の総選挙、民主党の可能性はかなり大きいものと感じていた。
多くの候補者仲間が、政権交代という使命を胸に、地を這うような活動を続けていた。
俺も20000件以上の地域の方々と対話をし、岡田代表(当時)を招いてタウンミーティングを行い、そして凍えるような冬の日も、灼熱の夏の日も、毎日駅頭に立って支持を訴えてきた。
しかし、本当に残念だったのは、最初は民主党優勢と見られた選挙戦が、終始小泉首相のペースで進み、民主党が100%の力を出すことができなかったことだ。
「郵政民営化」をたったひとつの争点にし、次々に「刺客」を放ってマスコミの話題を独占する小泉首相の劇場型選挙戦略の前に、民主党が完全に埋没してしまったからだ。

89901票を頂きながら、当選という結果を出せないままに総支部代表を辞任するのは、とても辛いことだと感じている。しかし、民主党の規約に従い、再度、公募に応じて、チャレンジを続ける決断をした。

紛争地の選挙支援、そして自分自身の選挙活動の中で培った経験は、これからも俺が政治活動を行う上での基盤になるだろうし、自信になると思う。

みんなの声を胸に、これからも挑戦を続ける。

そう思えばこそ、これから先の新たな旅で、どんな困難なことがあろうと、乗り越えていけると信じられる。

新しい挑戦はこれから始まる。

いったんは、民主党神奈川17区総支部代表を辞任するけれど、政治への挑戦をやめることは絶対にないだろう。
駅頭で、民家の軒先で、また路上で、さらに世界各地で、人々の声を聞いて歩くだろう。
民主党の公募に応じ、最初に挑戦した時と同じ気持ちで。そして、14年前の今日、勤めていたキヤノンを辞めて、カンボジアに赴いた時の瑞々しい気持ちを持って-。

そして、最後まで信じ、応援して下さった方々に心の底から一言を。

   ありがとう。more than yesterday. 明日を信じて。

                                   さかぐち直人


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