中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

大津事件のロシア皇太子(旧中山道を歩く 330)

2012年06月08日 10時33分50秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(京阪電車の踏み切り)


(踏み切りの先の二股道路を左へ)

(大津宿 6)
京阪電車の踏切を越えると、道路は二股になっているが、
旧東海道の案内が建っているので、左の方へ行く。

少しすると「平野神社」の石碑がある。
この神社は平安時代に行われた、
優雅な遊びの蹴鞠が伝承されている神社で、
8月に蹴鞠の儀式が行われるという。


(蹴鞠で有名な平野神社)

その後道路は、旧東海道らしい古い家が点在し、広い通りと交差する。
この道を右に行くと三階建ての琵琶湖文化館(総合博物館)がある。
道路をなおも直進する交差点では、今度は左手に滋賀県庁が見えてくる。
次の交差点では、左手にJR大津駅が在る筈である。
在るはずというのは、現に確認したわけでなく、
地図の上で確認できているという事だ。
どの交差点にも、旧東海道の地図つきの案内板が立っているので安心だ。


(東海道の古い家)


(東海道の古い家2)


(三階建ての文化館)


(次の信号左の滋賀県庁)


(この先にJR大津駅がある筈)


(地図でご確認を!)

点在する古い家の間を抜けていくと、
「此付近露国皇太子遭難之地」の石碑がある。
世に言う(大津事件碑)である。
去る事120年余の事件である。


(東海道の古い家3)


(東海道の古い家並)


(東海道の古い家と「露国皇太子遭難」の碑)

露国皇太子が日本視察中、
警備担当の滋賀県警察官に切りつけられる事件が発生した。
ここで問題は、小国日本が大国露国の皇太子を、
日本の国を挙げて大歓迎している最中の出来事で、
露国からいかなる仕返しがあるかわからない状態であったのに、
この事件の警察官を裁くのに、
政治が口を挟んで司法に介入しなかった事である。
司法の独立を守った事である。

ボクの父は明治の警察官で初めは十手を持っていたそうです。
十手そのものは大きくて重いので、
引越し途中に前の住まいの庭に突き刺して置いてきたとのことでした。
十手がどうして不要になったかというと、
サーベルが代わりに貸与されたからだそうです。
このサーベルは、子供の頃チャンバラごっこでよく使って、
抜いて叱られた事があるが、抜いても刃がなく、
鉛筆さえ削ることが出来なかった事を覚えている。
しかし、剣道の素養のある人の手に掛かれば、
一撃で脳天唐竹割くらいはできると思われる。

話がとんだ所に反れてしまった。
この先旧東海道らしい道を進んで、札の辻交叉点に出る。
ここの道路には京阪電車の路面電車が走っているから解りやすい。
道路を渡った向こう側に、大津市道路元標があり、旧東海道の案内もある。
(札の辻)の由来について、この案内板に説明がある。
(札の辻の名は、江戸時代、
幕府の法令を記した高札が建てられた四つ辻であったことに由来しており、
旅人たちに、馬や人足を提供する大津宿の人馬会所も、
この角にあった。
ここは、東海道と北国海道(西近江路)の分岐点でもあった。)とある。


(東海道の古い家並2)


(札の辻交差点、路面電車のレールがある)


(大津市道路元標と東海道の案内)

交差点には、左手にはクリーニング屋さんがあり、
信号を渡った向こう側には(大津市道路元標のあるところ)、
(らくらくクラブ 札の辻支所)がある。
旧東海道はここ(札の辻)で左折する。


(左かどのクリーニング屋さん)


(らくらくクラブ 札の辻支所)

道路は上り坂になり、途中右手に(蓮如上人近松御旧跡)
の石碑が建っている。
碑の左面には、(是より半町 京大阪 江戸大津 講中)とある。
蓮如上人御旧蹟の本願寺別院が石碑の奥にある。

この石碑を見ているときに路面電車の京阪電車が通りかかった。
電車は坂の途中で右折して行く。


(道路は上り坂になる)


(蓮如上人近松御旧跡の碑)


(是より半丁・・)


(本願寺別院)


(京阪電車)

路面電車の後を追いかけるようにして、先へ進む。
右手に南無妙法蓮華経、妙光寺の石碑があり、
参道には線路があり、その向こう側に山門がある。
道路を進むと、同じく右手に「関蝉丸神社」と
「音曲藝道祖神」の二つの石碑が建っており、
その先に灯籠と踏切がある。
踏み切りの先に鳥居があって、奥に神殿がある。

関蝉丸神社 下社である。


(京阪電車を追いかける東海道の登り道)


(妙光寺)


(関蝉丸神社の石柱)


(関蝉丸神社の鳥居)