(徳音寺から見た義仲橋、その背景の山々)
(一番奥に見える山)
(宮ノ越宿4)
徳音寺を出て義仲橋を渡り、元の道に戻り進むと本陣跡、
脇本陣・問屋跡、中山道宮ノ越宿の標柱がある。
(本陣跡)
(本陣の建物)
(脇本陣・問屋場跡)
街中をしばらく歩くと、
明治天皇御膳水の井の前を通り、
下町公民館の庭の石造物群を左に見て進むと、
その先が二つに分かれる。
左を見ると上り坂道で踏み切りがあり、
案内書によると道路は左に踏み切りを渡るようになっているので、間違いそうであるが、
道路は鳥居峠より長い下りになっているはずだから、
①上リ道は間違い、また、
②一里塚があるはずであるのに、まだ見ていない、
以上の2点から判断し、直進する。
(宮ノ越の町)
(明治天皇御膳水)
(下町公民館と石造群)
(左上には進まない、右手に行く、右側に見えるコンクリート工場)
(宮ノ越の一里塚の碑)
やがてこれが一里塚の碑?と思われる、
文字が何も見えない標柱が左の空き地に建っている。
道路反対側にコンクリート工場があり、案内書から行けば、
どうも宮ノ越の一里塚らしい。
山間の何も無い道を、さらに進んで、踏切を渡る。
踏み切りは渡るとすぐ右折し、
線路を頂点にかまぼこ型になっており、
長い車は通り抜け不可の看板がある。
長い車の前輪が線路を越えると、
車の腹が線路につかえて動けなくなる、
そんな踏切である。
よくよく見ればJRが「第5仲仙道踏み切り」と書いている。
(何も無い田舎道)
(第五仲仙道と書いた踏み切り)
田舎ののどかな道を進むと、
左手の雪をかぶった山の嶺がとても美しい。
なんと言う山であろうか、これほど間近にこんな美しい山を見たことが無い。
一流のカメラマン気取りで写真を撮りながら、
また、いっぱしの登山家気取りで、道を歩く。
通り抜ける風が心地よい。
この辺り右側にJR原野駅があるはずである。
やがて、中山道中間地点の看板が見える。
日本橋を出て29日目にやっと中間地点である。
中山道69次は距離にして約534km。
丁度真ん中の267kmを歩いたことになる。
この辺りから見る山もとても美しい。
道路案内標識は、木曽駒高原を指しているから、
きっと木曽駒ケ岳であろうと勝手に決める。
(中間地点を表わすと言うから立派なものを想像したが)
(美しい山、木曽駒ケ岳?)
その先の旧中山道は複雑になっているらしく、解りにくい。
どこで間違えたか、国道19号線に出てしまった。
たぶん左へ急カーブしたところを直進するのが正しいようであるが、
戻る気にもならず、国道19号にでて、
間違いに気づいた「栗本」の信号から右に入る。
(屋敷跡の案内)
(屋敷跡を示す看板)
道なりに進むと、左側に「中原兼遠屋敷跡は右」の標柱があるので、
右折し田んぼの中の道を行くと、JRを高架で渡る。
渡り終えると道なりに左に曲がるが、曲がった所線路際に、
「中原兼遠屋敷跡」のお粗末な看板がある。
「木曽義仲の居住地で巴の生誕地である」と書かれている。
元の道に戻る。
すぐ、左手の小高いところに神社があるのが見える。
近づくと手習天神とある。
手前に天神橋があると案内書に在るが、これが橋?という代物。
(手習天神)
手習天神の説明では、
(このお宮は、古くは山下天神と呼び、
木曽義仲を養育した中原兼遠は義仲の学問の神として
勧進したものと伝えられます。
源平盛衰記に義仲を木曽の山下に隠し、
養育したことが記されていますが、山下は上田の古名で、
付近には兼遠の屋敷跡、義仲の元服松等に史跡があり、
このお宮の古さを物語っています。――後略)(木曽町)とある。
進むと中山道は先が分らなくなっているので、国道19号線に合流しすすむ。
出尻の一里塚も今では不明となっているが、出尻のバス停があるので、
およそ、この辺りに一里塚は在ったのであろうと考えながら進むと、
「木曽福島市街地右→」の案内看板が左側に、
道路沿いの右側に大きな蕎麦屋、その先に木曽警察署があり、
そこを右折する。
(木曽福島市街地の案内看板)
(木曽福島警察)
その先でまた国道19号線に合流する。
国道19号線は左のほうへカーブしてトンネルに入っていくが、
中山道は右のほうへ行く道路に沿って進む。
少し先に、大きな関所門が道路をまたいでいるのが見える。
関所門をくぐり、左手の狭い上り道を進む。
これが旧中山道で、昔はおのずと関所の中に入っていったようである。
ここから木曽福島宿である。
(19号線は左のトンネルへ)
(関所門をくぐり左へ坂を登る)
中央アルプスは大好きな山です。 見るだけの為にでも出かけてしまうぐらいです。
もう木曽福島までいらしたのですね?ずいぶん歩かれた事です。 お疲れ様です。 でも少し山歩きお好きになられたのでは????