中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

薮原神社と極楽寺(旧中山道を歩く 170)

2009年06月07日 07時40分01秒 | 5.木曽(長野県)の旧中山道を歩く(157~2


(常夜灯と鐘楼)

(藪原宿2)
日本酒名「木曽路」の造り酒屋の前にあるガードをくぐり、
薮原神社と極楽寺に向かう。
ガードを出ると左から道路は下ってきており、右側は急な上り坂になっている。

坂上に石垣と本堂らしい建物そして鐘楼、常夜灯が見て取れる。
先ほど下ってきたばかりなのに、また上り坂かと、がっかりしながら、
疲れた足を引っ張りあげて坂を登る。

極楽寺の山門は常夜灯よりさらに先にある。
坂道の途中に山門があり中に入る。掃き清められて綺麗な寺院で、
周りの静けさが手伝って、より厳かに見える。
砂利を踏みしめて本堂に、その奥に阿弥陀堂のような建物があるが、
これが「お六廟」といわれたものなのか?と思いながらお参りをする。


(極楽寺山門)


(本堂)


(お六廟?)

「お六廟」とは藪原宿の工芸品として、
その昔、お六さんが造った櫛が大変有名になり、
旅人が藪原宿のお土産に「お六櫛」を買う人が増え名産品になったという。
その「お六さん」のお墓というのであるが、どうも真偽のほどが定かではない。

しかし「お六櫛」はその形から、子供の頃に母が使っていた木櫛を思い出す。
三日月形のその櫛は、大変頑丈に出来ており、
昔の長い髪の毛を解きほぐすとき、
櫛の歯こぼれに悩まされたのに、木曽の櫛は歯こぼれしないと、
母は大変重宝していたことを思い出す。

その櫛の伝統は連綿と引き継がれ、
ロケットが宇宙に飛び出すような世の中にあっても、
手作りで制作されているようである。

その阿弥陀堂なのか、「お六廟」なのかわからないが、
その横に、お隣の薮原神社に通ずる塀の切れ目から、
いったん外に出る。
案内書に寄れば、極楽寺には小堀遠州の手になる
美しい庭園があることになっているので、
阿弥陀堂、本堂、庫裏の裏などを覗いてみたが、
裏手はすぐ山になっていて、とても庭園など出来る余地はない。
どこか別の場所にあるのであろうか、見当たらない。
庭園は次回にまわして、薮原神社を訪ねる。


(薮原神社の赤い鳥居)


(奥に見える階段をさらに登る)


(写真が悪く、日陰ですこし見難いが高い階段を登る)


(本殿に掛かる扁額)


(本殿右奥の覆屋。木祖村有形文化財の標柱)

極楽寺のすぐ横にある赤い鳥居を横目に見て、
坂を登ると神社の本殿はさらに高い階段の上にある。
ボクは横の高い位置から階段を登るが、
正面から薮原神社に行くには、下のほうからそうとう長い階段を登らなければならない。

本殿は木祖村有形文化財で、本殿は三間社流造り、
(神殿の間口が3間あるつくり。通常は一間の間口が多く、一間社流れ造りという。)
文政十年(1827)諏訪の工匠二代 立川和四郎の作という。

薮原神社からもとの中山道に戻ると、左手の高台に薮原神社の赤鳥居と
極楽寺の甍(いらか)が丁度西日に当たって美しく見える。


(街道から見える薮原神社と極楽寺)


(防火のため造られた土手、防火高塀)


(お六櫛問屋)


(高札場跡)

少し進むと、その先に防火高塀跡がある。
元禄八年(1695)藪原宿に大火があった。
その後の大火対策で、類焼を防ぐために造った塀の跡である。
家と家の間に土塁を作り延焼を防いだ。
その先左手に旧家の宮川漆器店があり、宮川資料館として公開されている。
そのすぐ右手に木祖村役場があり、先ほど書いた「お六櫛」問屋はさらに先の
左手にある。

やがて右側に高札場跡の標柱があるので、
道路に沿って右折するのが旧中山道である。
道路は弓なりに右にふくらみ、広い道路に出る。
見上げると高い位置に薮原駅が見える。
右側は木祖村駐在所となっており、警察官が常駐している場所だ。
道は駐在所の前を大きく右に曲がっているが、
その先右手の木祖村村民センターの駐車場に「D51」の蒸気機関車があり、
機関車の横に一里塚の碑がある。

(中山道藪原宿 一里塚  江戸より 六十六里)とある。

66番目の一里塚である。


(高いところに見える薮原駅)


(右側の駐在所)


(その先のD51の機関車)


(一里塚の碑)

立派な建物の村民センターも隣接する「お六櫛」の資料を展示する
木祖村郷土館も無人で、郷土館に至っては
「御用の方は呼び鈴を押してください」と張り紙もむなしく、
誰も応答しないばかりか、誰も来る気配が無い。

旧中山道を歩くと、絢爛豪華な立派な建物や夜間照明を持つ運動場が
山間(やまあい)に場違いのように目に付く。
山村には、こうした設備はなかなか無いので、
欲しいと願う人の気持ちは良く判るが、
どれほど利用されるかを考えて造らなければ、宝の持ち腐れになってしまう。

ボクなどから言わせれば、緑と水の豊富な素晴らしい環境に囲まれて、
それ以上の運動場、体育館が必要になるとはとても思えない。
年間どれほどの利用があるかをきちんと推計した上で、
造ることを考えたいものである。
木祖村村民センター、木祖村郷土館をみてそう感じた。
村民センター前で中山道は県道26号とT字路で合流して左折、
JR踏切をガードでくぐり、さらに左折すると薮原駅舎にでる。

今日はこの駅前の旅館で一泊し、明日木曽福島まで歩を進める。

本日歩いた歩数 26832歩 距離にして16km。
鳥居峠があったから短い距離ながら、非常に疲れた。


(薮原)


(JR薮原駅)


(駅名が当用漢字でない所が雰囲気を出している)


(英泉描く浮世絵「木曽海道六拾九次乃内・薮原」)

ここで英泉は、鳥居峠の「義仲硯(すずり)水」の清水と

・ひばりより うへにやすらふ 峠かな   はせを(芭蕉)

の芭蕉句碑を絵の左側 松の根元に描いている。








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