(中山道守山宿の街灯)
(木製の常夜灯に「中山道守山宿」が店先にある。)
(守山宿 3)
守山宿を歩くと「中山道 守山宿」の看板が商店街の街灯に掲げられ、
また商店の前には守山宿の常夜灯を模した看板が置いてある。
宿場を楽しみながら歩くと、左手に道標がある。
「高野郷 新善光寺道」の石標である。
(新善光寺道の道標)
この標の片面には「すぐいしべみち」と入っており、
ここから栗東の新善光寺と石部への道標で、
中山道から分かれて「伊勢参り」の道として利用された。
中山道を進むと、左手に「うの家」と書いた大きな家がある。
元内閣総理大臣 宇野宗佑さんの旧居(酒造業)であると、
後ほど訊ねた交流館でお聞きした。
(旧家の感じの宇野家)
さらに進むと右側に天満宮があり、
左手に古井戸と本陣跡推定地の石標がある一角にでる。
古井戸は防火用水、足洗い用水等として多目的に使用されたもの。
井戸があった場所は移設されているそうです。
(天満宮)
(古井戸、本陣跡推定地の碑)
(この本陣は、江戸時代には問屋、脇本陣、本陣の役割を果たした。
また、文久元年10月22日(旧暦)(1861)十四代将軍 徳川家茂に嫁いだ、
皇女和宮が宿泊された。)(守山市教育委員会)
また、本陣は、謡曲「望月」に出てくる「甲屋」を指したという。
その甲屋の物語であるが、
(謡曲「望月」は、信濃の住人・安田荘司友春の妻子が、
元家臣である甲屋の主人・小沢刑部友房とともに、
仇敵の望月秋長を討つというあらすじで、
登場する人物はすべて架空とされている。
また、その舞台となった宿「甲屋」も、
享保十九年(1734)「近江與知史略」や
文久元年(1861)の皇女和宮降嫁の事前「宿屋」調べにも記載が無いことから、
架空の宿と考えられます。)(守山市教育委員会)とある。
架空の物語ではあるが、
当時から貨客の往来が盛んであった守山での仇討を題材にしたもので、
能楽界では今でも格式高いものとして演じられている。
守山宿の歴史的な説明板は、出典が明らかにされており、
科学的で非常に明解である。
その先に「中山道街道文化交流館」があり、
ここは元「ろうそくや」の商家跡で、
問屋のような、黒光りする板の間であった。
温かいお茶をご馳走になり、
温かいお茶をご馳走になり、