中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

暗闇の旧中山道を行く(旧中山道を歩く 312)

2012年04月01日 09時58分38秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(西池の土手)


(武佐宿 4)
西池の土手を見て、次の道順は右折だからと、
国道8号線を信号で右に渡る。
歩道はあるが、人が通るのはごく希らしく、
歩道の幅はとても狭い。
すれ違うには体を捻らなければならないほどである。

この先単調な国道8号線を自動車の通行に脅えながら歩く。
国道8号線を約1km行くと右手に石材店があり、
右に入る細い道がある。
国道と離れて、静かな道を行くと、
右手に常夜灯が二基並べて石垣で囲ってある。
何か謂れのあるものであろうが、暗くなってきているので、
ろくに見もしないで通り過ぎる。
その先の橋の向こうに、「村社 篠原神社」の石柱がある。


(常夜灯が二基石垣に囲まれている)


(村社 篠原神社、この後暗闇で写真がありません)

秋の陽は早く落ちると言うが、、冬の陽はもっと速い。
「篠原神社」の手前では薄暗がりであったのに、
「篠原神社」を通過すると、陽はどっぷりと暮れてしまった。
この先東海道線の野洲駅まで4km近くあるはずだ。

初めて歩く旧中山道も道順は、おぼろげにしか覚えていない。
この先右手に「子安地蔵」があり、
左手に「桜生史跡公園(さくらばさましせきこうえん)」があり、
次に新幹線のガードをくぐって直進。
野洲駅から来る道と交叉したら左折し駅に向う。
野洲駅から米原駅、米原から新幹線で東京の予定であった。

予定では、16時半には野洲駅であったのに、
「篠原神社」で16時半である。
薄明かりの中を「子安地蔵」まで歩いたが、
その先「桜生史跡公園」は田舎の街灯もない暗い道で、
空と木の陰と薄く光る舗装道路を頼りに歩く。

約1時間歩くも野洲駅から来た道に交叉しない。
車がヘッドライトをつけて二台すれ違った程度で、
あとは犬一匹通らない。

やっと人家が左手に見えた。
時間が迫り、持病の糖尿病でカロリー不足になり、
低血糖状態の目まい、空腹感、冷や汗、を感じて、
生垣の前でリュックを下ろし、
ブドウ糖とクッキーを取り出し、
応急手当のブドウ糖とクッキーを頬張っている時、
若い女性の声と共に、ライトをつけた数台の自転車が通りかかった。
駅までの距離を聞こうと声を掛けると、
暗闇の中でリュックを背負って、
鍔広帽子をかぶった得体の知れないおじさん?に声を掛けられ、
恐れをなして逃げて行ったしまった。
白いヘルメットをかぶった女学生の数人であった。

千歳一遇のチャンスを逃したが、
とにかく駅に出なければ話にならない。
旧中山道をなおも歩くと、
広い道路と交叉し、道路を横断した向こう側に(旧中山道)の道標がある。
道路右手を見ると少し先に街灯があって明るい。
お店もあり道路を照らしている。
これが駅前通りであろうと右折する。

しかし、道路の先を見ても東海道線の汽車の線路らしきものは見えない。
ちょうどコンビニがあったので、
カロリー補給のおにぎりを(関西ではおむすびと言うらしいが)買い求め、
野洲駅までの道のりを聞くと、もうすぐですと答はあってホッとした。
でも、まだ十五分程度もかかると言う。
疲れた足では、十五分の道のりは長く感じたが、
重い足を引きずって、やっとの思いで野洲駅に到着。

すぐやってきた汽車に乗ったのが17時46分。
東京に帰ったのは、およそ21時半であった。
本日の歩行数58596歩=約35kmであった。

2012年12月1日 この年の歩き納めになった。