子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「英国王のスピーチ」:73歳で初のアカデミー賞受賞。次はデヴィッド・サンドラーの生涯を映画に。

2011年04月17日 21時14分57秒 | 映画(新作レヴュー)
今年の映画賞レースを制した「英国王のスピーチ」の走りを競馬に喩えるとしたなら,圧倒的なスプリントで先行したデヴィッド・フィンチャーの傑作「ソーシャル・ネットワーク」から一度は10馬身くらい離されながら,最終コーナーを回ったところでぐいぐいと追い込んで,最後は逆に3馬身離しての圧勝,といったところか。アカデミー賞を筆頭に,数多くの映画賞を獲得したトム・フーパー監督「英国王のスピーチ」が備えていた磐石の末脚は,観客動員の面でも強さを見せ,公開後7週を経ていまだベスト10に留まるという健闘を見せている。

舞台劇にもそのまま使えそうなデヴィッド・サンドラーのシナリオは,ゆっくりとしたペースで,窮地に追い込まれたひとりの男(ジョージ6世=コリン・ファース)が妻(ヘレナ・ボナム=カーター)と教師ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)に支えられ,プライドをかなぐり捨てて(文字通り)のたうち回ることによって,遂に栄光を掴み取る姿を描いている。
展開は極めてオーソドックスで,上記3人の役者の演技は理想的なアンサンブルを奏で,観客はプライドと責任感と父親との確執が複雑に入り組んだプレッシャーを乗り越えようと真摯な努力を重ねる一人の男の物語に,安心して没入することが出来る。

トム・フーパーが役者の力を心から信頼していることは,試練の舞台となる教師の部屋に象徴されるように,被写体の背景を常にシンプルに保とうとする姿勢から明らかだ。しっかりとした骨格を持ったシナリオと経験を積んだ役者がいれば,過剰な演出は必要ないと言い切るような全体的なディレクションが,却って好感度を高めるという結果をもたらした良い例だろう。

だが,安心して観ていられる作品に特有の,見終わった後の物足りなさを感じたことも事実だ。
史実の再現にも拘わらず,主人公が試練を乗り越えるクライマックスに向けた盛り上がりは,大したものだった。だから事実に基づいた物語であるが故に,恣意的に劇的な展開に持ち込むことが許されないという条件が,作品の足枷になったとは言えないだろう。
そう見てくると,物足りなかった一番の点は,登場人物に与えられていた各々の微かな陰影を,物語の重層化に寄与させなかった作劇法ということになるかもしれない。
特に主人公を支える言語教師のライオネルが,実は舞台役者としては世間から「周回遅れ」扱いされているという捻りが,物語の中でうまく活かされなかったのが,最も心残りだ。終盤にライオネルの妻が,ジョージ6世夫妻が家にいるのを見て驚くシーンがあるが,経済的にも苦しかったはずのライオネル家における夫婦の絆をもっと立体化させて,二つの夫婦の形を並置させていたならば,逆にヘレナ・ボナム=カーターの抑えた愛情表現が際立っていたのではないかという気がするのだ。

もっともそういった点は承知の上で,善人だらけの登場人物が手を携えて進む物語を,リーマン・ショックを経験したこの時代に敢えて問うことがサンドラーの狙いだったとしたら,史上最年長でアカデミー脚本賞受賞者となった男の戦略は,世間的にはずばりと当たったことになる。「ソーシャル・ネットワーク」のアーロン・ソーキンは,次に彼の生涯をシナリオ化すべきだ。
★★★
(★★★★★が最高)


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