子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ゾンビランド」:ダッシュするゾンビに対抗するためのルールを学ぼう

2010年09月11日 11時07分10秒 | 映画(新作レヴュー)
「有酸素運動」と「ダブル・タップ」と「トイレに気を付ける」。カーラジオから微かにチャック・マンジョーネのお気楽な「フィール・ソー・グッド」が流れる中,ゾンビの襲撃から生き延びるための基本戦法が描かれる冒頭のシークエンスから,ゾンビの襲撃をスーパースローで捉えた幾つものショットにクレジットが被さるオープニングまでの数分間のうちに,気持ちがトップギアに入るかどうかで勝負は決まると思われる。「何だこれは?↑」と身を乗り出せれば,驚天動地の極楽「ゾンビランド」が待っており,「何だこれは?↓」と首を捻れば,その場で席を立つこと請け合いのリトマス試験紙だ。

両手を前に挙げてのろのろと歩く,というのがこれまでのお約束だったゾンビが,何と足を高く上げて素速いダッシュで人間に襲いかかる。ジョージ・A・ロメロが開拓したこのジャンルにおける,基本的な約束事の転換が象徴するような数々のチャレンジが,見事にはまって,私は上述した巻頭部からクレジットの後のおまけまで腹を抱えて笑いっぱなしだった。アイデアとウィットとセンスがあれば,手垢の付いた素材でもこんなエネルギーに溢れた作品になるという,素晴らしい見本だ。あくまで,私にとっては,という留保付きではあるけれど。

映画のルック(画面の調子,構図等の総体的な印象)や展開だけを捉えれば,「ザ・ロード」にかなり近いものがある。しかし作品が向いている方向は,まるっきり逆だ。近未来を舞台に破滅の中を生き延びようとする親子の姿をペシミスティックに描いた「ザ・ロード」に対して,新鋭ルーベン・フライシャーが撮り上げた「ゾンビランド」は,4人の男女がそれぞれに身に着けた生き残る術を,軽妙且つパワフルに描くことに焦点を絞ることによって,人間と「残酷な世界」との関係を俯瞰しつつ,人の繋がりの在り方に言及した斬新なコメディになっている。

主な登場人物は4人。特に,マッチョではなく,女性にも弱いにも拘わらず,ゾンビに対抗して生き延びるための独自のルールを定め,それを厳格に遵守することでしぶとく生き延びてきた主人公のコロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)の造形が,そのまま作品の基調となっていることが成功の一番の鍵かもしれない。残りの3人の男女がいずれも西部劇に出てくる自立した一匹狼的なキャラクターを振られているが,そんな彼らと対等に渡り合いながら生き延びるための武器が,典型的なアメリカ人のキャラクターを揶揄するようなオタク的自己規制(ヒーローにはなるな!)だという点が,ゾンビを撃ち倒す銃撃のカタルシスよりも痛快だ。

ホラーとアクションと青春ものとホーム・ドラマを,笑いという横糸で紡いだ,と言ってしまえば簡単だが,ユニークなゾンビを凌ぐ,文字通り「人間的な魅力」に溢れた登場人物を得て躍動した本作だが,3Dによる続編の制作が決定したらしい。エンドクレジットに流れるジャック・ホワイト(ラカンターズ)の歌声が,文字通り「ゾンビランド」と化した祝祭空間に高らかに鳴り響く。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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