子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「借りぐらしのアリエッティ」:母親役の大竹しのぶは,明らかなミスキャストでしょう

2010年09月06日 22時45分25秒 | 映画(新作レヴュー)
作品の公開に合わせて,本作の制作過程を追った1本のドキュメンタリーが放映された。「崖の上のポニョ」に続く試みだが,天下の国営放送がひとつのアニメーション・プロダクションに過ぎないジブリを,これだけ力を入れてフォローするのには驚いた。
だが,そもそも現在の日本製アニメーションは,日本経済復活のスローガンのひとつである「クール・ジャパン」において,戦略的なコンテンツとして位置付けられているらしい。であれば,その中核にいる制作プロダクションのジブリが,いよいよ後継者の育成に本腰を入れるとなれば,正に国家的事業として「日本放送協会」が密着取材し,拡大版「情熱大陸」みたいな制作ドキュメントを,ロードショーに合わせてゴールデン・タイムに1時間半放映することも,世間的には当然のことなのかもしれない。

この作品の監督に抜擢されるまでは,スタジオ内で「一番絵が上手い」アニメーターに過ぎなかった米林宏昌にとって,そんな仰々しい騒ぎの中で,作品をヒットさせる≒ジブリの屋台骨を支えていく一人として名乗りを上げる,という行為が,私のようなクリエイターとは真逆にいる人間にとっては想像も出来ないようなプレッシャーだったことに疑う余地はない。たとえそれが,脚本と制作に回った宮崎駿のチェックを受ける試写の間の緊張感程ではなかったにしても。
結果,立派にそれをやってのけた監督=米林の頑張りは,夏興行第2位という成績と宮崎駿の涙という,望み得る最高の形に結実した。
でも,私は「トイ・ストーリー3」の時のようには,泣けなかった。残念ながら。

イギリス児童文学の映画化ということだが,話としては「となりのトトロ」の冒頭部に出てきた「まっくろくろすけ(ススワタリ)」に関するエピソードを膨らませたようなものという感じが強く,ディテールも展開も新人の監督作とは思えないような安定感を感じさせる一方で,至る所で「既視感」を感じたというのが正直な感想だ。
宮崎アニメで最も心躍るシークエンスである空を飛ぶシーンがない代わりに,家の中の風景を虫の目で観た時の驚きが物語の中心になるものと思ったのだが,案に相違してそれは冒頭に一度だけ描かれる父娘の「遠征」エピソードのみに留まり,後は少年と少女の心の交流という「動く絵」としてのダイナミズムには欠けるプロットが淡々と進んでいく。

勿論,冒頭で紹介した国営放送のドキュメンタリーでも描かれていたように,「細やかな感情の揺れ」を如何に説得力を持った絵として表現していくかという,創造活動における葛藤が垣間見えるショットもあるのだが,過去の宮崎作品にあったダイナミズムをついつい求めてしまう極々平凡な映画ファンの一人である私は,ラストまで行った時点で「これからどうなる?」という興味をはぐらかされたような気分を抱いてしまったのだった。

その一方で敢えて少年(人間)に,アリエッティ(小人)を指して「君たちは滅びゆく種族だから」という一方的な断定を籠めた台詞を喋らせることによって,却って人間の驕りを浮き彫りにするという仕掛けは,映画全体に一筋縄では行かない毒を振り撒いていることも確かだ。小人≒炭坑のカナリアという単純な図式ではないにせよ,借りられるうちが花なのよ,という隠れたメッセージが子供たちにゆっくりと浸透しつつある結果が,興行収入に結びついているのだとしたら,アリエッティの新たな船出も辛いだけではなかった,と言えるのかもしれない。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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