子供はかまってくれない

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映画「イン・ザ・ハイツ」:50年代ミュージカルの2020年代版への情熱的なアップデート

2021年08月18日 15時59分09秒 | 映画(新作レヴュー)
2016年にデイミアン・チャゼルの「ラ・ラ・ランド」が大成功を納めたことによって,新しい音楽を前面に打ち出したミュージカル作品が次々に現れるかと思ったのだが,現実はそうはならなかった。やはり粒の揃った楽曲をたくさん用意し,大画面に映える一定規模以上の群衆によるダンスを提供することは,特にこのCOVID-19禍にあっては,かなりハードルの高い企画なのだろう。けれども昨年はネットフリックスが大御所俳優を揃えて「プロム」を発表し,スティーヴン・スピルバーグは「ウエスト・サイド・ストーリー」のリメイク版を発表するというニュースが飛び込んできたところで,本作「イン・ザ・ハイツ」が公開となった。サルサを基調とした音楽なのではないかと,フライヤーを見て想像しただけでも平常心を失いかけていたのだが,予感は的中した。ジョン・M=チュウの新作「イン・ザ・ハイツ」は,予想を遥かに超えるリズムとライムと極彩色が,画面一杯に炸裂する傑作だ。

ドミニカからニューヨークにやって来たウスナヴィ(アンソニー・ラモス)は,いつか故郷に帰ることを夢見て,ワシントン・ハイツの雑踏の片隅に佇むドラッグストアで働く青年。彼はデザイナーになるための勉強中で,今は美容室で働くヴァネッサ(メリッサ・バレラ)のことが気になっているのだが,デートに誘う勇気がない。地味に働いていればいつか夢は叶うと素朴に信じられた時代はとうの昔に過ぎ去り,人種差別や分断は形を変えて今も残る中で,必死にもがく彼ら若者たちは,歌とダンスに夢を託し,街角を熱いエネルギーで満たしていく。

アジア系の富裕家族の結婚を手際よく上質なエンターテインメントに仕上げて大ヒットした「クレイジー・リッチ」の監督チュウは,「キャッツ」に続くヒット・ミュージカルの映画化ということで,かなり負のバイアスがかかっていたであろう世間の空気を撥ね除けるような素晴らしい空間を現出させている。シーンによってはカメラを動かさずに撮った方が,とか,これは斜めからではなく真正面に据えてボリュームを出すべきでは,といった感想が浮かぶ場面もあるが,サルサ基調の音楽のエネルギーと,踊り手のキレの良さは,そんな些細な瑕を吹き飛ばして画面をドライブさせる。水の女王エスター・ウィリアムズにオマージュを捧げるようなプールのシーンの迫力も圧倒的だ。

「ウエスト・サイド・ストーリー」は「ロミオとジュリエット」の物語が持つ力を,ラテン系のグループ間抗争に溶け込ませて観客を引っ張ったが,これといった大きな物語を軸にする代わりに,経済格差や人種差別やローカルとグローバル化の軋轢といった現代が抱える問題をひっそりと織り込んで軽やかにリズムを刻み続ける「イン・ザ・ハイツ」こそ,今に相応しい新しいミュージカルだろう。バーベット・シュローダーの傑作「バベットの晩餐会」を換骨奪胎した幕切れも最高。がら空きだった劇場の静かな空気が,唯一の誤算だったかもしれない。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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