子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」:「欲望」と「憎悪」と「孤独」が埋蔵された井戸の底を覗く

2008年05月12日 20時19分43秒 | 映画(新作レヴュー)
殆どのカットに出ずっぱりのダニエル・デイ=ルイスが,渾身の演技で作り上げたダニエル・プレインビューという人物が体現する「欲望」,「偽善」,「憎悪」,そして「生命力」を体感する158分。大地から吹き上げる石油のように観客の頭に降り注ぐのは,「お前は奴に何を見る?」という根源的な問いかけだ。

人間の形をした「欲望」の塊,宗教の欺瞞を憎む実存主義者,家族の絆を渇望する孤独な魂。観る人によって異なるであろう,プレインビューを怪物たらしめている核のようなものが,観る側に内在している不安を激しく揺さぶる。しかし揺れ動くのは観客の方ばかりではない。まるで自身の一部を切り取って,宗教者として培養したような牧師(「リトル・ミス・サンシャイン」のポール・ダノ)を前にして,際限なく昂ぶる感情に囚われ,どす黒い憎悪を募らせるプレインビューこそが,相反する感情の集合体となって,妖しく揺らめいている。

プレインビューという人間の輪郭を,動きのあるショットをつないで,一気に見せてしまう冒頭の30分間が圧倒的だ。
息子との決別と,自らの人生の総決算となる,牧師との最終的な対決が続く終盤が,過剰に「饒舌」になってしまうことに比べて,ほとんど台詞のないこの導入部こそが「映像が持ち得る力」というものを真に体感させてくれる。
絶好調と言っても良いロバート・エルスウィットのカメラも,自らメガホンを取ったこともあり,デヴィッド・リンチの盟友でもあるジャック・フィスクの美術も,ポール・トーマス=アンダーソンが描く,シンプルな局面が幾つも折りたたまれてダークな様相を呈するに到った世界の実体化に,絶妙のサポートを提供している。

更にレディオヘッドのギタリスト,ジョニー・グリーンウッドが紡ぐ音楽が,弦の不協和音を基調にしながら,プレインビューの不気味な作り笑いを煽るように,不気味に鳴り響く。その弦と対称を成すように,ガス爆発のシークエンスで打ち鳴らされる切迫したパーカッションが,いつまでも耳に残る。レディオヘッドとしての活動も絶好調(新作「In Rainbows」は「OK Computer」に比肩しうる傑作だった)なだけに,このまま活動フィールドを拡げ続けるとは考えにくいが,ロック出身の映画音楽家としてダニー・エルフマン以上の存在になる可能性を秘めていると感じた。

アカデミー賞では「ノーカントリー」との一騎打ちが話題になったが,ともにこれまで主役として描かれたことがないような負のヒーローを前面に押し立てて,高度資本主義の建前が行き詰まってしまった社会の閉塞感を打ち破ったことは,特筆に値する。
勿論,プレインビューの「これで終わった」という最後の台詞を引き取って,そこから穴を掘り始める羽目に陥るのは,アメリカの観客だけではないのだ。


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