子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「クロエ」:トロントの透明な空気がアトム・エゴヤンのスリラーにもたらしたもの

2011年07月21日 23時02分38秒 | 映画(新作レヴュー)
積雪寒冷地に住み冬の苦労を知る人間は,歩道上に積まれた雪がスクリーンに映し出されるのを見た時に,程度の差こそあれ何某かの共感を覚えてしまうという経験が,大なり小なりあるのではないだろうか。
アトム・エゴヤンの新作「クロエ」は,トロントのそんな冷え冷えとした光景をバックに,夫婦の間に存在する本来なら親密なはずの空気の温度を,美しくも妖しい娼婦を使って測ろうとした妻の姿を描いたスリラーだ。

その妻に扮するのは「キッズ・オーライト」の評で,図らずも「彼女の出演作に駄作なしの法則」を打ち出してしまった,ジュリアン・ムーアその人。とにかくよく働き,よく脱ぐ人だ。もしも女優魂という言葉がアメリカにもあるとすれば(この作品はカナダとフランス・米国の合作ではあるけれど),今のこの人ほど,そのイメージにピッタリの女優はいないだろう。
彼女に疑惑の眼差しを向けられる夫役にはリーアム・ニーソン,娼婦役には売り出し中のアマンダ・セイフライドというキャスティングは,演技の濃さもボリューム感もほぼ完璧。

あとはミステリアスな要素を物語に活かすことにかけては定評のあるアトム・エゴヤンが,エンターテイナーとしての割り切りを持ってこの三角関係に挑めるかどうかが課題だったのだが,残念ながらミステリーとしての完成度はおよそ高いとは言えず,更に「スウィート・ヒアアフター」の画面のそこかしこに漂っていた冷気を,この作品にももたらすことも出来なかったようだ。

チラシには,提灯持ちではない数少ない批評家,ロジャー・エバートの「セクシャルな妄想と誘惑を描き切ったアトム・エゴヤンの最高傑作」という言葉が踊っているが,このうち「セクシャル」という部分だけは,確かにその通りだろう。これから高い山を上っていく登山口に立っているようなセイフライドは,悪女という格好の「大リーグボール要請ギプス」を装着されてすっかり「大人の女」になっており,おそらく親子ほど年齢の違うムーアとセイフライドのベッド・シーンも,匂い立つようなエロティシズムに満ちている。

だが,ミステリーとして見るならば,冒頭でニーソンがムーアに電話で遅参を告げた後,女子学生と連れ立って歩いていくシーンを見せておきながら,実は何もなかったというニーソンの告白を真実とする展開は,約束違反以外のなにものでもない。セイフライドがムーアに語るニーソンとの逢瀬の描写も,真実と虚構の境界を巧みに操ってきたエゴヤンにしては,踏み込みが足りない。更に,セイフライドの形見を髪に挿したムーアの後ろ姿を息子の視線で捉えた,それまでの展開を否定してしまうようなショットで締め括るに到っては,首を捻らざるを得ない。

とは言え,凡百のエロティック・ミステリーに比べれば,時折現れるスタイリッシュなショットが,独特の輝きを放っているのも事実。この次は(願わくば)「セクシャル」という部分を極力残した新世紀の「エキゾチカ」か,真夏の観客の心をも凍らせるようなスリラーをこそ,望みたい。おととい51歳になったばかりというエゴヤンは,紋切り型のミステリーに逃げ込むにはまだ早いはずだから。
★★★
(★★★★★が最高)


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