子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「愛,アムール」:尊厳を守ることと「愛」を等号で結んでみる

2013年04月27日 23時21分43秒 | 映画(新作レヴュー)
映画監督ミヒャエル・ハネケ。彼に始めて接した作品「ピアニスト」のラスト近くに,ヒロインのピアニスト(本作にも老夫婦の娘役で出演しているイザベル・ユペール)が,年下の若者に拒絶されたことによって,自らの鎖骨の辺りにナイフを刺すシーンがある。自死するでもなく,若者にただ自傷行為を見せつける為だけでもないように感じられたそのシーンの本当の意味は,ピアニストにとって命とも言える,指を動かすための重要な神経を切断することだったと鑑賞後に知って,この作家は一筋縄では行かない厄介なシネアストだと腰が引けてしまったものだった。

その後も,本作の冒頭でコンサートが始まる前の客席を捉えたショットにそっくりのロングショットで幕を閉じる「隠された記憶」や,死んだ小鳥やタイトルにもなったリボンが不気味だった「白いリボン」等においても,もはや「置いてきぼりにされる快感」とも呼ぶべきハネケの周到な企みを,ただただ有り難く拝見させて頂く,という主従関係が続いてきた。
そんな状況で観た新作の「愛,アムール」だったが,肩に力を入れて正対したこちらの鑑賞姿勢をあざ笑うかのように,拍子抜けするほどにストレートな作りで,違う意味でやはりハネケは曲者だと感じ入った。

音楽家だった老夫婦が,妻の「アルツハイマー病」(おそらく)という運命を受け容れ,終局に向かって二人きりで時を過ごす日々。時折,苛立ちや運命に対する怒り,プライド,死の恐怖といった感情が二人を揺さぶるが,それに対して「知性」とかつて共有した美しい「記憶」という武器で,静かに闘う二人の姿は,どんな勇者よりも凛々しい。
ジャン・ルイ=トランティニャンを想定して書かれたという脚本は,いつものハネケ作品と同様に,小さなエピソードは「伏線」というあからさまな形態を取らずとも,それがゆっくりと終幕に向かって積み重ねられていくうちに,すべてが至高の愛の一部となって観客の心を動かしていく。

ストレートな作り,と記したが,冒頭で妻(エマニュエル・リバ,実に美しい)が初めて奇矯な行動をする場面での水道の音の使い方や,二人の孤独が深まっていく様子をアパルトマンの閉塞空間に重ねてみせる移動撮影の巧みさなど,控えめながらも映画的興趣は盛り沢山だ。
おそらく凡人の私には気付けなかった仕掛けもいくつもあるはずだが,そんなことをあれこれと考えてみるよりも,映像と音の繊細でありながらも強靱さを湛えた手触りにくるまっていたくなるような余韻が深い。
★★★★
(★★★★★が最高)


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