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映画「グローリー 明日への行進」:生身のキング牧師を「会話レヴェル」の音量で描くという試み

2015年07月05日 11時31分52秒 | 映画(新作レヴュー)
この作品にもワンシーンだけ登場するマルコムxの人生が,スパイク・リーによって先に映画化されてから早23年。ようやくキング牧師の人生も映画化された。
しかし3時間を超える尺で,その人生をまるごと描こうとした「マルコムX」とは異なり,女性の視点でキング牧師(デヴィッド・オイェロウォ)を捉えた「グローリー 明日への行進」は,1965年にアラバマ州セルマから州都のモンゴメリーまでの80km間で行われた平和の行進にフォーカスを絞って語られるシンプルな物語だ(原題は「セルマ」)。

ティム・ロスが演じた州知事のような,あからさまに人種差別を標榜する人間が,少なくとも支配階層においては多数派を占めていたであろうアラバマにおいては,たとえ非暴力であっても黒人の人権を主張するという行為を容認しない風潮への違和感を表現することは,余程勇気が要ることだったはず。次第に白人も増えていったというキング牧師らへの同調者の中で,同胞から暴力を受け,死に到る白人を描いたエピソードや,行進参加者のその後を語るダイアローグに込められた思いはとてつもなく重い。
その一方で主役であるキング牧師は,獄中にあって妻とマルコムXとの浮気を疑ったり,妻から突きつけられた「浮気疑惑テープ」に狼狽えてしまって一瞬沈黙してしまうなど,「生身の人間」としての側面もさらりと描かれる。その自然なタッチによって,圧力も体温も過剰に高くならない抵抗物語を成立させる,という難題を軽やかにクリアしている点で,本作は「マルコムX」を凌駕している。

監督のエヴァ・デュヴァネイは実際に行進が行われた場所でのロケを強く主張したそうだが,キング牧師が先頭に立って行進するシーンに,当時の模様を記録した実際の映像がオーバーラップするクライマックスには,「歴史」の枠に収められて良しとすることを断固として拒否するような,鮮烈な訴求力がある。事件が起こってから50年という歳月が経ちながら,いまだに残る人種差別意識に端を発する悲惨な事件が後を絶たないアメリカを考える材料として,今これ以上のものは望めないだろう。
大勢の人の出入りを冷静な編集感覚で捌いたデュバネイの手腕,じっくりと行ったと思しきオイェロウォの役作り,それにコモンとジョン・レジェンドによる感動的なテーマ曲。ヘイト・スピーチががなりたてられる日本にあっても,その見事なコラボレーションが示唆するものは大きいと評価したい。
★★★★
(★★★★★が最高)


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