子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「イントゥ・ザ・ウッズ」:「ディズニー作品」の限界なのか

2015年04月12日 19時14分31秒 | 映画(新作レヴュー)
「ハッピーエンド」がお約束となっている数多くのおとぎ話を,少し視点をずらし,リアルな世界にはつきものの綻びをまとわせて映画化するという試みは,ロブ・ライナーの佳作「プリンセス・ブライド・ストーリー」あたりから盛んになってきたのではないかという気がする。
「お姫様」にも悩みがあり,必ずしも「王子様」は完全無欠のヒーローではないというのが現実。同様に苦難を超えて結ばれたエンディングが人生においても最高の終着点という訳ではない,というリアルワールドの実態が,マイク・ニコルズの「卒業」で明らかにされてしまって以降,それは必然の流れと言えるかもしれない。
しかしその一方で,「シンプル(=「ロード・オブ・ザ・リング」のような巨大で複雑なプロジェクトを除くという意味)かつリアルなおとぎ話」という枠組みの中で,大人の観客層を満足させるためのアイデアや新しいプロットの創造により,上述した「プリンセス・ブライド・ストーリー」を超えるような作品が生み出されてきたかというと,どうにも心許ない。
そんな課題に,ミュージカルの世界で常に斬新なチャレンジを行ってきたロブ・マーシャルが挑んだと聞けば,苦手なディズニー印の作品と言えども,観に行かない訳にはいかない。

「イントゥ・ザ・ウッズ」は,赤ずきんちゃん,ジャックと豆の木,シンデレラ,ラプンツェルという,ファンタジーには縁遠い私でも知っている有名なおとぎ話を巧みにミックスし,メリル・ストリープとジョニー・デップというビッグ・ネームの2トップの下に,エイミー・ブラント,アナ・ケンドリックにクリス・パインという,ハリウッドの中でもまさに中盤というポジションに位置する若手を配したミュージカルだ。
その殆どがセットと思われる深い森を表現した美術に,ラストで出てくる巨人の描写や,王子様役のクリス・パインが女とみれば誰彼構わず手を出すプレイボーイとして描かれた挙げ句,パン屋の貞淑な人妻であるエイミー・ブラントにまで魔の手を伸ばすという,ディズニーらしからぬキャラクター設定などに,新しいおとぎ話を創造するんだという意気込みの一端は感じられる。

しかし,巨人と戦う前に表明される「敵に対する単純な善悪論」への疑義が,今のアメリカとイスラム世界との対立に言及するのかと思わせておいて,結局は単純なモンスター退治劇にちんまりと収まってしまう展開には正直失望した。
なにも現代の政治情勢を掬い上げるような物語を,と望んでいる訳ではない。
せっかくなら「みんなが知っている物語も,実のところ毒のない教訓話ばかりではない。たとえばグリム童話の初版本のラプンツェルは,主人公が夜ごと王子を部屋に招き入れて逢瀬を重ねた結果,なんと妊娠してしまう話だった(Wikipedia)というような,人間くさいオチがあったりするのだ」ということを期待することくらいは許されるべきだと思うのだが,ディズニーの圧力は如何ばかりだったのだろう。
何をしに出てきたのか分からないまま終わってしまったジョニー・デップの「単なる顔見せ出演」も含めて,空疎という以外に言うべき言葉が見つからない。
★☆
(★★★★★が最高)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。