子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

Walter Becker「Circus Money」:スティーリー・ダンの神髄,ここにあり

2009年01月25日 22時41分34秒 | 音楽(新作レヴュー)
波のない穏やかな海へと出航した音符群が,突如として空中に持ち上げられたかと思うや,その最高点から,風に舞う薄紙のように予測不可能な軌道を描いて,ゆっくりと舞い降りて来るようなメロディ。
「ガウチョ」までのスティーリー・ダンの全てのアルバムにおいて,聴くもの全てを幻惑した魔力が,ウォルター・ベッカーの新しいソロ・アルバムには確かに存在している。

殆ど無視に近かったショウ・ビズ界の扱いが,再結成した後は掌を返したように変わってしまったスティーリー・ダンだが,待望久しかった復活後の成果そのものは,必ずしも期待通りとは言えないレヴェルに留まっている。社会を鋭く射貫く視座と諧謔に満ちた素晴らしい歌詞に比べると,メロディに必要な跳躍力が衰え,スリルよりも安定を指向する重厚なアレンジが,曲の柔軟性をより損なう方向に作用している。そしてそんな傾向は,ファーストで見せた幾つかの見事なアイデアを,それ以降も再活用し続けているようなドナルド・フェイゲンのソロの諸作にも,残念ながら当てはまる。

しかし彼らの作品に対するファンの期待の大きさは,活動停止前の「スティーリー・ダン」という存在が如何にユニークで,突出した存在だったかということの証明にもなっている。その後の作品が,彼ら自身がそのプレッシャーから逃れることが出来ていない,という明確な証左だったとしても,ファンは決して諦めることなく,彼らの活動を追い続けてきたはずだ。
そしてフェイゲンの「ナイトフライ」から待つこと26年。ようやくその後を襲うに相応しい作品が,スティーリー・ダンでは黒子役に徹してきたベッカーの手によって生み出された。

全体にレゲエ調の曲が目立つが,どの曲も充分にひねりが効いており,その分サビに到達した瞬間の開放感には,他では得難い心地良さがある。共同で曲作りを担ったラリー・クラインの貢献も大きいとは思うが,還暦間近にして1作目から飛躍的な成長を遂げたベッカーの作曲力には,ヴォーカルの力量の向上共々,舌を巻く。
ビッグネームが殆ど見当たらないバック・ミュージシャンも,曲の構造を良く理解し隙間を活かした的確な演奏で,高いコストパフォーマンス(多分)を聴かせてくれている。

15年前のソロ1作目は,タイトル(「11の心象」)通りどうにも焦点が定まらない曲の集合体という印象しか残っていなかったため,本作も発売後しばらくは購入を控えていたのだが,冬のボーナスを叩いて買って,本当に良かった。ジャケット共々,あぶないおじさんの世界が全開だ。
★★★★


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