子供はかまってくれない

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映画「地球が静止する日」:役者までもが静止してしまうとは

2009年01月10日 17時21分45秒 | 映画(新作レヴュー)
ロバート・ワイズが監督した1951年制作の「地球の静止する日」のリメイク作品だが,二つの作品の間に横たわる語り手の技術の差は大きかった。オリジナル作品とはたかだか助詞1文字が異なる(「地球の」が「地球が」に変わっている)だけなのに。モノクロでチープながらも緊張感と気品を湛えた特撮と,異星人との遭遇における恐怖と興奮を見事に表現していたテルミンの妖しい響きが懐かしい。

オリジナル作品が,東西冷戦が激化していく時代への静かだが力強い警鐘となっていたことに比べると,今回のテーマのように見える環境問題への訴求力は,何とも朧気で心許ない。宇宙から来た使者クラトウ(キアヌー・リーヴス)が,米大統領代理のキャシー・ベイツが何気なく言った「私達の惑星」という台詞に対して,「私達の?」と疑問を呈する場面には,唯一物語が拡がっていく可能性を感じるが,そのヴィジョンは結局確固とした起点になることはなく,その後はあてもなく緊張感もない逃亡劇が繰り広げられるだけだ。

環境問題を前面に出すことは,一歩間違えば単なるSF版の「不都合な真実」になってしまう危険性を孕んでいるということに,監督のスコット・デリクソンが意識的だったが故のストーリー展開なのかもしれないが,映画としては何とも半端な印象を残す結果となってしまった。
いっそのこと,地球規模の危機に際し,何故米国(大統領代理)が人類を代表して交渉に当たるのか?という世界中からの批判に対して,「アバウト・シュミット」で見せた果敢なチャレンジ精神を武器に闘うキャシー・ベイツの姿をクローズアップすることによって,グローバリゼーションの是非を問うような構造にした方が,よりタイムリーだったのではないだろうか。

ジェニファー・コネリーと義理の息子の関係も物語に幅を与えることは出来ず,肝心のSFXに到っては,TVスポットで繰り返し流されている場面以上にインパクトのあるショットは出て来ない。
電力供給が停止された結果,世界中であらゆる活動が静止する映像が,オリジナル作60年近く経った現在の高度なSFXで再現されることを期待して劇場に詰めかけた観客が見せられるのは,「マトリックス」の呪縛から抜け出せずに,スクリーン上で静止し続ける映画スター,キアヌー・リーヴスの姿なのだった。


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