子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「オデッセイ」:最悪の音楽によって紡がれる,人糞によるサバイバル術

2016年02月14日 10時02分17秒 | 映画(新作レヴュー)
「エイリアン」の10倍以上の予算を注ぎ込んだ「プロメテウス」の,図体ばかりでかくてスピード感に欠けた出来上がりに象徴されるように,TVのCMで鍛え上げられたリドリー・スコットの巧手は,可能な限りコンパクトな設定の下でこそ発揮されるものと,個人的に思ってきた。舞台を宇宙船の船内に限定した「エイリアン」しかり,中年女性ふたりの行く当てのないドライブを描いた「テルマ&ルイーズ」しかり。
勿論「グラディエーター」に代表される大がかりな歴史物に目がない彼のこと,本作を遥かに上回る予算を費やした前作「エクソダス:神と王」の倍以上の興行収入を本作が挙げたことは,ひょっとしたら面白くないと思っているのかもしれない。しかし日本でも大ヒットした今となっては,劇場に詰めかけた観客の判断力は正しかったと,スコット氏も(渋々?)認めていることだろう。

勿論,本作にも瑕疵がない訳ではない。地球の引力を使って救出船を加速させるというアイデアは完全にロン・ハワード「アポロ13」の使い回しだし,一旦失敗に終わった計画を救い出すきっかけがアジアの大国という設定もロバート・ゼメキスの「コンタクト」を想起させる(もっとも,オリジナルではそれが日本だったのだが,今回は中国に変わっているのが時代の波を感じさせるのだが…)。
ドリュー・ゴダートの脚本も中盤でややもたついてしまい,あと20分刈り込んで120分に収めていたら,という気持ちになってしまうのも,91分というコンパクトな尺で濃密な宇宙体験をさせてくれた「ゼロ・グラビティ」という優れた先例があったからというだけではない。

にも拘わらず「オデッセイ」には,頬ずりをしたくなるような楽しさがある。ジャガイモを栽培するため,土壌改良が必要な火星の土に宇宙飛行士の排泄物を混ぜる際,それが誰が「産み落とした」ものかを見せた上に,御丁寧にマーク(マット・デイモン)に鼻栓をさせることで,観客はまるで4DXで上映されているような「気分」を味わうことができる。
前述した「ゼロ・グラビティ」ではカントリーだった「宇宙空間に最適且つ最悪な音楽」は,今回マークを火星に置き去りにしてしまった船長(ジェシカ・チャスティン)の趣味である70年代ディスコ音楽というのも泣かせる。完成時にはまだ存命だったはずのデヴィッド・ボウイも,宇宙空間(真空なので実際には宇宙船内限定だが)に鳴り響く「スターマン」を聴いて落涙したに違いない。

そういった,小さなエピソードの積み重ねを通して伝わってくるのは,どんなに細い綱であっても繋がっているという実感があれば希望は失われない,というメッセージだ。土に埋もれていたマーズ・パスファインダーを使って交信するマークの相手にクリスティン・ウィグという芸達者を,マイケル・ペーニャという顔を見るだけで安心してしまう役者を救助隊に,それぞれキャスティングした小技も実によく効いている。スコットが制作に回るという「ブレードランナー」の続編でも同様の配慮と工夫を期待したい。ビバ,オージェイズ!
★★★☆
(★★★★★が最高)


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