子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ミルク」:ショーン・ペンの演技に唸る

2009年05月04日 10時11分19秒 | 映画(新作レヴュー)
孤独な若者の心象を描いた一連の作品で米インデペンデント界の中心人物となったガス・ヴァン・サントは,どちらかというと自然な演技を重用し,ドキュメンタリー的な映像の作り手という印象があるのだが,1998年にヒッチコック「サイコ」の完全コピーを通じて古典的な映像テクニックの再発見に励むという作業に挑戦している。
当時は何故そんなことをするのか,ユニークな個性を殺すだけではないのかと,作品の出来も含めて理解に苦しんだものだが,一見すると映像表現の両極とも思える二つの作風は,新作「ミルク」において見事な融合を見せている。なるほどそういうことだったのかと,膝を打つこと至極の128分だ。

確かに「ドラッグストア・カウボーイ」や「マイ・プライベート・アイダホ」における映像感覚は,リヴァー・フェニックスやキアヌ・リーヴスの登場とも相俟って,当時は実に新鮮で画期的なものに感じられた。しかしそれが果たして物語を語るための武器として充分に機能しているのかどうか,サント自身が10年をかけて検証してきた結果が「ミルク」の至る所に見て取れる。

それが端的に現れているのが,撮影したフィルムと精緻なモザイクを成すように貼り合わされた当時の記録フィルムの使い方だ。記録写真やフィルムからそのアングルを活かしたショットへの滑らかな移行は,あたかも現実と作り物の間に境界を設けることに意味はない,と作り手が語っているように感じるほど,何度も繰り返される。ラストのキャンドル行進を撮影した記録フィルムと,そこに到る(撮影された)ショットの集積が喚起する感動は,正にそうしたカット合成が持ち得た力の象徴と言える。

そしてこの作品の成功のもう一つの要因は,言うまでもなくショーン・ペンの見事な演技だろう。米国で初めて同性愛者であることを公表して公職に就いたヒーローの物語が,同時に公私の狭間や理想と現実の落差に苦悩する一人の人間の物語,更に少数派の苦闘が国を変えていくドキュメントにもなり得たのは,ペンの直感と計算の見事なバランスに与るところが大きかったはずだ。達者で熱いが,それが過ぎたり一本調子になることも多かったペンだが,ここで見せた懐の深い演技は,正に行きつ戻りつしながら偉業を成し遂げたハーヴェイ・ミルクの人生に寄り添ったパフォーマンスと言えるだろう。彼の顔を見て,「マドンナの元夫」という冠を思い出すのはもう止めなくては。
★★★★☆


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。