子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「KANO カノ 1931海の向こうの甲子園」:ひたむきさと躍動感が涙腺を直撃する

2015年02月07日 13時25分47秒 | 映画(新作レヴュー)
出ずっぱりの主演永瀬正敏は,劇中ほとんど眉間に皺を寄せた渋い顔だけで通す。ほんの少しだけ顔を見せる大沢たかおは,役割そのものが何だかよく分からない。使われるCGは10年くらい前のレヴェルで,特に必要を感じなかったラストシーンの船のカットに到っては,殆ど吹き出しそうなお粗末さ。3時間に及ぶ上映時間も,中盤辺りで相当テンポが落ちて,予選を勝ち抜くためには10回くらい勝たなくてはならないのではないかと思わせるような時間帯もある。嘉農が甲子園で最初に対戦した札幌商業高校の元エースが,後年嘉農のグラウンドを訪れ,若き日を回想するという映画の構成も取って付けたような印象しか残らない。

にもかかわらず,泣ける。洒落た伏線や細やかな技術,どんでん返しの妙,等々優れた映画が往々にして持っているストロング・ポイントは何もないのに,力感溢れるこの画面の力はどうだ。嘉農の最後のバッターが,打ち上げた飛球が外野手に捕られてからも,ホームに向かって懸命に走り続けた姿は,熱い涙で霞んでいた。

日本統治時代の台湾から甲子園に出場した「嘉義農林学校」の活躍を描いた,熱血スポーツ映画。「統治」という圧政がもたらす陰の部分を炙り出すような描写はほとんど見られない。しかし漢人と台湾原住民と日本人の混成チームを何としても強くしたいという監督の思いと,負け犬を蔑むと同時に人種混成チームが体現する融和の限界を見透かすような周囲の視線が,徐々に一つに収斂されていく過程を,野球のシーン,特に何度か出てくる「ダブルプレー」に象徴させるマー・ジーシアン監督の慧眼には,敬服するばかりだ。

翌日に観た「百円の恋」の安藤サクラが見せた,切れ味鋭いシャドウボクシング姿にも共通するのだが,スポーツを取り上げる以上,その競技の神髄に触れるようなショットをまずは見せて欲しい,という観客の欲求に「KANO」は存分に応えてくれる。「バンクーバーの朝日」にはついぞ訪れなかった,身体と気持ちが繋がることで生じる歓喜の描写を,至る所に見出すことが出来る。「まるで劇画のようだ」という声には「それで何が悪いのか?」とでも答えておけば良いのだ。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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