子供はかまってくれない

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映画「キャタピラー」:「脱がない」という事務所の約束を反故にして,寺島しのぶが掴んだ銀熊賞

2010年08月26日 21時39分09秒 | 映画(新作レヴュー)
ジャンルも作品の感触も指向する方向性も全く異なるが,女優に「相応しい作品」という観点だけから見れば,寺島しのぶにとっては,アンジェリーナ・ジョリーにとっての「ソルト」みたいな作品なのかもしれない。
寺島は,四肢を失いながらも妻に対する高圧的な態度を保ち,周囲から「軍神」と讃えられる夫に対して抱く,幾重にも折りたたまれた感情の襞を,ここまで鮮やかに演じきれるのは彼女だけだ,と観客を納得させるものを,あらゆる場面で発している。「映画に出る=必ず脱ぐ」というイメージを払拭したい彼女の所属事務所は,伝説の「若松孝二」作品ということもあってか,出演に際して「今回は脱がない」ということを条件にしたらしいのだが,女優本人が自ら感情の流れに任せて「気が付いたら脱いでしまった」らしい,というエピソードも,それをベルリンが評価したことも素直に肯ける,素晴らしいパフォーマンスだ。

ハイライトは,寺島が勲章を着けた軍服を着せた夫を,リアカーに載せて村の中を練り歩く場面だろう。「軍神様」なのだから,みんなにその姿を見せて崇め奉られるのがあなたの「役目」でしょう,という彼女の言い分に対して,物理的な抵抗ができず屈辱にまみれる夫を,初めて上から見下ろす彼女の表情には,演技を超えた怨念が宿っている。夫の出征前から子供を産めない「石女」というレッテルを貼られ,貶められていた過去。一方で,戦争によって食欲と性欲以外の全てを失った夫に対して抱く,微かな不憫。そして銃後を守ってきた「献身的な妻」を全うすべきという世間の枷。こうした彼女を取り巻く様々な要素や感情に抗う手段として彼女が取った「ささやかな」行動こそは,当時の日本に何人も存在したであろう「彼女たち」の,戦争に対する意思表示の象徴にほかならない。それを複雑な表情とほぼ独白に近い台詞回しによって形にした,寺島しのぶの想像力と表現力は,ベルリンの銀熊賞に相応しいものだ。

若松監督は,前作の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の半分程度の上映時間を,物語を前へ進めることよりも,「食べて,寝て,罵倒して,戦場の悪夢を甦らせて」というサイクルを執拗に繰り返すことによって,戦争の無意味さを画面に塗り込めることに費やしている。そのほとんど冒険と呼んでも良いような構成を選択した若松監督と,その要請に「侠気」と言うしかない気っ風で応えてみせた寺島しのぶが放った鋭い刃は,戦後65年を経た今の日本で輝くことは出来るだろうか。
★★★★
(★★★★★が最高)


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