ねぶた家の人々 (ねぶたけのひとびと)

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ねぶた愛好会のおはなし

2019年12月10日 16時03分48秒 | 日記

こんにちは

ササキングです

 

今年のねぶたガイド隊最後の活動として、

12月7日(土)に研修会と懇親会がおこなわれました

研修会ではねぶたガイドでお世話になっているねぶた愛好会から、

事務局長の大沢研さん、ねぶた師の諏訪慎さんをお招きし、

大変貴重な講演をしていただきました

ぜひご紹介したいと思います

 

講演はねぶた愛好会についてや制作に関してのお話を中心に進められましたよ~

 

【立ち上げ】

昭和54年、ねぶた愛好会は協和病院(現在のあおもり協立病院)の有志が自分たちでねぶたを

出そうとしたのが始まりでした。

そこで当時の観光協会常務に相談をしに行きました。素人の集団なのでどういう返答が来るか不安な

部分があったが、「もつけ何人いる?」という答えが返ってきました。

もつけ・・・お調子者など元気がある者を指す津軽弁

「もつけは何人でもいる!」

それから大型ねぶたを作る方向へ進んでいきました。

現在はねぶたの進行時間や道路上の関係で運行団体を増やすということはできませんが、

当時はねぶたの運行枠が空いていたこともあり、運行につながったそうです。

 

資金集めは手ぬぐい(1,000円)と提灯(2万円翌年から1万円)のカンパです。

これは昔から変わらず現在もそのスタイルです。 

 

ねぶたの制作は以前から親交があったねぶた師の石谷進さんに依頼しました。

ねぶたを出すなら石谷さんという風にすでに決めていたそうです。

石谷さんは当時4台のねぶたを制作されていましたが、依頼をかけたのはなんと6月

それでも全て(5台)のねぶたを仕上げてしまう石谷さんのすごさが感じられます。

 

ねぶた愛好会第1作のねぶたは「鍾馗」(昭和54年)

題材や制作に関してはすべて石谷さんに任せていたそうです

 

囃子に関しては人が全く集まりませんでした。

しかも祭り初日は先頭であったため、その日運行がお休みのマルハさんに

囃子を依頼したそうです。

そんなこともあり、自分たちで囃子方を育てていかなければなりませんでした。

それからは平和公園で青空囃子教室を開催し、年々参加者を増やしていったそうです。

教室は多いときに200人くらい集まり、延べ5千人の人を教えたそうです

 

昭和63年「茨木」

 

【制作】

現在ねぶた愛好会のねぶたを制作されている諏訪慎さんに聞きました

諏訪慎さんはねぶた愛好会が発足した1年前の昭和53年生まれ。

父親が会の理事だったこともあり、愛好会と共に育ちました。

小学校の頃はねぶた小屋(浦町)に1人で通っていたそうです。

囃子をやっていたが、その内制作のお手伝いをするようになりました。

高校2年のとき、石谷さんにコペンハーゲン(デンマーク)へ派遣する

ねぶた制作の依頼がありました。

「ねぶた師になるなら連れていく」と言われ、即答したそうです

写真:『コペンハーゲンの写真』

その後ハワイの派遣ねぶたなども一緒に行き、たくさんの経験を積めたとのこと。

 

「石谷進さんはどんな人でしたか?」という質問に対し、

ほめない人、見て覚えろという方、見た目がおっかない(笑)と言っていました。

『とにかく作るのが早い』というのは有名です

海外派遣のねぶた依頼が多かったのは、そういった理由から滞在日数も減るので

経費がかからないという裏事情もあったそうです。

また、その昔石谷さんは映画看板を描く仕事をしていました。

昔の映画看板は実写に近いような絵を描く上に、1週間ごとに新品と

交換しなければいけませんでした。

その経験が制作の早さにつながっているのではないかということでした。

 

複数のねぶたを同時に手掛けていた石谷さんは最終的にねぶた愛好会1本になりました。

石谷さんは昭和54年~平成15年まで25回の制作をされました。

石谷さんが引退するとき、今後は弟子の2人で作れと託されました

3回ほど「愛好会一同」という制作名で出陣されていましたが、

弟子の一人がなかなか制作に携われなくなり、諏訪さんが一人でやる形になっていったそうです。

 

写真:『愛好会一同で出陣していた平成16年~平成18年』

平成16年「紅葉狩

平成17年「隠岐の広有 化鳥を射つ」

平成18年「水滸伝」

 

最初の頃は夜中の3時までやってたりと、ガムシャラにやっていたそうです

ねぶた名人北村隆さんのねぶた小屋が近くにあるので、あんな風になりたいなという

憧れを常に持っているそうです

 

【現在の制作】

諏訪さんがねぶた小屋に入るのは5月半ば。

普段は現場仕事をされている諏訪さんですが、5月~8月のねぶた制作期間は

会社からお休みをいただいているそうです。

ねぶた愛好会の特徴は、ねぶた師を中心に会員で制作に携わる部分です。

題材に関しては会の意向などは特になく、制作者が決めています。

最近はスタンダードな題材が多いですが、オリジナリティを出すようにしています。

他所とは違うねぶた、おどろおどろしいねぶたを作りたいとのこと

確かに血を流しているねぶたがあったりと、インパクトが強いねぶたを出していますね

 

諏訪さんが子供のころは怖いねぶたが多かったそうで、

子供が泣くくらいのねぶたを作りたいと思っているそうです。

以前ねぶた小屋を見学しに来たお客様の中で子供が泣いてしまったことがあるそうです。

諏訪さんは泣かれてうれしかったそうですよ~(笑)

平成23年「桃太郎 鬼退治」

平成24年「剛勇 鬼加賀」

平成25年「夏祭浪花鑑」

平成27年「風神雷神」

 

師匠の石谷さんからは墨を太く書けと言われていたので、書き割りは

常に意識して書いているそうです。

面もだんだん良いと思えるものが作れるようになったとお話されていました。

令和元年「土蜘蛛」

 

送りがユニークだという話題になり・・・

送りはねぶた小屋に入ってからその場で考えるそうです

普通は冬の間に送りが決まっていると思いますが、

小屋に入ってからのインスピレーションで作っていくスタイルに驚きました

送りは基本的に弟子に作らせるそうです。諏訪さん自身も昔そうだったので、

同じことをしているとお話されていました。

平成29年「三国志」送り 

虎が緑色で表現されている。

平成30年「鍾馗」送り 

豪華な装飾が表現されている。

令和元年「土蜘蛛」送り 

一見正面ではないかと思えるくらい作り込まれている。

 

「こうしたら面白い」という発想が大いに表現されている送りになっています

次のねぶた祭からは要注目ですね

 

ユニークといえば、前ねぶたで出している金魚ねぶたも特徴的です

その年に話題になったことをモチーフに金魚ねぶたが制作されています。

(今年はラグビーワールドカップでした)

この金魚ねぶたは最初の頃はなく、いつの年からか運行されるようになったそうです

 

【今後の抱負】

最後に、諏訪慎さんに今後の抱負などを聞いてみました

「諏訪慎はこれだという確立されるような特徴あるねぶたを作りたいです。

(ちなみに)来年の構想はもう考えています。」(さすがに教えてはもらませんでしたが)

 

また、ねぶたガイド隊から普段のガイドのお礼に対して、

「(お客様が)せっかく来てくれているので、ぜひ(制作現場を)見てもらいたい。

こうやって作られているんだと紹介したいです。こっちも(カンパの)手ぬぐいとか

売れてうれしいです(笑)」

ねぶたガイド隊としてもこう言っていただけると、とてもありがたいですね

大沢研さん、諏訪慎さんありがとうございました

とても勉強になりました

 

研修会が終わって、お疲れ様の懇親会

来年のねぶたガイド隊もぜひよろしくお願いいたします

 

ササキングのレポート

 

 

 

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