映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画 人間失格  生田斗真

2010-08-14 21:40:58 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
あまりも有名な太宰治の小説「人間失格」を映画化した作品。

普通に教育を受けた人ならこの本の存在は知っているだろう。中学校の教科書に載っている「走れメロス」と違って、読み切った人は意外に少ない気がする。少年のころの自分も途中で何度も挫折した。その気持ちがよく理解できなかった。今は自虐的というよりも徹底的にいい加減な主人公はよくまあここまで堕ちたものかと思わせ、かわいいと感じる。
今回荒戸清次郎が監督ということで観た。前作『赤目四十八瀧心中未遂』はたぐいまれなる傑作であった。あの異常世界の表現は日本映画の最高峰に位置する映画と今でも思っている。それで期待した部分もあるが、正直あの作品ほどではなかった。男前の主人公生田斗真をはじめとして、荒戸作品の常連である大楠道代や寺島しのぶなど配役はイメージ通りだと思う。三田佳子にはちょっと驚いた。




津軽の大金持ちに生まれた主人公こと生田斗真は、姉だけでなく従兄の女の子をはじめとしてたくさんの女性に囲まれて育っていた。どことなく頼りない性質をもった彼は上京して絵画の道に入ろうとする。しかし、金持ちのボンボンであることで、周りからたかられる。そして酒、女に付き合わされる。カフェの勘定も全部もたされる。しかし、家庭の事情で東京にある豪邸は売られることになり、本郷の下宿に住むようになる。そこの大家さんの女性をはじめとして、カフェの女給寺島しのぶ、編集者の小池栄子や石原さとみなど次から次へと女ができる。売れっ子漫画家ではあるが、はてしなくぐうたらな生活に堕ちていくのであるが。。。

中学3年の娘の教科書には相変わらず「走れメロス」が載っている。魯迅の「故郷」も同様だ。30年以上たっても、教科書の内容が変わらないというのは国語教師たちの怠慢なのであろうか?「走れメロス」を読めと生徒たちに言っても、「人間失格」を読めとは言わないだろう。同一人物が書いたとは思えないから。
「走れメロス」で試験問題出したとして、文学史の問題で太宰治のほかの作品なんて出題はありそうだ。その時は「ヴィヨンの妻」か「人間失格」が選択肢にあげられるかも?でも、もし読めという中学教師がいたら、「こんな男になっちゃいけないよ」と道徳的な見地で言うのかもしれない。でもそれはもっと大人に言う話だろう。
ここまでいい加減になりきれればそれはそれで楽しいかな?

「ヴィヨンの妻」は松たか子に強くスポットをあてていた。同じようにいい加減な感じを主人公が演じていても違う感じがした。役者の格は浅野忠信の方がはるかに上だが、生田斗真の方が太宰らしい気がした。そうおもわせるところに主人公に素質があると私は考えた。それとも脚本、演出の勝利かな?
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サヨナライツカ  中山美穂

2010-08-13 22:11:49 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
原作を読んでから映画というよりも、映画で初めて接することの方が多い。
「サヨナライツカ」は以前原作を読んだことがあった。中山美穂の夫でもある辻仁成の作品は芥川賞をもらった「海峡の光」を堪能してからしばらく追いかけていた。この本も読んでいた。性のとりこになった二人の男女の物語として印象に残った。あとで触れるが原作とは違う部分がある。その展開には疑問が残る。



航空会社のタイ支社に着任した西島にはフィアンセの石田ゆり子がいた。結婚は決めてきたが、半年ほどたってからの妻の移動が決まっていた。会社の仲間と飲み屋に行ったときに、「謎の女」と友人たちが称している中山美穂が席に寄ってきた。初対面であるが軽くお互いを意識した。その後彼が野球の試合で活躍するのを見に来ていた中山美穂が、いきなり彼の部屋を訪れた。そして二人は抱き合う。彼女はホテルの高級スウィートにずっと滞在していた。その後恋のはじめの強い吸引力にとりつかれて二人は逢引きを繰り返すようになるが。。。。

タイの街も映像にするときれいである。しかも、舞台になったホテルの素晴らしさにはうならされた。映像にこまかい気が利いている。



かなり激しい二人のからみがあると原作で知っていたので、実際にどう映像で表わすのか気になっていたが、さほど激しくはなかった。もう少し豊満な肉体であれば別だが、中山美穂の場合は人々の目にさらすほどのナイスバディでないので仕方ないであろう。最近の外国映画で同世代の美人女優が全裸をあらわにするのとは違う。
映画love letterでの中山美穂を絶賛した。でもここではその評価まではいかない。たしかに今でもきれいだ。相手とのトークは、30代半ばの女性との恋愛で感じさせる独特のムードを感じさせる。別に外してはいない。それでも昔の方が男性から見るとよいと感じるのかも?「遠い街のどこかで」のころの彼女の方が好きだ。

ネタばれに近いがあえて言及する。
原作と大きく違うのは、婚約者石田ゆり子と浮気相手の中山美穂を会わせることである。原作では二人は会わないし、婚約者は浮気相手の存在を知らないまま夫婦関係が進むのである。これは女性映画であることを意識したせいなのか?よくよく考えるとこの二人が一緒に散歩すること自体不自然である。辻仁成の男性目線での原作の方が現実的であろう。原作では空港での別れの直前まで、お互いの体が一つになったかのように交わっている。ここに凄味を感じたのであるが、ちょっと違う気がした。

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エグゼクティブ・デシジョン  カートラッセル

2010-08-12 13:29:39 | 映画(洋画 99年以前)
テロリストにハイジャックされたジャンボ機内に潜入し、乗客の生命とワシントンDC壊滅の危機を回避すべく乗り込んだ男たちの活躍を描いた航空パニック・アクション映画である。単純には救出できず、何度もヤマを作るハラハラどきどきの映画だ。ラスト20分にかけての盛り上がりはすごい。

ワシントンDC行きのジャンボ・ジェットがテロリストにハイジャックされた。先方はイギリスで逮捕された組織のリーダーの釈放を要求する。米陸軍情報部のカート・ラッセルは「毒ガスDZ-5を盗んだ彼らは、ワシントン攻撃を狙っている」と語る。大統領を中心とした危機対処委員会はジャンボ機をワシントンに着陸させ危険にさらすか、米空域に入る前に同機を爆破し、乗客を犠牲にすべきか、苦しい選択を迫られる。
スティーブン・セガール中佐は、まだ実験段階にある空中輸送機を大西洋上8000mの地点でジャンボ機とドッキングさせ、特殊部隊のメンバーを機内に送り込むことを提案する。作戦は認められ、中佐は腹心の部下たちに加え、カート・ラッセルをメンバーに選ぶ。彼は輸送機の設計者と共に乗り込んだ。輸送機は無事、ジャンボ機との接続に成功し、メンバーは次々と乗り込んだ。ところが、激しい乱気流が発生し、このままでは両機とも大破しかねない。中佐を乗せた輸送機は爆発炎上し、地上との連絡は一切絶たれてしまった。
飛行機に乗り込んだ男たちはハイジャックの犯人を撃退するだけでなく、爆破装置を持った乗客を発見する必要がある。
作戦は果たしてうまくいくのであろうか。。。。。

相手とぶつかり合う瞬間までじっくり時間をかける。スッチーのハルベリーと連絡が取れて、内部の様子を探らせる。そして緊張感が絶頂に達した時、仕掛けが入る。そのあとは見せ場の嵐の連続だ。一瞬先が見えない。これこそアクション映画のだいご味であろう。クレジットトップの面構えのいいスティーブンセガールが早めに画面から姿を消すので、何があるか分からないと観客に思わせるところが脚本の妙味であろう。



タキシードを着て任務に就くカートラッセルはここでは軟派系インテリだ。当時はジョンカーペンター監督のSF的作品やパニック映画の常連だった。タランチーノの前作「デスプルーフ」で見せたワイルドだけど醜態を見せる3枚目の匂いはない。そこに黒人美人女優のハルベリーを組み合わせる。こちらも今とはタッチが違う。でも彼女の場合今のほうがよく見えてしまう。

ハルベリーをカートラッセルが「コーヒーをご一緒に」誘うシーンがある。「機上でなければ」と笑顔で答えるシーンは味がある。
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あなたは私のムコになる  サンドラ・ブロック

2010-08-12 09:30:34 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
2009年はいろんな意味で当たり年だったサンドラブロック主演の作品。鬼の女性編集者がビザ切れに気がつかず、部下の若い男性との偽装結婚を思いつくというドタバタラブコメディである。アメリカでは3億ドルを超える大ヒットだったそうだ。お気楽にみるのがいい。



ニューヨークにある出版社の40代敏腕編集者サンドラブロックは、周りから魔女とおそれられる怖い存在だった。そのアシスタントである20代の若者ライアン・レイノルズは3年目にしてようやく付いて行くのが精いっぱいといったところだ。そんな時会社に役人が来て、ビザ切れでこのままではカナダにすぐ戻ってもらわねばならないと伝える。サンドラはあわてて、とっさにそばにいたレイノルズをつかまえて、実は彼と付き合っていて結婚することになっていると伝える。レイノルズは驚いたが、口裏を合わせた。条件として編集者に昇進させてもらえるという前提で偽装結婚をする準備をする。そのため、アラスカにあるレイノルズの実家に一緒に向かった。アラスカの実家では父母だけでなく、89歳になる祖母も待っていて、地元では名門のレイノルズ一家の大変な歓迎を受けるのであるが。。。。



このあとアラスカの実家でのドタバタ劇が続く。まさにラブコメディで笑える場面が続いていく。ふいに裸で抱き合ってしまうシーン、男性ストリップのシーン、鷲に携帯電話を持ち去られるシーンなど噴き出すシーンが多い。お気楽に見られる。祖母のひょうきんな動きが殊勲賞といったところだ。

サンドラブロックにとって、2009年は念願のオスカー主演女優賞とラジー賞同時受賞という奇妙な年だった。ある資料によれば48億円稼いだらしい。すごいなあ!でも彼女にしかできない役ってあるような気がする。もう少し頑張れるのではないか?
ライアン・レイノルズは主役級に昇進しつつある若手。かっこいいだけでなくいかにも性格がよさそう。スカーレットヨハンソンがぞっこんになったという構図も何だかわかるような気がする。相当女性にもてるだろうし彼女もひやひやしているのではないか?

40代のエリートキャリア女性と若者との触れ合いの構図はメリルストリープの「プラダを着た悪魔」と似たようなパターンだ。古くはダイアンキートンの「赤ちゃんはトップレディがお好き」なんて映画もあった。ニューヨークには日本と比較するとバリバリのキャリア女性が多いんだろうなあ。でもキャリア風でずっと突っ張らせるのではなく、ちょっとくだけさせてみるところが一般の共感を生んでいるのかと映画を観て感じた。
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39 刑法第39条  鈴木京香

2010-08-11 22:39:16 | 映画(日本 1989年以降)
鈴木京香、堤真一主演の99年の森田芳光監督作品。犯行時に心身喪失状態であった時には責任能力がなく、心神耗弱時には極刑が免れるという刑法39条にスポットを当てる。殺人を犯した堤真一と精神鑑定の助手であった鈴木京香を中心に犯行時の責任能力の問題に疑問を投げかける。
バランスが取れた映画である。いきなり殺人事件で犯人がわかる場面からスタートするにもかかわらず、最後まで目が離せない傑作である。

団地で身重の女性とその夫が殺される場面からスタートする。女性の持った演劇のチケットから劇団員である堤真一が逮捕される。警察の尋問に対して大筋で罪の事実を認めた。国選弁護人として樹木 希林がつき、公判がはじまる。検察官は江守徹だ。起訴文を検察官が読み上げたあと、裁判官が本人に内容を確認したところ、堤は訳のわからない言葉を発する。弁護人はただちに精神鑑定を依頼した。精神鑑定には精神科医杉浦直樹と助手として心理を学んだ鈴木京香があたる。鑑定を実施したところ、本人には奇怪な言動、行動がみられた。そして犯行時に心身喪失であった旨杉浦医師より報告された。しかし、鑑定を手伝った鈴木京香は堤が詐病を装っていると主張するのであるが。。。。。



単純な殺人の審判を追うだけの法廷劇ではなかった。殺人事件の背景に大きな真実が隠されていた。脚本のうまさを感じる。それをゆったりと映像が追っていく。芸達者が多く、配役の妙もあり最後まで飽きさせない。主人公の二人だけでなく、現在脳の病気で病気療養中の江守徹、杉浦直樹の両ベテランのうまさも光る。岸部一徳の刑事役は天下一品だ。テレビの「不毛地帯」の里見役もうまかったが、嫌味っぽい役が実にうまい。

法律については私は何とも言えない。被害者の立場で考えると、辛いものがあるだろう。問題提起したことでも意義のある映画といえよう。
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ハリーとトント

2010-08-09 04:57:53 | 映画(洋画 89年以前)
1975年のオスカー主演男優賞受賞作品で、その年のキネマ旬報外国映画ベストワンとなったロードムービーである。70過ぎた頑固オヤジをニューヨークからカリフォルニアまで自由気ままに旅をさせている。古さを感じさせず、おっとりとした作品である。

主人公ハリーはニューヨークの古いアパートメントに猫トントと一緒に暮らしていた。市の都市計画の絡みで立ち退きを要請された。孤軍奮闘居座っていたが、強制撤去されて、迎えに来た長男の家にいく。そこには、長男の妻と20前後の二人の息子がいた。ハリーは頑固者で、言いたい放題だった。それが面白くない嫁は強く反発する。ハリーはそれは仕方ないと家を出る。シカゴにいる娘のところへ向かう。空港での手荷物検査を強要されたところ、従わず飛行機で行くことは断念、バスで向かう。しかし、途中で猫のおしっこのために強引に途中下車をしたら猫が逃げかくれしてしまいバスも断念。ヒッチハイクに転向しようとしたところ、中古車を見つけて購入。結局中古車での旅に変更するが。。。。



このあとシカゴの娘とロスの息子の所へ向かう。ボケてしまった昔の恋人をはじめとして途中いろんな人に出会う。小さな物語を積み重ねるロードムービーのだいご味を味わえる。しかも、75年当時のアメリカの風俗がよくわかり、それ自体も興味深い。
ニューヨークでは911で崩壊した貿易センタービル、シカゴではシアーズタワーと当時出来て間もない当時世界有数の高層ビルをも映しながら、ジョンウェインが出てきそうなコロラドの風景やラスベガスの雑踏も映し出す。冷静にこの映画をみると、数多くのロードムービーのベンチマークのようになった気がする。

主人公の頑固ぶりがあまりに滑稽である。それを演じた主人公アート・カーニーも実にうまい。観ていてすがすがしい気分になった。
評判どおりの傑作だと思う。
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白いカラス  アンソニーホプキンス

2010-08-08 20:57:04 | 映画(洋画:2000年以降主演男性)
クレイマークレイマーのロバート・ベントン監督によるアンソニーホプキンスとニコール・キッドマン主演の2003年の作品。人種差別問題で教授を辞した男の恋の物語である

アンソニーホプキンスはユダヤ人で初めての古典文学教授だった。しかし、講義中に発した一言が黒人差別だと批判され、辞職に追い込まれてしまう。怒りをぶつけるため、ホプキンスは作家に、この事件を本にしてくれと依頼する。作家は断るが、2人の間には不思議な友情が芽生えていった。その後、ホプキンスにはニコール・キッドマンという若い恋人ができる。幼少時代の虐待やベトナム帰還兵の夫エド・ハリスの暴力に悩んでいた清掃の仕事をしている34歳の女性だ。彼にも長年連れ添った亡き妻にさえ隠していた決して知られてはいけない秘密があるのだった。二人はいつのまにか恋にはまっていくのであるが。。。



静かに奏でる音楽をベースにしてしっとりと映像がつくられている。アンソニーホプキンスはいつもながらの安定感のある演技である。性格的にアグレッシブな男だ。今回は教授を首になり世捨て人になった状態で、ニコールキッドマンという美女を相手にして恋の駆け引きをする役だ。最近ベン・キングスレーがぺネロぺ・クルスを相手に「エレジー」という映画を演じていた。60を過ぎた大ベテラン俳優が30代の超美人女優を相手に最後の恋に落ちるという設定は時折みられる。これはこれで男の秘めた願望であろう。演じること自体うらやましい感じはする。

配役はぜいたくである。
二人の主役のほかにニコールキッドマンの元夫役にエドハリスが登場する。悪役を演じたら当代きっての名俳優だ。ベトナムの帰還兵という設定でかなり荒っぽい男を演じる。低音が効いている音楽というべきか?作家を演じるゲイリー・シニーズもいい。割と器用な俳優で、悪役をやらせてもうまい。「身代金」の黒幕役がよかった。
アンソニーホプキンスの若いころを演じる男ウェントワース・ミラーとその彼女が出てくる。ボクシングのシーンにも挑んで、なかなかの熱演だ。大胆なシーンも散らしながら、ホプキンスの悩みのルーツに触れていく。



傑作という訳ではないが、映画巧者による安心して観れた映画である。

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ガキ帝国  島田紳助

2010-08-07 07:48:49 | 映画(日本 昭和49~63年)
今をときめく島田紳助が相棒松本竜介とともに大阪でツッパリを演じた映画である。暴力表現大好きな井筒監督の出世作ともいわれる。昭和56年の作品で、まだ映画づくりが今と比べるとかなり粗いが、井筒監督得意のツッパリ喧嘩シーンのルーツは観ておいてもいいだろう。

昭和42年の大阪を舞台に、ケンカと遊びに明け暮れる少年たちの青春を鮮烈に描いている。少年院帰りの島田紳助は仲間の松本竜介とともに、裏の大阪愚連隊であるキタの北神同盟、ミナミのホープ会の二大グループの抗争の間で、つっぱって立ち回っていた。ひたすらケンカにあけくれる毎日を描く


約30年前とはいえ、島田紳助の顔が違う。映画の中のアカぬけない表情は今のテレビスターとしての表情と大きく違う。男の顔は履歴書というが、まさに大きく成長した紳助を我々はテレビで見ていることがわかる。ここでは相棒松本竜介も頑張っている。コテンパンにやられながらも、相手に立ち向かうところはいじらしく感じさせる何かがある。

画面ではひと時代前の大阪の匂いをぷんぷんさせる。ハチャメチャでどこか危険な匂いである。ゴーゴーダンスや当時の風俗を取り入れているが、服装はちょっと違うのかな?という印象を受けた。一部のアイビールックは良しとして、不良少年の服装はもう3から4年くらいあとの服装ではないであろうか?画像のセンスもちょっと古めだ。近年井筒監督がつくる映画とはタッチは違う。それは仕方ない。まあよくケンカさせる。本気に近い動きを見せる場面もある。長回しでリンチシーンを撮るシーンもあった。これはやられるほうはたまったもんじゃないだろう。

島田紳助のルーツを見るだけでも価値はあるかも?
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中山美穂 love letter

2010-08-06 18:51:53 | 映画(自分好みベスト100)
「Love Letter」(ラヴレター)は、1995年公開された岩井俊二監督の日本映画である。 中山美穂、豊川悦司主演。死んだ元恋人の住所に宛てた恋文からはじまる、雪の小樽と神戸を舞台にした素敵なラブストーリーである。傑作という噂にもかかわらず、DVDレンタル化されていなかった。今回中山美穂久々の主演「サヨナライツカ」と一緒にレンタル化された。
ストーリー、俳優、演出、音楽、撮影ともすばらしい傑作である。

中山美穂は2年前に亡くなった元恋人の3回忌に出席していた。帰りに元恋人の家に寄ったときに、中学の卒業アルバムを母親の加賀まり子から見せてもらった。アルバムに記されていた恋人「藤井樹」の小樽時代の住所へと封書を出した。母からは道路立ち退きでその住所に家はないと聞いていた。しかし、小樽では一人二役となる「藤井樹」こと中山美穂が封書を受取った。彼女は縁のない神戸から、見ず知らぬ名前の手紙が来て驚いたが、逆に不審に思い返事を書いた。もっと驚いたのは神戸の美穂だ。昔からの知り合いの陶芸家である豊川悦司にその話をした。
つまり中山美穂が卒業アルバムの住所を写したのは、同姓同名の「藤井樹」の住所で二人は中学の同級生であったのである。。。。そして奇妙な文通が始まるのである。

小樽が実に美しい。父の故郷である小樽を冬に訪れた事はない。父も小学校1年に東京に引っ越してきたこともあり、長くは住んでいない。数度の訪問はいずれも夏であった。青春時代を映し出す小樽の街も趣きがある。小学校1年に最初に行ったとき、戦前に父が祖父たちと住んでいた家を見た。そのあと14年ほどたって再度訪れた。その家も街の様子もまったく変わっていないので驚いた。最近は変わったとの話も聞くが、戦前に満州、樺太貿易で全盛時代を迎えた小樽の歴史は長い間止まったままだったのであろう。



音楽が非常にしっとりしている。雪景色にあっている。実に美しい画像だ。
青春時代の映像もいい。純愛映画というべきであろう。
そこに映し出される感情が純粋だけにハートに染みいる。久しぶりの感動だ。

雪景色に同化する中山美穂が素敵だ。今から16年前というときは、彼女にとってピークであったと思う。常にヒットチャート上位に入って、トレンディードラマも連続で出ているころだった。このころの中山美穂の歌はほぼ歌える。「サヨナライツカ」の彼女もきれいかもしれない。でも相応の年に純愛を演じる彼女の可憐さにはかなわない。
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しあわせの隠れ場所  サンドラブロック

2010-08-06 09:03:58 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
スラム街に生まれ、ホームレスのような生活を送っていた人並み外れて巨漢の黒人青年が、裕福な白人女性サンドラブロックの一家に家族として迎え入れられ、アメフト選手としての才能を開花させていく姿を描く。アメリカンドリームというべきなのであろうか?いや違う。リッチマンがペットのように貧しい青年を育て上げていく信じられないような心温まる作品だ。



肉親兄弟と生き別れになった一人の黒人の若者は白人中心の名門ハイスクールに入学する。しかし学力は最低レベルだった。真冬の寒い夜に半袖短パン姿で歩いていた彼を見かけたサンドラ・ブロックは彼を自宅へと連れ帰る。サンドラには同じハイスクールに通う娘とまだ小学生の息子ががいた。夫はスーパーのチェーン店を手広く経営していた。応接間のソファーに彼を寝かしたサンドラだが翌朝起きてみると彼はこっそり出て行こうとしていた。彼女は彼を引き留め数日後には彼のための部屋に新しいベッドを用意する。これに対してマイケルがベッドが初めてだと述べたことに対してサンドラは驚き、周囲の反対を押し切り、自分の身内のように育てようとするが。。。。



このあと彼はアメリカンフットボール選手としてのキャリアを積んでいく。しかし、成績はよくないので、プレイヤーとしての能力があっても下手をすると大学に行けなくなってしまう。そこで登場するのが家庭教師キャシー・ベイツだ。映画「ミザリー」の彼女を想うドッキリとするが、いつもながらの安定感のある演技であった。

まだ貧しかったころの日本では、地元の素封家がスポンサーとして優秀な学生を書生として育て上げていくのが当たり前のようにあったらしい。誰もが一定以上の収入を得ることが可能になった日本では、こういう話は信じられないことのようだ。しかし、貧富の激しいアメリカ社会では、明らかな下層社会がまだ存在する。そういう層をを助けようとする人たちがいることには驚かされる。今の日本よりハートフルではないか?

サンドラブロックは言い出したら聞かない強情な中年女性をいかにも「らしく」演じている。この作品で念願のオスカー主演女優賞をとった。作品の内容にも恵まれたのかもしれない。こういったハートフルな映画は安心して見ていられる。ヒットしたのもうなずけられる。
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おとうと  吉永小百合

2010-08-05 19:53:06 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
山田洋次監督の現代劇で、吉永小百合と笑福亭鶴瓶が姉弟を演じる家族ドラマ。吉永の娘に蒼井優、思いを寄せる地元の青年を加瀬亮と新旧入り混じった俳優による作品だ。ぐうたら関西人を演じる鶴瓶のうまさが際立つ作品だ。

東急池上線沿いのある街で薬局を営む吉永小百合は、夫を早くに亡くし、女手ひとつで娘の小春こと蒼井優を育てていた。医師との結婚が決まった蒼井優の結婚式に吟子の弟笑福亭鶴瓶が突然現れた。彼は吉永の夫の13回忌に酔って大暴れしてから行方不明になっていた。飲むなという注意にもかかわらず、泥酔して披露宴を台無しにしてしまう。夫の親族に責められ、吉永親子は弟を叱責する。しかし、結婚式の混乱から蒼井優の夫婦関係がぎくしゃくしてしまって出戻ってくることになるが。。。。



自分の地元ということもあり、池上線の石川台付近が舞台というのがすぐわかる。坂の多い場所である。小津安二郎の「秋刀魚の味」でも池上線石川台駅のホームが出ていた。松竹と関係あるのかな?
吉永小百合の薬剤師というのはなかなか適役である。65歳を過ぎてみずみずしい美しさを保っているのは脅威である。でもここでの弟をかばうキャラはちょっと行き過ぎな感じがした。普通だったらかばえない出来の悪いおとうとを終始かばいまくる。この母性の強いキャラにサユリストたちはぞくぞくするのであろうか?



笑福亭鶴瓶は実にうまい。いい加減な関西人を演じさせたら、今彼をしのぐ人間はいないと思う。「ディア・ドクター」でもうまさが際立ったが、彼のキャラだけで映画を大きく盛り上げている。もともと喜劇が専門の山田洋次監督も彼とのコンビは気が楽であろう。脚本も担当している山田洋次は彼の大阪キャラを全面に取り入れている。渥美清にアドリブを語らせたごとく、彼にも好きにやらせたのだと思う。楽しみながら映画がつくれたのではないか?大阪でのシーンは主に特別施設が中心であった。ネタばれになるのであまり触れないが、こういう施設があるとは知らなかった。

若手の二人も主役を張れる実力を持っているだけあって安定感があった。
まずまずといったところであろう。

おとうと
吉永小百合の薬局店主とぐうたらおとうと
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草原の輝き  ナタリー・ウッド

2010-08-01 20:39:40 | 映画(洋画 69年以前)
「エデンの東」「波止場」のエリアカザン監督の61年の作品である。「俺たちに明日はない」のウォーレン・ベイティと「ウエストサイドストーリー」のナタリーウッドが主演する青春モノである。恋の行き着くところがどこまでなのかを模索している高校生の微妙な心理を描く。1920年代の設定なので、アメリカの若い高校生も行き着くところまで行き着けないもどかしさを感じている。大恐慌前の能天気な20年代の時代背景も読み取れるのもよい。



1920年代のある地方都市、高校に通うウォーレン・ベイティとナタリー・ウッドは恋人同士である。オープンカーを乗り回してのデートで、キスを交わす仲であるが、それ以上は進めない。貞操観念をどこまで持つべきなのかで悩んでいる。事業を営む父の希望でエール大学へ行こうとするが、成績はふるわない。そんな彼に別の女の子が積極的に近づいていき、ウォーレン・ベイティがつまみ食いをしてしまうが。。。。

村上春樹は「この映画を想うと哀しい気持ちになる。」と述べている。
確かに純愛を基調とする彼の作品に相通じる部分がある。同時に普通に付き合っている二人に別の女性が割り込んで、もとの女性が激しいショックを受けるという設定も彼の小説にはよくみられる。ということは、同じようなことが彼の体験にあるのであろう。

この映画の中で、親たちが株の急上昇であぶく銭が入って大喜びするシーンが出てくる。1920年代のアメリカはそういう時代だったのであろう。ある意味日本のバブル時の熱狂に相通じる部分もある気がする。エリアカザン監督は「エデンの東」では商品取引にスポットをあてた。彼が共産主義者からの転向組であるのは有名な話だ。金にかかわる話には映画監督の割には敏感なのかもしれない。

それにしても1920年代といえば、日本では大正末期から昭和一桁だ。今の高校生とそん色ない服を着て、スクールパーティを実際にやっていたと思うと、驚かされる。ナタリーウッドがパーティによく映える。この映画の前に史上最高の西部劇といわれるジョンウェイン「捜索者」では、インディアンに同化するかわいい少女を演じていた。このあとに「ウェストサイドストーリー」で主役を張る。その人の美しさの絶頂期を観るのは気分がいい。この作品では風呂場での派手なオーバーアクションが印象的だ。

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透光の樹 秋吉久美子

2010-08-01 19:14:16 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
高樹のぶ子の原作を永島敏行、秋吉久美子の共演で描く2004年の作品である。撮影当時50歳だった秋吉久美子がかなり大胆な濡れ場を演じる。この年齢にしてこれだけの魅力を保っていられる秋吉久美子には脱帽である。


テレビの制作会社の社長である永島敏行は、撮影で金沢に来ていた。彼は15年前に刀鍛冶の男を取材に来た際、その娘に強烈に惹かれたことがあった。まだセーラー服の似合う高校生であった。その思いを持ちながら車で石川県の鶴来町に向かった。そして家に行くとすでに老いていた父親と出戻りの娘秋吉久美子が秋吉の娘と共に暮らしていた。永島は寝たきりになっていた父親と話すが、父親は彼を借金取りと勘違いした。一家は生活に困っているようだった。秋吉久美子の魅力に取りつかれた永島は、彼女の金銭面での援助をすることを約束した。そして二人は結ばれて行くのであるが。。。



ストーリーに大きな起伏はない。いかにも高樹のぶ子らしい匂いのするストーリーである。渡辺淳一の一連の作品の匂いも感じる。映画を観ていって、秋吉久美子が次第に大胆になってくる。彼女も息の長い俳優である。藤田敏八監督作品「赤ちょうちん」「妹」で若いころから脱いでいた。あれから30年以上たつ。かわいい顔とナイスバディのコントラストが印象的だった。こういう場合、普通は昔はよかったなんて話になるが、彼女の場合は違う。むしろこの作品のほうが狂喜に迫る魅力をぷんぷんさせる。50にしてこんな官能的な魅力を持つ女性はたぶんいないのではないか。
この映画の見どころはそれだけといっても過言ではない。
すごい!

ネタばれではないが、最後に15年後のシーンがある。これは絶対におかしい!
永島と秋吉は高校生のときから25年ぶりに出会ったという設定。それなら秋吉の設定は42から43歳の設定だ。そうすると、その15年後なら57から58歳となる。秋吉久美子の雰囲気が違いすぎる。70を大きく過ぎた認知症のおばあさんのようにしている。
いくらなんでもこれは不自然だ。余計だったなあ。
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