映画「Playground 校庭」を映画館で観てきました。
映画「Playground 校庭」は小学校におけるいじめを題材にしたベルギー映画である。原題は「Un monde」(世界)で英題がPlayground(校庭)だ。予告編で小学生がいじめられている兄貴を見て心を痛めるシーンに胸がキュンとなる。いじめられた経験は自分にもある。観るのが怖くなる。わかっていて選択を後回しにしたが、スキマ時間ができたので72分間鑑賞する。ベルギーの女性監督ローラ・ワンデルの作品で言語はフランス語。題材は日本にも共通する内容のいじめだ。
7歳のノラが小学校に入学した。しかし人見知りしがちで、友だちがひとりもいないノラには校内に居場所がない。やがてノラは同じクラスのふたりの女の子と仲良しになるが、3つ年上の兄アベルがイジメられている現場を目の当たりにし、ショックを受けてしまう。
優しい兄が大好きなノラは助けたいと願うが、なぜかアベルは「誰にも言うな」 「そばに来るな」と命じてくる。その後もイジメは繰り返され、一方的にやられっぱなしのアベルの気持ちが理解できないノラは、やり場のない寂しさと苦しみを募らせていく。(作品情報 引用)
緊迫感あふれる作品だ。重い内容には考えさせられる。
手持ちカメラで学校内にいる主人公の7歳の少女を舐めるように追う。学校外のシーンはない。視線はあくまで少女で、学校内での周囲の出来事は遠目に映し出す。ただ、予想したストーリーと途中から経路が変わる。兄貴へのいじめが徹底的になされて最後で解消される展開と思っていたら、違った。もっと事態は重くなっていくのだ。
公開館は少ないが、ぜひ日本のすべての小中学生や教員に観てもらいたい心に深く突き刺さる映画だ。と言っても道徳的勧告がある映画ではない。客観的にいじめの実態を追い、それによって心悩ませる子どもたちがいることを我々に伝える。映画を観るといじめは万国共通と認識できる。作品情報に「大人にはうかがい知れない子供の世界」と書いてあるが、違うと思う。われわれの誰もが子供のころに自分でなくても周囲で体験したことがあるような話ばかりなのだ。
⒈初登校の不安
主人公は途中で少女とわかるが最初は少年だと思っていた。ボーイッシュでもかわいい。校門で主人公が泣きながら校庭に入る場面でスタートする。初登校なのだろうか?転校かな?状況は説明がない。兄が妹を励ましても前方に歩こうとしない。ずいぶんと兄を頼りにする。甘えん坊だなあと感じる。自分の名前をなかなか言えないし、食堂でも視線は離れている席で食べている兄に向かう。でも兄はいやがる。父親は登場するけど、母親は映らない。父親は主夫だ。失業?離婚?幼稚園の類にも行っていなかったのか?いきなり小学校進学なのかもしれない。
自分で振り返ると、初めて小学校に行った日の入学式は脳裏に残っていないが、集合の記念写真を撮られた記憶と教室に入って別の幼稚園出身の見慣れぬ周囲の子どもたちがガヤガヤと走り回っている記憶が残る。この主人公ほど不安な気持ちはなかった気がする。むしろ幼稚園に入園した時に、幼稚園バスに乗るのに抵抗した記憶が心に残る。
⒉苦手な体育とひも結び
主人公ノラは不器用だ。自分も似た者なので親しみを持つ。体育の時間で平均台をうまくこなせないし、靴のひもを結べない。自分は跳び箱が不得手で、先生からいい印象を持たれなかった。跳べるようになった後も通信簿に跳べないと書き込まれていやだった。小学校低学年の自分は先生と合わなかった。
ノラは友達との接触を当初嫌がっていたけど、学校に慣れ2人の女の子と遊ぶようになる。靴のひも結びも教えてもらう。ところが、兄のいじめの噂で周囲の女の子からノラと遊ぶのをいやがられる。男子のいじめとは違う女性特有の陰湿な扱いで、ノラだけ誕生日会に呼ばれない。すると、ノラが爆発してしまうのだ。小学生の頃のお誕生日会は子どもにとっては重要なイベントだ。のけ者にされる辛さ、不安心理もクローズアップする。
辛い時もノラの良き理解者だった先生が途中で交代する。先生の交代がいい方向に進むこともある。自分は高学年に向けてそれで助かった。実際にはノラ自体がわがままだけど逆によくない方向に進む。
⒊イジメを親や教員に言えない
兄はドラえもんのジャイアンのような体の大きな生徒たちにいじめられ続ける。父親にはいじめられたとは言えない。いじめによる軽いキズもサッカーでケガしたと弁解する。トイレの便器でいじめられているのを妹が遠目に見て監視員を呼ぶ。兄は「誰にも言うな」と口止めする。
さすがにおかしいと思った父親にノラは兄がいじめられていると言うのだ。いじめっ子に父親が「今度やったら親に言うぞ」と諭して収まるかと思ってもやめない。もっと酷い仕打ちを受けていよいよ教師にもわかり大騒ぎになるのだ。
いじめの構図はベルギーも日本も同じようなものだ。日本でもいじめられた本人は親に言わないケースがほとんどではないか。それが徐々にエスカレートして大問題になるのも同じ。こんな映画を子供と先生が一緒にみることがいじめ防止の特効薬になる気もする。
⒋いじめられた記憶は一生心に残っても、いじめた方は忘れる行為だ。
普段の生活では忘れていて意識していなくても、何かのきっかけでいじめを受けたことが数十年前のことでも映像のように頭に浮かぶことがある。イヤな奴っていたよね。逆に自分が弱い者いじめをしたのをずいぶんと時が経って相手から指摘されたことがあった。まったく記憶から抜けていて驚いた。いじめたつもりがなかったのが情けなかった。要はいじめる方はたいしたことと思っていないのが問題なのだ。
いじめの場合日本人特有の同調意識で集団でエスカレートすることもある。ただ、高校大学と上級になるといじめは少なくなっても無視の世界もある。自分が社会に入ってからは面倒くさい奴がいると徹底的に逆らって吠えた。その方が相手は静かになるものだ。それでも、自分の地位をキープするためにあえて逆らわず耐え忍ぶこともあった。
ここからネタバレになるが、主人公の兄は学校側にいじめっ子と仲裁された後、なんと一緒になって逆に弱い者いじめをするようになるのだ。このケースもありうる気もする。レベルの低い大学の旧然たる体育会では日常茶飯事かもしれない。いじめる側はいい気になる。悲しいことだ。ここでは兄貴からのいじめ行為を見た主人公ノラが兄貴に抱きついて懸命に止める。希望につながるかどうかわからないがいいシーンだった。