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映画「野いちご」 イングマール・ベルイマン

2015-01-12 09:18:41 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「野いちご」は巨匠イングマール・ベルイマン監督による1957年のスウェーデン映画だ。(日本では1962年公開)
キネマ旬報ベスト10の最新情報が発表されたが、本作品は1962年の洋画部門1位である。


この作品を自分のベスト作品という人は多い。なにげに「ロードムービー」である。名誉博士号を授賞することになった老医師が、授賞式に出席するために車で自分に縁の深い場所をめぐりながら、現地に向かう。妄想をめぐらせながらいろんな人との関わりをもっていく一日を描いた作品である。
宗教的観念性をもつ他のイングマール・ベルイマン監督作品とはちがって難解ではない。それでも、悪夢が描かれ、現実を交差する中で医師がわずかながら変わっていく姿を描いている。この映画を本当に理解できるのはもう少し年をとってからなんだろうなあと思うけど、何度も見てみたいと思わせる映画だ。

78歳の孤独な医師イーサク・ボルイ(ヴィクトル・シェストレム)。妻は亡くなり、子供は独立して、今は家政婦と二人きりの日々を送っている。長年の功績を認められ、明日ルンド大学で名誉博士号を受けることになっていた。その夜イーサクは奇妙な夢を見る。

人影のない街、針のない時計。彼の前で止まった霊柩車。中の棺には彼そっくりの老人がいて、手をつかんで引きずり込もうとする。
夢から覚めたイーサクは、飛行機でルンドに行く計画を取りやめ、家政婦アグダの反対を押し切って車で向かうことにする。
車の旅には、息子エーヴァルドの妻、マリアン(イングリッド・チューリン)が同行することとなった。マリアンは家族に対して冷たいイーサクの態度をなじる。道の途中、ふと思いつき、青年時代に夏を過ごした邸宅に立ち寄る。古い家のそばに広がる野いちごの茂みに腰を下ろし、感慨に耽るイーサク。いつしか現在の感覚が薄れ、過去の記憶が鮮明によみがえってくる。

野いちごを摘む可憐な乙女、サーラ(ビビ・アンデショーン)。彼女はイーサクの婚約者だが、彼の弟に口説かれ、強引に唇を奪われる。家の中ではイーサクの母親、兄弟姉妹、親戚一族が揃い、にぎやかな食卓を囲んでいる。弟との密会をからかわれ、動揺するサーラ。彼女は真面目なイーサクより、奔放な弟に惹かれていることを密かに告白する。


夢から覚めたイーサクの前に、サーラそっくりの娘(ビビ・アンデショーン1人2役)が立っていた。サーラという名前の快活な女学生と、ボーイフレンドである2人の若者が旅の道連れとなった。途中、事故にあった夫婦を助けるが、アルマンと名乗る夫とその妻は車内で喧嘩を始め、うんざりしたマリアンは二人を追い出す。車はかつてイーサクが住んでいた美しい湖水地方にさしかかる。立ち寄ったガソリンスタンドでは、子供の頃に面倒をみた店主が彼を覚えていて、心のこもったもてなしをする。途中、年老いた母親の屋敷を訪ねたイーサクは、忘れていた過去の記憶に触れ、車の中で疲れて眠りに落ちる。

イーサクに手鏡をつきつけ、老いた自分の顔を見るよう促すサーラ。彼女は弟と結婚し、仲睦まじく暮らしていた。アルマンに導かれ、医師の適性試験を受けたイーサクは、ことごとく失敗して不適格とみなされ「冷淡で自己中心的、無慈悲」の罪を宣告される。更に一組の男女が密会する光景を見せられる。それはかつて目撃した、妻カーリンの不倫現場であった。アルマンはイーサクに「孤独」の罰を告げる。
(作品情報引用  太文字は夢想場面 )

私は今までに、自分の死体と出会う夢を見たことはない。高い場所から飛び降りたりする夢を見ても、その途中で目が覚めてしまう。あれ!これは夢なんだという夢を見るときでも、自分は死んではいない。自分もいい年になったが、こういう夢を見るのはもう少したってからなんだろう。逆に言うと、見るようになった時は死期が近いと悟って心の準備をしなくてはならないのかもしれない。

それにしても、人間のいやな部分を徹底的に見せつける映画だ。主人公も老人のわがままを通し続ける。
「人の悪口を聞くのが嫌で友人をもたない」という主義だ。孤独だけど、それでいいとしている。
人話は聞かない。エゴイストで、頼って自分のもとに来ている息子の嫁にもそっけない。タバコを吸おうとする娘に対して、男が葉巻をすうのはいいけど、女は禁煙にすべきだという。

それじゃ、女の楽しみは何?という質問には
「泣くこと、出産と人の悪口を言うこと」そうのたまう。

本来授賞式には40年来仕えているメイドと飛行機で駆け付ける予定だった。
でも自分の死体と対面する悪夢を見て、朝3時に車で行くことにしたわけだ。その途中で出会いがある。


1.気難しい出演者たち
主演のヴィクトル・シェストレムはサイレント映画時代の名監督だったという。当時78歳、現代と比較すると明らかに寿命が短い当時ではこの年での出演は多少無理があったろう。でも彼にしか出せない独特の雰囲気がまさに気難しい老医師というのをしっかりと演じている。枯れ切った表情にも味がある。事実この映画に出演した3年後に亡くなっている。渾身の演技だったわけだ。

その主人公には96歳になる母親がいる。これがまたイヤな女だ。息子の顔を見るなり、死んだ嫁の悪口がはじまり、悪口が止まらない。それをみて主人公の息子の嫁が「死さえも彼女をさけているようだ。」とあきれてしまう。他にも事故に遭遇してであった夫婦の変人ぶりなど、この世のイヤな部分を全部出し切るみたいな感じである。

2.イングリッド・チューリン
映画で最初に彼女が出てくる場面がある。その美貌にハッとさせられる。
日本映画の場合、一部女優を除いて昭和32年当時の女性は現在と比較すると、何かアカぬけない。イングリッド・チューリンの場合は、むしろ現代よりも進化している未来人のようだ。自分と同様の感想を当時映画を見た日本人は感じたであろう。


どちらかというと、現代人に近い考え方をもつ。

3.1962年度(昭和37年度)のキネマ旬報評価
この年はミケランジェロアントニオーニ監督の「情事」、「夜」、ジョンフォード監督「怒りの葡萄」、ポールニューマンの「ハスラー」と名作ぞろいで、2位は「ニュールンベルグ裁判」だ。そんな中、自分がよく知っている3人の選考委員が10点をつける。津村秀夫と双葉十三郎、そして淀川長治だ。

津村秀夫は自分の大学で「映画論」を講義していた。
「人生の厳粛と苦汁と甘美さとが、融合しており独特な風味を形成しているのであり、それは人生の終末点に立って枯れ木のごとくゆれる哀れに心細い老人の内面であっても、そこに展開される世界は色彩感が豊富であって幻滅も愛も戦慄も恐怖も織り成されているのだ。舌の上にのせても、とろりとするような甘美さが残るのである。」

大先輩双葉十三郎は長い評論家人生に9000本ほど評価した中で、最高点を与えている数少ない15本の1つとしている。
「潜在意識のの映像化という手法を用いた人生観照ドラマとして最高峰を極めたものである。。。老いて死を予感している主人公の内面のとらえ方は見事としかいうほかない。人々との接触で微妙に変化していく経過が、夢と幻想を交えて描かれているうちに、彼の人生が浮かび上がっている。」

映画雑誌編集者だった淀川長治双葉十三郎は仲がいい。一方で朝日新聞の映画担当記者で「週刊朝日」編集長だった津村秀夫双葉十三郎映画「商船シナシチ―」のことで論争をしたことがある。
そんな3人だけど「野いちご」は10点だ。この年断トツのトップである。

最後にむけて徐々に心を開く主人公の境地に自分が至るのかどうか?これからもこの映画を見ていきたい。

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