映画とライフデザイン

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映画「白い牛のバラッド」マリヤム・モガッダム

2022-02-19 20:02:10 | 映画(アジア)
映画「白い牛のバラッド」を映画館で観てきました。


映画「白い牛のバラッド」イラン映画、日本で公開される作品はいずれもレベルが高い。予告編で冤罪で死刑執行された男の未亡人の物語だというのはわかっていた。 マリヤム・モガッダム、ベタシュ・サナイハの共同監督マリヤム・モガッダムが主演の未亡人を演じる。

殺人犯で死刑となった夫を亡くして、聴覚に障害のある娘と2人で暮らすシングルマザーのミナの元に裁判所から真犯人が捕まったという報告が来る。賠償金がもらえることになる。その後、夫から金を借りたというレザが現れ、住居の移転先を斡旋してくれたり親切にしてくれる。しかし、レザにはミナに告白していない秘密があったという話である。


おもしろいとは到底言えない重い映画である。
サスペンス的な要素もあり、ストーリーの先行きが常に気になる緊迫感がある展開で飽きない映像の構図は上質できれい。類似するパターンのいくつかの映画が思い浮かぶが、今回のような設定は初めて観る。イスラム教や古代メソポタミアの倫理観が影響している感を持った。

⒈金銭的に困窮する主人公
テヘランの牛乳工場で働きながら耳の聞こえない幼い娘ビタを育てるミナは、賃料も滞納して、生活も困窮している。遺族年金をわずかしかもらえない。娘も学校になじんでいない。そんな時に裁判所に呼ばれる。


夫ババクの殺人容疑裁判の証人になった2人のうちの1人が真犯人とわかったのだ。すでに死刑は執行されており、夫はこの世にいない。賠償金をくれるというが、裁判所当局の判事に怒りがこみ上げる。映画が始まって早い時間に冤罪だったということがわかる。この映画は冤罪を証明するという内容でないことがわかる。

⒉突然訪ねてくる夫の友人
突然、未亡人ミナのもとへ1人の男性が尋ねてくる。予告編で男性が訪問するシーンがある。これって真犯人なのかな?と観る前に想像していた。実際には、真犯人が分かっているので尋ねてくるわけがない。夫ババクの友人だという男性レザは夫から多額のお金を借りているという。あれ?詐欺師かな?と思ったら、普通にそのお金を返す。しかも、ミナと娘に親切にしてくれるのだ。


日本の倫理観と違うのか、イスラム教の考えなのか?男性が訪ねて来て部屋に入ったのを見たというだけで大家から追い出されることになる。部屋探しで不動産屋を回っても、未亡人は受け入れてくれないことが多い。途方に暮れているミナにレザは安い賃料で借りられる部屋を紹介するのだ。レザに助けられるのだ。

こういうシーンがある一方で、レザがミナに夫の無罪を説明した裁判官と2人であっているシーンが映る。いったい何者なんだろう?

⒊高倉健の唐獅子牡丹
高倉健の任侠映画ってわりと似たような設定になることが多い。昔はヤクザだったけど、今は出所して堅気なんてパターンは「夜叉」や「冬の華」など何度もある。その「冬の華」に類似しているのが、主題歌があまりにも有名な「唐獅子牡丹」である。三田佳子との共演だが、三田佳子演じる組の姐さんの亭主を義理の世界でやむなく殺したのが、高倉健で刑務所から出てきて名乗らずに姐さんと子どもをかわいがるという設定だ。映画を観ながらアナロジーを感じる。


⒋主人公の変化
親切にしてくれるレザは夫が亡くなった後に神が授けてくれた人だと思うようになる。聴力のない唖の娘もレザと一緒に映画を観たりしている。レザの顔を見るミナの表情が変化していく。心臓発作を起こしたレザに渾身の看病をする。いなくてはならない人になる心境の変化をマリヤム・モガッダムが巧みに演じる。


しかし、観客であるわれわれはレザがどういう人物かを知っている。いったいどんな結末にもっていくのか?おそらく観客の誰もがそう思っていたところで、最終転換を迎える。

イスラム教の教義の影響もあるのだろうか?と思いながら、最終局面を眺めていた。いや、高校の世界史で習った古代メソポタミア文明のハンムラビ法典だと思いつつ、日本と違った強い遺伝子がイラン人にあるのかなと感じていた。
コメント
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