映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

恋におちたシェイクスピア

2011-07-25 18:27:56 | 映画(洋画 99年以前)
最近16世紀のヘンリ8世以降の英国が妙に気になるようになった。しかも、日経新聞「私の履歴書」にシェイクスピアの新訳で名だたる東大名誉教授小田島雄志氏の話が掲載されて、シェイクスピアが妙に気になる。とすればこの映画である。
「恋におちたシェイクスピア」はロミオとジュリエット誕生時のシェイクスピアのエピソードを描いた傑作である。若かりし日のウィリアム・シェイクスピアと彼を信奉する上流階級の娘ヴァイオラとの恋愛を描く悲喜劇のロマンスだ。映像、音楽、美術とも抜群で傑作とはこういう作品をさすものなのであろう。グウィネスパルトロウがキュートで男装の短髪姿が抜群にかわいい。ジョセフファインズの身のこなし方も演劇的でこの映画の趣旨にあっている。


16世紀末、アルマダの戦いでスペインの無敵艦隊を撃破したのちのロンドンは演劇熱が高まっていた。ところが、ペストで閉鎖となる劇場も出てくる。そんなピンチに劇作家シェイクスピアことジョセフファインズはスランプに陥っていた。劇場復活にむけて起死回生の新作オーディションにやって来た一人の青年トマス・ケントことグウィネスパルトロウは抜群のセンスを示す。彼が気になり、シェイクスピアはケントを追って船に乗る。シェイクスピアは芝居の最中に観衆として目を留めた美しい女性ヴァイオラが気になっていた。トマスにその想いを語っていた。船が屋敷に着くと船頭がトマスケントに「お嬢様」とのたまう。まさかと思いながら屋敷に向かうシェイクスピアだった。青年トマスは資産家御令嬢の「ヴァイオラ」だったのだ。
シェイクスピアと彼を信奉するヴァイオラはたちまち恋におちてしまう。屋敷の部屋で朝まで二人だけの時間を過ごす。燃え上がる恋心が創作意欲を書き立てたのか、シェイクスピアの台本は急ピッチで仕上がって行き、トマス・ケントを主役とした芝居の稽古も順調に進んでいた。ところが、エリザベス女王ことジュディデンチお墨付きの貧乏貴族コリンファースとの結婚がせまるヴァイオラの気持ちは複雑だった。。。。


悪い見方をすると不倫映画である。所帯持ちであることを隠して美しい女性に近づくシェイクスピアは見ようによっては悪い男だ。でもそういう色彩が薄らぐ。むしろグウィネスの婚約者コリンファースが悪者に見えてしまう。不思議なものだ。相撲の土俵に女性が上がれない文化も今の日本にあるが、16世紀のイギリスには女性が舞台で演じられない文化があった。そういう理不尽の中、ストーリーは主演2人の恋をかばいながらやさしく展開する。音楽もやさしい。衣装も手がかかるものだ。この辺りの時代背景を今一歩つかんでいないが、「夜這い」の文化ってあったのであろうか?夜ごと通うシェイクスピアの動きを見てふと思ってしまう。


ここでは名優たちの活躍が目立つ。劇場主のジェフリーラッシュ、婚約者役のコリンファースはもとより、エリザベス女王のジュディデンチが貫禄を見せる。久々見たが、映画を見る前に思い出されたのが2人が結ばれるシーンと最後のエリザベス1世の登場場面である。あのシーンの存在感は忘れようと思っても忘れられないほど強い。007の秘密組織の女親分役もあっているが、独身のエリザベス1世の威圧感はまさに適役といえよう。

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エリザベス  ケイトブランシェット

2011-06-26 17:48:36 | 映画(洋画 99年以前)
映画「エリザベス」は16世紀のイングランド女王エリザベス一世の女王創成期を描く。英国国教会を築いたヘンリー8世と、侍女アン・ブーリンとの間に生まれたエリザベスが女王になる時から、独身を決意して統治にあたろうとする姿を描く。ケイトブランシェットが好演、それを芸達者のジェフリーラッシュや「恋におちたシェイクスピア」で好演したジョセフファインズが支える。ヘンリ8世の離婚問題があるだけに世界史の中でもおもしろい場面で、何度も取り上げられてきた題材だ。



16世紀の英国史を振り返る。1534年自身の離婚問題でローマ教皇との関係が悪くなり、ヘンリ8世は首長法を発令して、自らイギリス国教会の首長を宣言した。カトリックから独立したのだ。1517年のマルティンルターの「九十五カ条の論題」以降プロテスタントの動きが欧州で活発になっていた。しかし、ヘンリ8世死去以降のイギリスではなおも旧教・カトリックと新教・プロテスタントの勢力争いは続いていた。
そして映画は1554年に始まる。ヘンリ8世の子である女王メアリー1世はカトリックを復活しプロテスタントを弾圧した。スペイン王であるフェリペ2世と結婚したにもかかわらず彼と会う機会はめったになかった。ヒステリックになっていた。
一方でヘンリ8世が侍女アン・ブーリンに産ませたエリザベスことケイト・ブランジェットは異母姉妹のメアリ1世にいじめられていた。ロンドン塔に投獄されてしまう。メアリー1世はフェリペ2世との子ができたのでは?と想像妊娠をするが、結局は子宮の病気だった。そのまま他界した。1558年、エリザベスに王位が継承される。新しい女王に、フランスのアンジュー公やスペイン王との結婚話が持ち上がる。エリザベスは恋人のロバートことジョセフ・ファインズと逢い引きを重ねていた。国内の財政は苦しく、スコットランドとの戦争にも敗れたイングランドの状態はよくなかった。エリザベスは新教派の重鎮ことジェフリー・ラッシュを味方につけ、国を新教に統一することを決定した。これを怒ったローマ法王は英国に密使を送るが。。。。

視線をいろんな人物におきながら、16世紀のイギリスは題材になっている。ナタリーポートマンがエリザベスの母であるヘンリ8世の侍女アンブーリンを演じた映画はまだ最近の話だ。

トマスモアをメインにしたオスカー作品「わが命つきるとも」もある。「エリザベス」では父ヘンリ8世は出てこない。彼が亡くなった後という前提で、エドワード6世も出てこない。メアリー1世の王位時代から描かれる。メアリ1世はここではまさに嫌な女として描かれる。政略結婚でスペインのフェリペ2世と一緒になったにもかかわらず、年下の彼は別の女に手を出してメアリ1世の前には姿を現さない。メアリはかわいそうな存在ではあるが、ここではいじめ役として描かれる。
エリザベスは新教徒として異端な身で、あやうく処刑になりそうになる。そういう深刻な場面もあるが、どちらかというと自由奔放な存在だったエリザベスを描いている。そこがいい。それを描くためか恋人にジョセフファインズを持ってきたのは適切だったろう。軟派の匂いがする彼を持ってきたことで、色彩が柔らかくなる。「恋におちたシェイクスピア」と同じ効果だ。
同時にフランスのアンジュー公の軟派ぶりも見モノだ。

おもしろい題材であるが、どうしても近世までの映画はタッチが暗くなる。まだ暗黒の中世から抜けきっていない。争い事すべてに宗教がからんでくる。いやな時代だ。
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Uターン  ショーンペン

2011-06-23 18:41:34 | 映画(洋画 99年以前)
オリバーストーン監督には珍しいブラックジョークのような作品。ショーンペンを主人公にしている。マフィアに追われた男が砂漠の町に迷い込む。そこで無一文になり、借金に追われた彼がハチャメチャな行動をとる。回りもみんなハチャメチャという設定だ。

主人公であるショーン・ペンは、車が故障したため「Uターン可」(よそ者は引き返せの意味)の標識を掲げた、砂漠の果ての街にやってくる。ショーンペンは借金でマフィアに追われるならず者だ。すでに2本指づめをされた。そこで肉感的で美しい女中米系の美女ジェニファー・ロペスに出会う。ショーンは言葉巧みにジェニファーロペスに近づく。事を運ぼうとしたら彼女の夫ことニック・ノルティが「俺の女に手を出すな」と現れる。ところが、ジェニファーの夫から「妻を殺してくれたら金をやる」と言われる。その場を立ち去ったショーンペンだったが、コンビニで強盗に遭遇してしまう。巻き添いを食った彼は手持ち金をなくした。一文無しの彼は借金もあり、夫の依頼を引き受けることにした。ショーンペンはジェニファーを山の絶壁へと誘い出すが、逆に誘惑され肉体関係を結ぶ。逆に夫を殺害するように仕向けられるが。。。。



ペギーリーの軽快なジャズヴォーカルで始まる。社会の底辺の男女がたむろう街に立ち寄ったショーンペンがはまってしまうという内容だ。軽快な展開を予測させたが、そういうどたばたが続き不愉快な印象だ。オリバーストーンというよりも、コーエン兄弟が好きそうな題材だ。コーエン兄弟だったらもっと面白くするのになんか違う。笑いを誘わない。ショーンペンらしさがにじみ出ている。ジェニファーもエスパニア系特有の色気をむんむんさせる。個人的にはショーンペンの映画には失望感を味わったことはない。でも残念ながらいま一つのれない作品だなあ。
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キカ ペトロ・アルモドバル

2011-05-10 17:45:33 | 映画(洋画 99年以前)
スペインの巨匠ペトロアルモドバル監督の93年の作品だ。いつもながら色彩設計の凄さに圧倒される。正直ストーリーは支離滅裂で、いつも通りにあらすじを書くのも難しい。基本はサスペンスであるけれども、色彩や衣装に目を奪われて話の内容はどうでもいいと思ってしまう。



数あるペトロアルモドバル監督の作品の中でも、登場人物がハチャメチャである。
メイクアップアーチストである女性主人公キカを中心に動いている。でも放浪作家やその息子であるカメラマンを登場させキカと三角関係にさせたり、ちょっと不思議な格好をした異常なニュースキャスターに、ピカソのような顔をしたメイドとその弟にあたりポルノ男優だった犯罪者などを登場させかく乱させる。


ペトロアルモドバル監督の作品はストーリーをまともに受け入れようとすると頭が混乱してしまう。不思議系である。でもずっと見ていて飽きない。それは、色彩設計が非常にうまいからだろう。
原色の使い方の巧みさは群を抜いている。赤、黄色、オレンジといった原色に彩られたインテリアは本当にすごい!美術のセンスがいい作品を見ると、それだけで楽しい。
衣装にもびっくりだ。特にSMクラブのお姉様のようなニュースキャスター役の衣装は映画史上でも際立つ異常さである。



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運命の逆転  ジュレミー・アイアンズ

2011-05-07 05:23:56 | 映画(洋画 99年以前)
「運命の逆転」は実話に基づく90年のサスペンス映画である。「危険な情事」で世紀の悪女を怪演したグレンクローズが、貴族出身の貴婦人と正反対の役柄を演じる。彼女がクレジットトップだが、夫役ジュレミー・アイアンズがアカデミー賞主演男優賞をこの映画で受賞した。冷静沈着な男を演じた。犯罪者なのか無罪なのかきわどい男を演じた。実に巧妙だ。

富豪の令夫人サニーことグレンクローズが病院で植物人間のように寝ている場面から始まる。その彼女が回想するがごとく話が始まる。
1980年の大富豪のお城のような家が舞台だ。主人であるクラウス・フォン・ビューローことジュレミー・アイアンズが朝食時に妻が不在ということに気づき、サニタリールームを見た。グレンが倒れていた。グレンは再婚で二人には妻グレンの連れ子の2人と二人の子供の妹がいた。ジュレミーの振る舞いをみて、連れ子の二人が疑問を持つ。結局彼女は植物状態に陥ってしまった。夫は財産目当てで妻の殺害を企てたと訴えられた。そして証人の証言、証拠などから裁判では1審で懲役30年の有罪判決を受けた。
ここまで速い展開で進んでいく。


ハーバード・ロー・スクールの教授アラン・ダーショウィッツことロン・シルヴァーはある日、ニュー・ポートに住む大富豪のジュレミーから弁護の依頼を受ける。ユダヤ人の教授は最初は裁判の引き受けをためらった。この事件は上流階級のスキャンダルとして世間の注目を浴びていた。会ってみると上流ぶった元ドイツ貴族のジェレミーからユダヤ差別と受け取りかねない発言も出ていた。元検察の人間がからんだ一審の判決への疑問、別の人権関係の事件の裁判費用を調達するためにも依頼を引き受けることにする。同時に同僚とチームを組んで事件を洗いなおす。
調べていくうちにいろんな事実が見えてきた。夫の供述もおかしくはない。確かに夫には愛人もいたり、不利と思われる事実も数多くあった。しかし、少しづつ裁判に有利な状況も浮かび上がってきたが。。。。

なかなかおもしろい作品だ。日本で言うと三浦事件のようだ。夫に愛人がいたりして、いかにもクロという印象を最初に我々に持たせる。簡潔に一審までの話を述べた後で、教授と主人との会話の中でわずかながら妻がみずから薬中毒になってしまったのではとしだいに思わせる。つくり方が上手だなと思う。
しかし、実話に基づくせいか、「逆転」という割にはびっくりさせるようなストーリーではないかもしれない。詰めが甘いような印象を持った。それは仕方ない。


主人公ジュレミー・アイアンズはいかにも冷静沈着な印象を与えるキャラクターを演じた。アカデミー主演賞というと、普通と違ったキャラクターを演じている時に与えられていることが多いと思う。今回は動の印象はない。でもこの役ってそう簡単ではない。お見事というのに尽きる。それを引き出したグレンクローズも貫禄の演技だ。せわしない教授を登場人物に入れたのも、主人公の冷静沈着ぶりを逆に印象付ける。対照的な存在をうまく引き出すことで主人公のオスカーが勝ち取れた印象を受けた。
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グッドウィルハンティング  マットデイモン

2011-05-01 06:16:45 | 映画(洋画 99年以前)
マットデイモン「ラウンダーズ」を久々見たら、その前の「グッドウィルハンティング」見たくなった。この映画大好きです。インテリと落ちこぼれの狭間でさまよう男を演じさせたら、マットデイモンは天下一品。清掃係なのに数学の天才という設定がぞくっとさせた。



ボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)が舞台。教室でランボー教授ことステラン・スカルゲールド「みんな誰も解けないだろう」とばかりに数学の問題を出す。教授はフィールズ賞受賞の数学の権威である。主人公ウィルことマット・デイモンは、大学構内で清掃員をしている。彼は清掃の途中で黒板に書いてある数学の問題を見つける。人目を盗んで黒板に書かれた難解な数学の証明問題をこっそり解く。

その解答を見て驚く教授。正答だった。一体誰が解いたのかと学生たちに問いかけても誰も答えない。再度出題者の教授は同じように問題をだす。廊下を通りかかると問題を解いている少年がいる。マットだ。声をかけると逃げて行った。清掃員のようだ。また正答だった。助手と驚く教授だ。
マットは地元の遊び仲間のベン・アフレックらとつるんで、札付きのように遊んでいる。不良同士ケンカも絶えない。仲間と傷害事件を起こしてしまい拘置される。その後、マットの正体を知った教授が彼の身柄を引き受ける。週2回研究室で勉強し、さらに週1回セラピーを受けることを条件に。

マットは研究室で数学の難問をあっさり解いていく。しかし、教授に紹介されたセラピストたちを完全にバカにしてしまう。孤児で里親に虐待された過去を送った彼は心を開かない。教授は大学時代の親友ことロビン・ウィリアムスをたずねる。そして嫌がるロビンを説得し、マットと対面させた。だがマットは変わらない。ロビンの研究室にかかっていた絵を見てからかう。彼の亡き妻を侮辱するような言葉を口にした瞬間、ロビンは激怒してマットを追い出す。それでも翌週マットと再び会う。公園のベンチで、自分の想いをマットに語る。今までと違ってマットは黙ってロビンの言葉を聞くが。。。



まずはマットデイモン扮する主人公の恐るべき潜在能力を示す逸話を出す。見ているとぞくぞくしてくる。酒場でハーバードの学生を論破する場面はなかなか痛快だ。でもその彼は性格がひねくれきっている。素直になれない。自分を引き立ててくれる教授の言うこともきかない。そんな話が続く。
この映画をはじめとした初期のマットデイモンの作品は傑作が多い。どれも特殊な若者をうまく演じている。

数学の問題は一瞬解析の問題のように見えるが、答えは行列式だ。それも一般解のようではなく、具体的な数字が書いてある。どこがどういう風に難しいのかよくわからないが、フェルマーの定理を証明するような雰囲気の話ではない。そのあとでまた行列式が出てきて、固有値らしき記号が出てきた。まあむきになってその式を分析するようなことでないのは事実だ。

むしろハーバードの学生と議論するときに、歴史に関する知識をひけらす場面が出てくる。その場面は「レインマン」のダスティンホフマンが超能力のように記憶力を発揮する場面に連想させる。「ソーシャルネットワーク」の主人公が早口でしゃべりまくるシーンにも通じるものだ。本当にこんなにすごい人が目の前に出てきたらびっくりするんだろうなあ。

天才に会う衝撃というものってあると思う。この手の映画のおもしろさはそういう天才の性格破壊を示すところである。そんなギャップって見ていておもしろい。

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真実の瞬間  ロバートデニーロ

2011-04-29 10:48:59 | 映画(洋画 99年以前)
映画界で繰り返し取り上げられているテーマとして大戦後の映画界の「赤狩り」がある。
「真実の瞬間」は91年のロバートデニーロ主演作品だ。「赤狩り」で窮地に陥る映画監督の偶像をいちばんよく表現していると思う。これでもかこれでもかと攻め立てるアメリカ政府当局の執拗な動きには少々驚いた。戦前の日本の特高警察と大して変わらない。

1951年9月、売れっ子監督デイヴィッド・メリルことロバート・デ・ニーロはフランスから帰国した。家庭を顧みない彼は元妻アネット・ベニングと離婚していた。息子にはときどき会わせてもらっていた。帰国パーティの席上、突然女優のドロシー・ノーランが夫のシナリオ・ライターことクリス・クーパーをなじり始めた。彼が共産主義者を取り締まる委員会に友人を売ったというのだ。
映画界のドンから呼び出しを受けたロバートは弁護士に会うように言われた。共産主義者としてのブラック・リストに名前が挙がっているので、誰かを売ることを弁護士に勧められた。ロバートは共産主義者の集会に出たことはあったが、論争になってケンカ別れをして以来共産主義者とは縁がなかった。党員でないロバートは断固たれ込みを拒否した。帰宅すると女優がFBIの力により息子の保護権を奪われたことを知った。ロバートは仕事を奪われ、撮影所には出入り禁止となる。ロバートはブロードウェイにいる昔の仲間を頼って求職のためニューヨークへ行く。そこでもFBIは妨害し、彼が面倒を見た女優でさえ彼を避けた。見かねた元妻アネットべ二ングが見かねて息子と3人で住む。状況は好転しないが。。。。

ソビエトとの冷戦の時代、共産主義者の疑いのある者を糾弾する「赤狩り」が行われた。下院非米活動委員会によって、多くの芸術家が攻撃され、ハリウッドの映画界もその嵐に巻き込まれていた。
「エデンの東」「波止場」のエリア・カザン監督も共産主義者の嫌疑がかけられた。エリアカザンはこれを否定するために司法取引し、友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会にもらした。逆にこのたれ込みがなければ、名作「エデンの東」もなく、ジェームスディーンというスターが生まれなかったかもしれない。1998年、エリアカザンは長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」を与えられた。赤狩り時代の行動を批判する一部の映画人からはブーイングを浴びる異例の扱いを受けた。

ここでのロバートデニーロは反対の行為を演じる。第3者の名をあげることを拒絶する。映画の最後の最後まで徹底的に当局から虐待を受ける。すさまじい話だ。
一つだけわからないことがある。エリアカザンがオスカー名誉賞を受賞した時のプレゼンターがなんとロバートデニーロと映画「真実の瞬間」に俳優として出演していたマーチンスコセッシ監督だったそうだ。これがどういう意味を持つのか自分にはわからない。皮肉かな?



あとは若き日のアネットべ二ングの美貌に注目したい。個人的には大ファンだ。今の彼女も素敵だと思う。たくさんある彼女の作品の中でもこの映画の知的美貌は際立つ。今年ナタリーポートマンにオスカー主演女優賞をさらわれたが、これから先に期待したい。
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ラウンダーズ マットデイモン

2011-04-24 17:01:29 | 映画(洋画 99年以前)
「ラウンダーズ」はマットデイモンの初期の作品、「グッドウィルハンティング」で名を挙げた彼がポーカーゲームを題材に天才ギャンブラーの紆余屈折を演じる。

ニューヨークのロースクールで学ぶ主人公ことマット・デイモンはポーカーの天才だ。かわいい恋人グレッチェン・モルと同棲している。学費もポーカーで稼ぐ。その彼がロシアマフィアのKGBことジョン・マルコヴィッチに差しの勝負を挑む。しかし、敗れ全財産の3万ドルを奪い取られる。恋人にも足を洗う決意をし、ポーカーのプロことジョン・タトゥーロの紹介で配達のアルバイトに励み普通の学生に戻ろうとしていた。
そんな矢先、旧友のエドワード・ノートンが出所してきた。エドワードは仲間と八百長ゲームに携わって捕まった。司法取引で仲間の名をもらせば減刑するとの話があったが、口を割らなかった。そういうエドワードのおかげでマットは学業を続けられていた。出所したエドワードは捕まる前にマフィア筋に多額の借金をしていて、それを返さなければならなかった。弱みのあるマットはエドワードにに引きずられるようにポーカーにまた手を出した。恋人からは白い目で見られるが。。。。

ポールニューマンの名作「ハスラー」はビリヤードゲームが題材、展開はよく似ている。自信満々で裏社会のプレイヤーに挑戦して、失敗して挫折する。どん底から復活していこうという姿を描く意味では同じである。この映画はまさにギャンブラー向きの映画で、マットデイモンが独り言のように語る「ギャンブル」の必勝法のような言葉が妙に心に残る。久々に見たが、展開に隙がなく観客を飽きさせない。


恋人役グレッチェン・モルがかわいいなあ。共演者に手を出すので有名なマットデイモンは彼女には手を出さなかったのかな?エドワードノートンの遊び人ぶりと怪優ジョンマルコビッチのふるまいが映画を引き締める。

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ザ・コミットメンツ  

2011-04-20 19:44:11 | 映画(洋画 99年以前)
「ザ・コミットメンツ」は91年のイギリス・アイルランド映画だ。アイルランドの主要都市ダブリン北部の労働者階級のさまざまな面々を登場させ、ソウルバンドを結成させる。「ジャマイカのボブスレー」同様らしくない設定というのはおもしろい。ブルースブラザースを思わせる多彩なメンバーの歌声とパフォーマンスのアンサンブルが見ているものをわくわくさせる。



アイルランドのダブリンに本物のソウル・バンドを作りたいと夢みる主人公ことロバート・アーキンズは、仲間2人と共にメンバー集めを開始する。場違いのメンバーばかりが集まってきた。その中で、豪快な歌いっぷりを披露していたデコをスカウト、募集広告を見てやってきたサックス、ドラム、医者のピアノのメンバーに加えて、一流どころとプレイしたことがあるという中年のトランペッターを採用、仲間うちの憧れの女性イメルダとその友人ナタリー、バーニーの3人をコーラスに誘う。いかにもモータウンサウンドの全盛を思わせるサウンドを生み出そうとする。レッスンを重ね“ザ・コミットメンツ"はいよいよステージに登場する。彼らのサウンドはライブハウスでうけた。ところが、演奏を重ねる中でグループ内の恋愛問題、意見の違いなど、摩擦が生じ始めるが。。。。



流れるモータウン調ソウルミュージックは実に快調である。特に3人の女性コーラスがいい。美形だ。それと男性リードボーカルのジョーコッカーを思わせる叫ぶようなボーカルにはノリノリにさせられる。彼を選ぶために名監督アランパーカーは1000人を超える面接を重ねたそうだ。確かにそれだけの中で選ばれただけの魅力的な歌い声だ。

そういう歌を聴く楽しさもあるが、バンドのメンバー同士の複雑な人間関係がここでの見モノだ。すぐかっとなりやすく、内輪もめが多い。逆にメンバーの中で男と女の関係が次から次にできてしまう。そしてまたドタバタしてしまう。そんなコメディタッチの楽しさがおもしろい。

アイルランドには行ったことはない。でもアイリッシュパブのざわめきやワールドカップのアイルランドサポーターの大騒ぎの応援を見ていると、なんとなく国民性がわかってくる。映画の世界では、その昔の植民地時代のアイルランドをテーマにした暗いものが多い。この映画の明るさは本来のアイルランド気質を知るいいきっかけになった。

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レッドコーナー北京の二人 リチャードギア

2011-04-20 19:04:28 | 映画(洋画 99年以前)
「レッドコーナー北京の二人」はリチャードギア主演の97年の作品。北京を舞台に、殺人犯に仕立て上げられたアメリカ人と中国人の女性弁護士の国境を超えた絆を描くサスペンス・ドラマ。13年前の発展しつつある当時の北京の風景を見せる。でも大部分はアメリカでのセットだろう。美術のリアルな表現力はすごい。



米中間の衛星放送契約のため、アメリカ人の主人公ことリチャード・ギアは北京を訪れた。テレビ省の大臣の息子から接待を受け、ナイトクラブに案内される。その店の美女リンをリチャードは自分のホテルに誘い、一夜を過ごす。ところが翌朝目を覚ますやいなや、部屋に踏み込んできた警官隊に殺人犯として逮捕される。なんと一夜を過ごした女性は血まみれの死体となっていた。
リチャードは拘置所で無実を訴え、アメリカ人の弁護士を要求する。しかし、中国の法廷では中国人の弁護人しか認められない。裁判が始まった。女性法廷弁護人ことバイ・リンはいきなり有罪を申し立てる。弁護人は、中国では死刑を免れるには有罪を認めるほかないと説明する。彼は中国の司法書を読み、次の日の法廷で自ら弁護する権利を得る。女性の死体から首飾りのロケットが消えていることを主張した。一方、弁護人はリンの生前のビデオからロケットの存在を確認、その他の状況から有罪から無罪に切り替えた。そして翌日保釈申請を出し、彼を自宅へ連れて行った。2人は事件の顛末を語りあう。その後、事件現場のホテルを訪れたリチャードは、結局何もつかめない。そこを何者かによって拳銃で襲撃される。リチャードは手錠のままパトカーから逃走してアメリカ大使館に逃げ込もうとするが。。。。


北京もここ10年で大きく変わった。今だったらもう少し違った映像になるかもしれない。中国の公安、官憲を実際に目の当たりに見ていると本当に怖い。日本の警察とは違う怖さである。目つきの鋭さは異様だ。そんな怖い大陸の官憲は10年以上前の方がもっと怖かった。共産党一党支配による統制がより厳しかっただけに、いったん捉えられたら絶対に逃れられない恐ろしさがある。文化大革命を連想する。
そういう中で主人公は陰謀にはまって逮捕される。現実的には当時の官憲にはまってしまえば、逃れられない気もする。そこのところがフィクションであろう。

古い建物の裏側で公安と追いかけっこする場面がある。屋根を伝わって逃げるリチャードギアの姿をとらえる映像は、香港のカンフー映画を思わせる。こういう中華活劇的な要素がなかなかいい。
あと中国の俳優に美人が多いということ。さすがに日本の10倍以上人口があるだけあって、美人度の奥行きは広い。主人公が一夜を過ごした殺された女性の完ぺきな美しさは何かを超越したものだ。


でも共演のバイリンのこの10年の中での変貌はすさまじい。ブログでも取り上げたが「上海ベイビー」の彼女とこの映画の弁護士役とは全く正反対だ。こうも変るもんか?女は恐ろしい。
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クールランニング 

2011-04-19 06:18:11 | 映画(洋画 99年以前)
「クールランニング」は掘り出し物のスポーツ映画だ。
コメディタッチで笑えるし、何よりジャマイカからボブスレーでオリンピックにという発想自体がおかしい。ジョークにしか思えない。でもこれは実話に基づくらしい。



88年のジャマイカ、レゲエタッチの音楽に合わせて常夏の風景が映し出される。
ソウルオリンピック出場を目標としてきた陸上のスプリンターである主人公は、予選会で隣コースの選手の転倒に巻き込まれて敗退する。やり直しを申し出るが聞き入れられない。彼は抗議に行った選考委員長の部屋で、同じく陸上選手だった父親が白人男性と並んだ写真を見つける。聞けば写真の男は元ボブスレーの金メダリストで、今はジャマイカに住んでいるという。
主人公はオリンピックに出たい一心でボブスレーが何たるかも知らぬまま、白人男性ことジョン・キャンディにコーチを頼みに行く。彼には不正行為でメダルを剥奪された過去があった。自堕落な生活をしている男も主人公の情熱にほだされる。主人公は親友を仲間に引きずり込む。選手を募集すると、なんとオリンピック予選会で一緒に転倒した2人がメンバーに加わった。でも常夏のジャマイカでボブスレーまがいのそりの練習をするがうまくはいかない。。。。

ジャマイカの能天気な雰囲気が映像から読み取れる。短距離スプリンターのスターを次から次へと生んでいるこの国では、当然彼らが国民の英雄であり、誰もがそれを目指す。でも流れているのはのんびりしたムードである。後ろにレゲエの音楽が流れるとより一層感じる。
陸上とボブスレーなんて全く関係ないように思われるが、乗るまでに4人でそりを押すダッシュは早ければ早いほどいい。でもそこはジャマイカだ。誰もボブスレーなんてやったことはない。いやはや大変だ。

出演者はみんな明るい。後味のいい映画だ。
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ア・フューグッドメン  トムクルーズ

2011-04-10 21:56:48 | 映画(洋画 99年以前)
「ア・フューグッドメン」はトムクルーズ主演のかなり特殊な法廷ものだ。「ミザリー」でキャシーベイツを恐怖のストーカーに仕立て上げたロブライナー監督による傑作だ。当時人気絶頂のデミムーアがトムの上官として出演する。基地を統括する大佐を演じるジャックニコルソンが2人の対決相手でいつもながらの名演だ。軍の規律および暴力制裁がテーマとなる。全体的にバランスの良い映画だ。



キューバを臨む米海軍基地で、海兵隊員サンティアゴが就寝中に2人の兵に襲われるシーンからスタートする。そして結局隊員は死ぬ。事件の背景にコードR(規律を乱す者への暴力的制裁)の存在を感じた内部調査部の少佐ことデミ・ムーアは、被告の弁護を申し出る。しかし、当局はハーバード出身で法廷経験のないキャフィー中尉ことトム・クルーズを任命する。彼は示談専門でこれまで法廷に出る前に数多くのもめ事を処理してきた。今回は好きな野球にかまってばかりいて事件に真剣にならない。
検察官の大尉ことケヴィン・ベーコンは、2人を殺人罪で起訴する。トムとデミムーアと助手の3人は調査を開始する。やはり被告たちは、上官からコードRの命令を受けていた。死んだサンティアゴは訓練に絶えかね、不法発砲事件の情報提供と引き換えに、基地からの転出を申し出ていた。それを知った最高指揮官ジェセップ大佐ことジャック・ニコルソンは激怒し、コードRの実行を指示したのだった。2人は命令に忠実に従っただけで、殺意は無かったと告白。これまで法廷を避けてきたトムクルーズは、被告の無罪を申し立て裁判が始まった。。。



法廷といっても軍事法廷だ。海軍という枠の中で、陪審員や裁判官がいる。
絶対服従の上下関係は非常に厳しい。上司の命令に従わないということは軍の追放のみならず、その人間のおしまいを意味する。そういうことがテーマになる。あとは暴力的制裁である。
「フルメタルジャケット」「プラトーン」あたりで、軍の内部の辛さは映画のテーマとして顕在化してきた。ちょうど湾岸戦争の時期とあってか、クローズアップされている。軍の規律が厳しいのは戦前の日本だけではない。



法廷物として見ても、弁護人トムの切り返しはなかなかのふるまいだ。脚本もうまい。軍の幹部の証人尋問では鮮やかなトークを連発する。どきどきしてしまう。対決する検察官であるケビンベーコンも悪くはない。ジャックニコルソンの上官はなかなか貫禄あってお見事。トムとの対決のシーンには緊張感が走る。スピード感もまずまずでいい映画だと思う。
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知らなすぎた男 ビルマーレー

2011-03-06 17:56:14 | 映画(洋画 99年以前)
「知らなすぎた男」はビルマーレーが彼らしいキャラクターを発揮するコメディである。勘違いがずっと続き、それでも平然としているビルマーレーが滑稽だ。ヒッチコックの「知りすぎた男」に引っかけたわけだ。これもある意味サスペンスには違いないが、完ぺきなコメディだ。



アイオワ州のビデオ店員の主人公ことビル・マーレーはロンドンに住む銀行家の弟ことピーター・ギャラガーの家に遊びに行った。その日はビルマーレーの誕生日で突然にプレゼントをたかりに行くことだった。ところが、弟はドイツ人の富豪を自宅に招待し、資産運用のプレゼンをすることになっていた。弟は兄に「ライブ劇場」のチケットを渡した。それは、参加者がプロの俳優に混じって街中でドラマを演じることができる演劇ゲームだった。
打ち合わせ通りに電話ボックスヘ行くと「スペンサー、女を始末しろ」と電話が入る。主人公は劇場の指示だと思い、指定場所へ赴くが、それは本物の殺し屋にあてられたメッセージだった。本物の殺し屋は直後に電話ボックスに着き電話を聞き、劇をおこなっている場所へ向かう。主人公が殺し屋として指定された家には国防省の要人の情婦ことジョアン・ウォリー=-キルマーがいた。彼女は要人の陰謀を綴った手紙を持っていたため、諜報部に狙われていた。すべてが演技だと思っている主人公は彼女のセリフに感心し、違う筋書きを考える。手紙をネタに意図的でなく英国諜報部をゆすった。そして諜報部、警察を交えたドタバタが始まるが。。。。

ビルマーレーが演じるおとぼけ役は何度見ても面白い。本当のキャラもこうなんだろうか?
「恋はデジャブ」「ブロークンフラワーズ」「ロストイントランスレーション」など
題材的には60年代の冷戦時代に多かったスパイ話だ。それをすっとボケたビルマーレーがいなすところが見どころ。今回はコメディ的なシナリオがよくできていると思う。コントが的確で、ちょっとしたしぐさで予想もしない展開をもたらすところは、計算つくされているといえよう。カーチェイス場面があるが、こんなの初めて!「ブルースブラザース」のカーチェイスとは違った意味で笑える。
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ボビーフィッシャーを探して

2011-03-04 06:20:43 | 映画(洋画 99年以前)
7歳のチェスの天才少年が成長していく姿を描いた映画である。スポーツ・ライターのフレッド・ウェイツキンが、実子ジョシュの少年期を描いたノンフィクションを映画化した。題名の「ボビーフィッシャー」とは奇想天外な行動で一世を風靡したチェスの元世界チャンピョンである。

彼の映像も織り交ぜながら、少年が成長する姿を描く。プロデューサーは名監督シドニー・ポラック。主演はオーディションで数千人の中から選ばれた8歳のマックス・ポメランツ。脇役に現在メジャー俳優として活躍する芸達者たちが多く、なかなかいい映画に仕上がっている。ムードもいい。お勧め映画だ。



7歳の主人公ことマックス・ポメランツは、街の公園で「大道将棋」のように指されているチェスに関心を持つ。ルールを覚えてすぐ上達する。公園のストリートチェスの名手ことローレンス・フィッシュバーンも、少年の才能に目を見張る。主人公の父親ことジョー・モンテーニャは、息子に本格的なチェスの教育を受けさせようと往年のチャンピオンことベン・キングスレイと会う。父親は、ベン・キングスレイを息子のコーチに雇う。ベンもまた彼の才能にひかれ、一対一のレッスンが開始された。「第2のボビー・フィッシャー」を目標に特訓は進められ、才能は開花していった。元来大会に出るのは早いといっていたベンキングスレイであるが、家族の意思で少年少女チェストーナメントに参加、次々に制覇していった。そんな時、強力なライバルが現れた。4歳よりチェスの英才教育を受けている少年だ。彼の存在を脅威に感じた主人公は、大会当日、プレッシャーから初回の格下の相手に負けてしまう。スランプが続き、まわりのトラブルが続くが。。。。



子供のチェスの大会なのに、後ろで見ている親のほうが興奮してしまって、取っ組み合いまで始まってしまい、親を隔離するシーンが面白い。親バカの極致である。

一人の天才少年をめぐって、外野のほうが大騒ぎである。
父親は通っている学校で、チェスばかり夢中になってそのほかのことがないがしろになっていると教師であるローラリニーに言われて興奮。母親はベンキングスレイの息子への指導に素直になれずおかんむり。公園のストリートチェスの名手ことローレンス・フィッシュバーンは攻撃的な早指しチェスを子供に教えるが、往年のチャンピオンことベン・キングスレイは深読みで攻めろという。
チェスを他の芸やスポーツに置き換えるとよくある話なのかもしれない。でも子供はいろんな話を自分なりに消化して、しっかり成長していく。そんな姿が健気に見える。

すんなり這い上がっていくわけではない。途中にスランプや挫折もあり、割と激しい場面もある。父母の道理に合わない動きもある。でも全般的に流れるムードはやさしく、安心して最後まで見れた。
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狂っちゃいないぜ  ジョンキューザック

2011-02-18 05:23:31 | 映画(洋画 99年以前)
映画「狂っちゃいないぜ」は航空管制官の日常を描く99年の作品。
ツタヤでは「パニック」のジャンルにおいてあったが、どちらかというとラブコメディ的な要素が強い。めったに取り上げられることのない航空管制官の日常の姿は見ていて面白い。ジョンキューザック、ケイト・ブランシェット、アンジェリーナジョリー、ビリー・ボブ・ソーントンと4人出演するが、それぞれがその後の代表作でブレイクする前で、今現在のギャラだったらとんでもない額になっていたであろう。しかもアンジェリーナジョリー、ビリー・ボブ・ソーントンの二人はこの映画をきっかけに本当に結婚してしまうのだ。



ニューヨーク航空交通管制官たちは、端末レーダー着陸誘導システムのセンターで、ケネディ、ラ・ガーディア、ニューアーク飛行場で離陸着陸する一日に7000機の飛行機の安全を管理していた。一日中の神経の緊張をほぐすために、仲間同士でジョークを飛ばしあい、レーダースコープをゲーム感覚で監視しながら、業務に励んでいた。しかし、ストレスに悩まされる者も多かった。
主人公ことジョン・キューザックはメンバーの中でもレーダー操作と飛行機の誘導に自信を持ち、自分こそ管制局の№1だと信じていた。家には妻ことケイト・ブランシェットと二人の子供にも恵まれて幸せな家庭を築いていた。
そんな折、ライバルとなるビリー・ボブ・ソーントンがチームに加わることになった。腕が立つというの噂に、ジョンは彼をライバル視する。各地の空港を経てニューヨークに来たラッセルは、強烈な個性と独特の生活スタイルを持っていた。
仲間うちのパーティに、ビリーの妻ことアンジェリーナ・ジョリーがやってきた。若くてグラマーな美女で誰もが驚き圧倒された。ある日、スーパーでジョンはアンジェリーナに出会う。彼女は人前もはばからず泣いており、ジョンが事情を聞くと、ビリーがバイクで出かけたきり帰ってこないという。彼は知らない土地で孤独だというアンジェリーナをイタリアンレストランに誘い、話をするうちに意気投合してしまうのであるが。。。。

航空管制官は、飛行機の安全を担う仕事である。ブルーカラーの中では10万ドルの年収は高い方だ。それだけ神経をすり減らす仕事で、離婚率も高い。そんな役柄をジョンキューザックが楽しそうに演じている。テレビゲームなら、飛行機同士が衝突してもリセットボタンを押せばいいが、これはそうはいかない。しかも、ニューヨークマンハッタン近くに3つ飛行場があって、常に数多くの飛行機が飛んでいる。他の飛行場の倍以上大変な仕事であるのは十分想像できる。どちらかというと、普段の生活では性格破綻しているような連中が多いようだ。ビリー・ボブ・ソーントンの役柄にその個性が強調されている。


ケイト・ブランシェット、アンジェリーナジョリーの二人が若い。ケイトは特にそう感じる。もう少し年増の役を演じることが多いせいであろう。今よりもチャーミングである。アンジェリーナジョリーは今も色気をむんむんさせるが、24歳の彼女はグラマーぶりを今よりも強調している。でも3流映画からメジャーへ這い上がろうとしているころの映像なので、なりふり構わないスタンスだ。この映画ではバストトップも見せている。さすがに億単位のギャラである最近のメジャー映画ではありえない。そんな映像を見るのも悪くはない。

掘り出し物といった感じだ。
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