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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

ポーランド映画「残像」アンジェイ・ワイダ

2018-02-12 21:23:34 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「残像」は2017年日本公開のポーランド映画である。


「灰とダイヤモンド」「鉄の男」といった不朽の名作をつくったポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の遺作である。神保町の交差点横にある知性の殿堂「岩波ホール」手前の大きな看板に映るじいさん顔をみて、なんか暗いなあとDVDスルーにしてしまう。

二次大戦後というのポーランドはソ連が関与する共産党支配となり、共産党の宣伝にならない作品はブルジョア文化とされて統制されることになる。そこで被害をうけるのがこの主人公である。アメリカの赤狩り映画で共産主義者が弾圧されるのと全く逆の話である。なかなか考えさせられる作品だ。

それにしても救いようのない話だ。最初は大学教授としての権威を持って、官憲たちと渡り合っている姿が映し出される。ただ、一番タチの悪いのはスターリン時代から続く共産主義の粛清だ。気の毒としかいいようにない主人公の落ちぶれ方に、資本主義社会に生まれてきた自分の幸せをつくづく感じる。


第二次大戦後、ソヴィエト連邦の影響下におかれたポーランド。スターリンによる全体主義に脅かされながらも、カンディンスキーやシャガールなどとも交流を持ち、情熱的に創作と美術教育に打ち込む前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(ボグスワフ・リンダ)。しかし、芸術を政治に利用しようとするポーランド政府が要求した社会的リアリズムに真っ向から反発したために、芸術家としての名声も、尊厳も踏みにじられていく。けれども彼は、いかなる境遇に追い込まれても、芸術に希望を失うことはなかったが。。。状況はどんどん悪くなっていく。

1.ソ連のポーランド占領と主人公の落ちぶれ
世界史の教科書では1939年9月にナチスドイツがポーランドに侵攻したことが第二次世界大戦の始まりと主に記述されている。しかし、その前月にヒトラーとスターリンは手を組み、独ソ不可侵条約を締結し世界をあっと言わせた。ポーランドでは戦争中ソ連はドイツ以上にポーランドでむごいことをしたと伝えられている。その流れで、戦後もポーランドで影響力をソ連がもつことになる。本当に悲劇としか言いようにない。


「残像」はポーランドの社会主義化が最も過激な形を取り、社会主義リアリズムが芸術表現に必須の様式となった、1949年から1952年までの重要な4年間を描いている。 アンジェイ・ワイダ監督は、人々の生活のあらゆる面を支配しようと目論む全体主義国家と、一人の威厳ある人間との闘いを描きたかったとしている。

2.ダルトン・トランボとの比較
1947年トルーマン大統領のソ連への封じ込め政策がとられ、マッカーシズムが台頭し赤狩りがはじまる。そのあたりは失脚した脚本家ダルトン・トランボの伝記をはじめとして、いくつかの映画で語られている。しかし、仕事が完全になくなることはなかった。クレジットに名前は出ていないが、オスカー作品「ローマの休日」、「黒い牡牛」の脚本を提供している。映画会社は抜け道を工夫し、ブラックリスト作家を起用できる環境を整えて、結果的に作家たちの自由を守った。

ノーベル経済学賞自由主義の泰斗ミルトン・フリードマン博士の「資本主義と自由」を引用する。
もし、ハリウッドをはじめとする映画産業が国営であったり、作家への発注がBBCのように公営企業にゆだねられていたとしたら、ハリウッドテンに挙げられた作家が仕事にありつくチャンスはほとんどなかったであろう。国が事業主だったら。。。どんな思想の持ち主も雇ってもらえないだろう。
結局彼らを救ったのは市場経済だった。政府から放りだされても、市場で職を見つけることができたのである。(村井訳p59~60)



ここでの主人公は完全に干された。職すらもなくなった。このドツボはやり切れない。知性の殿堂岩波ホールには、最近駅前でビラを配っているのが目立つ共産党系ババアぽい人がいつも多数来ている。学生運動の洗礼を受けたクズババアか?この映画を見て全体主義、共産主義に対してどうおもったんだろう?
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スウェーデン映画「幸せなひとりぼっち」

2017-07-30 18:56:33 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「幸せなひとりぼっち」は2015年公開のスウェーデン映画だ。


ミニシアターでロングランでやっていた。スウェーデンでは人気だったということだったけど、主人公の顔がどうも好かなくてdvdスルーだ。でも気になるので観てみる。最初はこの主人公の振る舞いがうっとうしくて、いやな感じだったけど、回想場面での妻役のイーダ・エングヴォルがチャーミングで素敵な女性を演じてくれるので映画に引き込まれる。作品情報には書いていない後半戦の展開はなかなかいい感じで良作だと思う。

愛する妻を亡くした孤独な中年男オーヴェ(ロルフ・ラスゴード)。近所には規律に厳しい人間として知られていた。年齢を重ねてからは気難しさに拍車がかかり、いつしか厄介なおじさんと化していた。地域の治安を守るため、共同住宅地の監視役を自ら買って出ていたのだが、数年前、自治会長選挙で落選。今や、誰からも望まれていない見回り日課とする日々を送っている。


オーヴェは43年間、鉄道局職員としての仕事を全うしてきたが、突如クビを宣告されてしまう。亡き妻の面影が脳裏をよぎり孤独に耐え切れなくなった彼は、自宅の天井にロープをかけ、首つり自殺を図る。ところがその時、向かいへ引っ越してきたパルヴァネ一家の騒がしい声がオーヴェの耳に飛び込んでくる。一家の車がオーヴェの家の郵便受けにぶつかってしまい、自殺どころではなくなってしまう。オーヴェは外へ飛び出すと烈火のごとく怒り、挨拶もしないまま代わりに車を駐車場にきれいに車を停め、ぶつぶつ文句を言いながら家に帰る。

翌日、迷惑をかけたと思ったパルヴァネ(バハー・パール)が、お詫びのペルシャ料理を届けに来る。この美味しい手料理をきっかけに、思いがけない友情が芽生えていく。近所同士のあたたかい交流に心を溶きほぐされていくオーヴェ。やがて、オーヴェは妻・ソーニャ(イーダ・エングヴォル)との出会い、そして、妻と自分の人生を一変させたある出来事について語り始めたのだった…。(作品情報より)


設定では59歳で自分もその年齢に近づいてきたけど、老けているなあこの主人公。60歳代半ばにしか見えないよ。しかも頑固おやじで融通が利かないイヤな奴だ。しかも長らく務めた勤務先ももクビになる。愛し合って結婚した妻はもうこの世にいない。子供もいない。自殺しようと何度も試みるけど、そのたびごとに誰かが訪ねてきたりして失敗する。

そんな話が繰り返しあり、なんかつまらないなあと思っているときに回想シーンになる。若き日のオーヴェがソーニャと知り合うシーンが出てくる。列車の中で偶然出会った2人だけど、徐々に近づいていく。内気なオーヴェをソーニャがリードして結ばれていく。この時のソーニャの振る舞いが実に素敵だ。そうしていくうちに目が覚める。死ねない。


2人には子供がいない。何でいないの?とも思っていたが、かなり重要な秘話が隠されている。ここからはネタバレになるから言えないが、この映画ここから先がいい。エンディングへの持ち込み方もうまい。残り4分の1でもっている映画かもしれない。

でも若き日のオーヴェと今の親父ぶりはちょっとギャップがありすぎるんじゃないのかな?
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映画「ジュリエッタ」 ペドロ・アルモドバル

2016-11-06 20:25:38 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
スペインの奇才ペドロ・アルモドバル監督の最新作映画「ジュリエッタ」を見てきました。
深みのある脚本とあわせ、映像美にすぐれる実によくできた作品である。



ペドロアルモドバル作品は久々だ。前作は珍しくコメディタッチでちょっと合わなかったが、アントニオバンデラス主演「私が生きる肌」では思いっきり、ペドロアルモドバルの世界を堪能させてもらった。この映画も音楽編集美術といつものコンビとペドロアルモドバルが組んで、いつもながら色彩設計に優れた映像美を堪能させてくれる。お見事である。

マドリードに住む中年女性ジュリエッタ(エマ・スアレス)はつき合っているロレンソからポルトガルへの移住を説得され、引越しの準備に入っていた。そんな時街で偶然娘の親友だった女性に出くわす。彼女は失踪した娘アンティアに先日会ったという。元気で子供もいるようだと聞き動揺する。娘は18歳になった時に一人で瞑想にふけると言って、飛び出したままだったのだ。


ジュリエッタはポルトガル行きを突如止めて、昔住んでいたアパートへ行き部屋を借りることにするのだ。そして、どこに住んでいるのかわからない娘あての手紙を書きながら、過去を振り返る。

雪の中ジュリエッタ(アドリアーナ・ウガルテ)が列車で一人移動している時、食堂車で一人の男性に出会い、意気投合する。彼は漁師で妻がいたが、五年間寝たきりということであった。その後来た手紙には、妻が危篤状態と書いてある。自分に会いたいと思って手紙をくれたのと、ジュリエッタは彼の住む海辺の町へ向かう。その時はすでに妻は亡くなっていた。久々の逢瀬に2人は熱く交わり合い子供アンティアができた。


その後3人は家政婦とともに暮らしていた。娘が9歳になり、友人とキャンプに出発したあと、ジュリエッタが夫といさかいを起こした直後に彼の乗った漁船が嵐にあい、夫は亡くなってしまう。その後、ジュリエッタは精神のバランスを崩すようになるのであるが。。。

1.深みのある脚本
カナダのノーベル賞作家アリス・マンローの「ジュリエット」という短編集の3つの作品をペドロアルモドバルが巧みに脚本化している。ジュリエッタとその夫、そして娘アンティアという主要三人だけでなく、映画に深みを与える数人の登場人物を放つ。この隠し味が抜群に効く。


元夫の家にいる家政婦、元夫が親しくしていた女性、ジュリエッタの父母、病床につく母を介護するために雇った家政婦兼父の愛人である外国人女性、娘アンティアの友人とその母親、ジュリエッタの今の恋人、列車でジュリエッタを最初に誘った中年男性
登場人物が多いように見えるが、そうは感じさせない。それぞれに役割をもたせ、その関係がジュリエッタの今の精神状態に影響を与えている。ジュリエッタが何人かの死をみて感じる人生の無常感がにじみ出て、重厚感のある脚本となっている。当然ながら原作は読んでいないが、原作はかなり良くできた短編なのであろう。

2.対照的なジュリエッタ
前髪の長い中年女性が主人公として出てくる。どこか色あせた女だ。精神が安定しないので、そうならざるを得ないのであるが、若き日のジュリエッタは実にいきいきとしている。短髪のアドリアーナ・ウガルテは実に魅力的だ。元夫と出会ってすぐに列車の中で騎上位で派手に交わる。そして海辺の町の彼の家に向かい、大胆に肌を合わせる。アドリアーナ・ウガルテはヌードになり、弾力性のあるバストを露出する。美しい。


3.ペドロアルモドバルの映像美
アルモドバル映画の美術と編集の水準の高さは極めて高い。ここでも色合いが美しく、海辺の町の描写とあわせすばらしいものとなっている。また、バックではアルベルト・イグレシアスの不安な心を増長させる音楽が鳴り響く。50年代から60年代までの映画では、バックで高らかに音楽が鳴り響くものが多い。最近はアクションものくらいで、若干抑え気味のものが多いのではないか。でも映像が流れる間ずっと音楽が続くが、映像へのマッチングが鋭いのでまったく違和感がない。というよりも表現を強く見せる効果をもっている。


脚本は次から次へとジュリエッタに苦難の道を進ませる。それでも最後に向けては若干光がさす。スイスの山道の中を真っ赤な車が走る。テーマカラーの赤が効果的に目に焼きつく。





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映画「グランドフィナーレ」パオロ・ソレンティーノ&マイケル・ケイン

2016-05-02 18:34:54 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「グランドフィナーレ」を映画館で見てきました。


「グレート・ビューティー/追憶のローマ」のパオロ・ソレンティーノ脚本・監督作である。原題は「YOUTH」である。この映画を一通り見た人からすると、この原題のほうがだれもがしっくりくるだろう。「若さ」というような題名は映画の売り込みを考えるとつけられないものね。「グランドフィナーレ」で雰囲気ある指揮者がタクトを持っているようなポスターのほうが音楽映画のようで見に行く人は多い気がする。でもこの映画はパオロ・ソレンティーノ監督がむしろコミカルに作っている感じで、最後のコンサート部部分も歌手の分厚い真っ赤な口紅ををみると失礼だけどおかしくなってしまう。

世界的にその名を知られる、英国人音楽家フレッド(マイケル・ケイン)。今では作曲も指揮も引退し、ハリウッドスターやセレブが宿泊するアルプスの高級ホテルで優雅なバカンスを送っている。


長年の親友で映画監督のミック(ハーヴェイ・カイテル)も一緒だ。現役にこだわり続ける彼は、若いスタッフたちと新作の構想に没頭中である。そんな中、英国エリザベス女王の特使からフィリップ殿下の生誕コンサートで、フレッドが作曲した「シンプル・ソング」の指揮を依頼されるが、なぜか頑なに断るフレッド。その理由は、娘のレナ(レイチェル・ワイズ)にも隠している、妻とのある秘密にあった。そんなとき映画監督のミックのもとへ、彼が没頭していた新作に出演依頼をしていた女優(ジェーンフォンダ)が訪ねてくるのであるが。。。




1.ホテル滞在の顔ぶれ
前作ではローマの上流階級の雰囲気が醸し出されていたけど、今回はスイスの高級リゾートホテルが舞台で違った意味で面白い登場人物を数多く出演させている。
マラドーナを連想させるデブの元サッカー選手、でもこれはちょっと太りすぎじゃない。すげえ太鼓腹男がサインをねだられるシーンがある。プールで左利き論をポールダノが話しているときに、俺も左利きだとデブがのたまう。これに対して「あなたの左利きは世界中が知っている」とダノ演じる俳優がいうと、プライドを満されたデブはにっこり。


ジョニーデップを連想させるような俳優でロボット映画で一財産を作ったという映画関係者をポールダノが演じる。いつもホテルの一角で優雅に寝そべっている。突如髪を切って、ちょび髭をはやしてヒトラーそっくりになる。あれこれって誰?と思ってしまうくらいの変身。ホテルの滞在者もビックリだ。


ミスユニバースも滞在している。ゴージャスな雰囲気をホテル内にまき散らしているが、主人公が年寄り2人で温水プールにいるときに、突如彼女が真っ裸でボリュームたっぷりのヌード姿で出現、一緒にプールに入る。これまた凄いボリューム、混浴温泉のようだ。このスーパーボディを見て、主人公は一言「神だ。」たしかにそうだ。


などなどおもしろいパフォーマンスがたっぷりだ。
なかでもマッサージをする少女のパフォーマンスが奇想天外で、独特の舞を踊る。マッサージを通じての主人公との会話もなかなか趣がある。

2.ジェーンフォンダ
名優ヘンリーフォンダの一族は、子供たちが俳優になったわけだけど、艶福家の父親に反発して父娘の仲は良くなかったといわれている。それでもキャサリン・ヘップバーンがヘンリーの妻を演じ、父娘共演した「黄昏」は枯れきったヘンリーフォンダに雰囲気があり、後味の良さは抜群である。そこでのジェーンの出番は比較的少ないので、助演女優賞は受賞していないが、「コールガール」と「帰郷」という二作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞している。そういうジェーンフォンダが往年の名優という役柄で登場している。


ハーヴェイ・カイテル演じる監督に引き立てられ大スターになったという設定で、その昔役を得るためにはプロデューサーと平気で寝る女なのに監督が育てたという昔話がでる。監督としてはジェーン演じる女優に対して思いが強い。それなのに今回監督が熱心に準備している映画への出演を断るのだ。映画の一つのヤマになる。ジェーンはそのやり取りのみに出てくるわけである。78歳になって、厚化粧もきつい。ベティデイビスジョーンクロフォードがババアになってから出た映画と同じようなホラー系の顔にも見えてくる。それなのに存在感は抜群だ。配役は正解だと思う。

このあとのハーヴェイ・カイテルの白昼夢のような場面は、昔から監督が世話をしていた女優が多数出てくる。それぞれの時代のファッションでだ。幻想的というわけではないが、こういうシーンは好きだ。

3.パオロ・ソレンティーノ監督
ショーンペンにその才能を認められ、ショーンが主演する「きっとここが帰る場所」の監督となった。この映画は傑作である。常にケバイ化粧をしている元人気ロックスターをショーンペンが演じたわけだが、ロードムービーという設定でいろんなけったいな人物を登場させる。そこでのパフォーマンスが見ていて楽しい。しかも、ショーンペンらしいヴィジュアル的にも素晴らしい映像コンテである。2012年でいうと文句なく自分の1位に推せる作品だ。
続いての「グレートビューティ」はローマを舞台にしたこれも素晴らしい映画だったんだけど、頭でまとめきれずに感想が書ききれなかった。思わずアントニオーニの「夜」を連想した。ローマのハイソサエティの社交が描かれて素敵だった。


こんなすごい作品を生む監督なので「グランドフィナーレ」は見逃せないと思っていた。ホテルが舞台なので「グランドホテル」形式かと思ったが、そうでもないかな。いろんな登場人物にコミカルなパフォーマンスを演じさせるところに「きっとここが帰る場所」を連想させるものがあった。

(参考作品)

きっと ここが帰る場所
パオロ・ソレンティーノ監督とショーンペンのコンビ作
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スペイン映画「マジカルガール」 

2016-04-14 20:58:40 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
スペイン映画「マジカルガール」を映画館で見てきました。

スペイン映画界の鬼才ペドロ・アドモドバルが絶賛しているスペイン映画が公開されているという。不思議ちゃんみたいな雰囲気に魅かれて映画館に向かう。


いきなりアニメが好きなような少女がでてくると、バックでは日本語の歌が流れて踊っている。一体何じゃという感じだ。そうするとその少女がばったり倒れる。少女が不治の病にかかっているようだ。父親は文学の先生だったようだが、リストラにあって無職だ。治療費もかかるし、子供のために娘が好きなアニメキャラクターグッズを買いたいんだけど金はない。そんな父親に主人公の女性が絡んでくる。


マジカルガールは不思議系の映画と思いしや、若干サスペンス的な要素もおりまぜる。基調は恐喝だが、それだけでは済まない。確かにペドロ・アルモドバルを思わせる独特な雰囲気で、一筋縄にいかない。カルロス・ベルムト監督はけったいな登場人物を次から次へと映像の中に放つ。徐々にそれぞれの出演者が人間としてのリズムを失っていく構図を見せ、緊迫感が高まる。美術、編集が上手で悪夢のような映像に引き寄せられる。傑作とまでは思わないけど、妙な後味を残す個性派の作品だ。

白血病で余命わずかな12歳の少女アリシア(ルシア・ポジャン)は、日本のアニメ「魔法少女ユキコ」の大ファン。彼女の願いはコスチュームを着て踊ること。 娘の最後の願いをかなえるため、父ルイス(ルイス・ぺルメホ)は失業中にもかかわらず、高額なコスチュームを手に入れることを決意する。
どうしても金策がうまくいかないルイスは、ついに高級宝飾店に強盗に入ろうとする。まさに大きな石で窓を割ろうとした瞬間、 空から降ってきた嘔吐物が彼の肩にかかるー。

心に闇を抱える美しき人妻バルバラ(バルバラ・レニー)は、逃げようとするルイスを呼び止め、自宅へと招き入れる。 そして…。バルバラとの“過去”をもつ元教師ダミアン(ホセ・サクリスタン)は、バルバラと再会することを恐れている。 アリシア、ルイス、バルバラ、ダミアン―決して出会うはずのなかった彼らの運命は、交錯し予想もしない悲劇的な結末へと加速していく……。(作品情報より引用)

かわいい少女が白血病で余命少ないと診断される。父親は彼女のために何とかしたいと思うが、失業していて金がない。宝石泥棒に入ろうとした途端に、自虐的で少し心が病んでいる主婦であるもう一人の主人公が自家中毒でげろをした嘔吐物が彼の身体に落ちてくる。悪いことをしてしまったと反省する主婦が彼を家に入れようとすることですべてのリズムが狂いはじめる。

以下ネタバレあり
1.ユスリ(強請)
精神科医の旦那がいないのをいいことに、ふとしたことで知り合った男と寝てしまう。翌朝男から電話があると、旦那にばらすぞと脅しをかけてきたのだ。このユスリに対して、自分の身体を売って脅迫の代償を支払おうと主人公が動くのがこの映画のベースである。


強請は古今東西の映画の題材になってきたものである。強請が繰り返されていくうちに被害者による殺人事件が引き起こされるというのがよくあるパターンで、テレビ朝日のサスペンスドラマや韓国のクライムサスペンス映画では繰り返し広げられる。

2.強請への対抗
強請に対して、自分の立場を守るためにお金を用意する。それもやりたくないことをしながらだ。そこで脅迫者の言うなりになって金を支払う。このときに例えば交通事故の示談みたいに今後何も異議申し立ては致しませんなどと、一筆を書くようにはならない。これでいいのかと思うと案の定再度ゆすられる。ヤクザさんの恐喝も一回二回じゃ済まない。そういえば、飲み屋の女に「やったこと奥さんにばらすわよ」と百万単位でとられたという人を知っている。

こういう時ってどうしたらいいんだろう。やっぱりばれても仕方ないと腹をくくって警察に訴えるしかないんだろうなあ?

3.長山洋子「春はSARA SARA」
長山洋子というと演歌歌手としてのイメージしかないけど、アイドル歌手でデビューしていたんだなあ。監督のカルロス・ベルムトは大の日本びいきだそうだ。アニメ系アイドルも大好きなんだろう。来日している時は新宿ゴールデン街を徘徊しているようだ。自分も月の2,3回は夜の谷間におぼれているけどわからないなあ。今は外人多いからね。

4.大富豪の家
旧知の女性に頼んで高いお金を自分を買ってくれる女性のところへ行き、大富豪を紹介される。なんせ8時から15時までの拘束時間で7000ユーロ(約86万円)で買ってくれるわけである。この雰囲気がペドロアドモドバルの映画に出てくる大富豪にダブる。スペインの金持ってちょっと半端ないんでしょう。


さくっと脱いだバルバラ・レニーのヌードがエロっぽい。このあと何したんだろうと妙に想像させてしまう。そして出てくるのが黒蜥蜴だ。ご存じ美輪明宏の十八番で明智小五郎探偵のライバルだ。変装に次ぐ変装であらわれる盗賊である。その黒蜥蜴をクローズアップするところがすごい。

それにしてもラストに向けての動きはちょっと予想外
途中までの動きはいかにも物語の定石を歩む。ユスリへの対抗は、目には目をといった過激なスタイルなんだけど、突如バーンと来て驚き、そのあとも収まらない。こういう展開に持ち込むという発想が日本人脚本家にあるだろうか?いかにも中世から近世に至るまでイスラムに領土を奪われていたスペインらしい気がする。
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オランダ映画「孤独のススメ」

2016-04-13 18:20:25 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
オランダ映画「孤独のススメ」を映画館で見てきました。


映画ポスターの雰囲気にひかれ見に行ってきました。
男やもめがあるルンペン男と出会い身辺が変化していく姿を描いたものだという。会社での地位が変化するに従って、孤独を好む性癖が自分についてきた気がする。みんなで群れあっているのが最近とみにうっとうしくなってきた。相変わらず毎日のように夜の宴席が多いが、疲れてきた。1人でいる方がすっきりする。せいぜい娘と外出するときくらいが楽しいくらいか。
そんな生活が続いていると、孤独という言葉に敏感になってくる。むしろ孤独な方が気が楽だ。そんな自分には「孤独のススメ」という題名がしっくりする。

映画が始まり、田舎道を走るいかにも欧州らしい路線バスが出てくる。題名はマッターホルンとなっている。孤独とはまったく無縁な題名ではないか。そして出てくるのはフィンランドのアキ・カウリスマキ監督の作品を連想させるような地味で無口な男だ。出演者の会話は少ない。寡黙な出演者が無表情で演技しながら朴訥に進む展開はいかにもアキ・カウリスマキ監督作品の影響を受けている印象を持つ。自分はアキ・カウリスマキ監督作品は大好きだけど、ちょっとこれはどうかな?よくわからないままに最後まで進んでいってしまった印象だ。


オランダの田舎町。妻に先立たれ、1人静かに暮らす初老の男フレッド(トン・カス)。信仰篤いこの町で、毎週日曜日の礼拝以外は周囲との付き合いを避けて、ひっそりと生活していた。そんな彼の前に、ある日突然、言葉も過去も持たない男テオ(ルネ・ファント・ホフ)が現れ、なぜか家に居ついてしまう。

やむなく始まる奇妙な共同生活。次第に2人の間に奇妙な友情が芽生え、ルールに縛られたフレッドの日常は鮮やかに色づいてゆく。ところが、保守的な田舎町に住む近隣の住民は、彼らのことを問題視。村から追い出そうとするが……。(作品情報より引用)

ガス欠だと言って、金をせびる変な男がいる。男はほとんどしゃべらない。信仰深い初老の独身の主人公は家に連れてくる。それでも口は開かない。食べ物をご馳走しようとしてもナイフフォークを普通に使えない。変な男だ。そんな男を泊らせて一緒に生活をはじめる。動物の鳴き声を模写することくらいしか、能がない。


なんかうっとうしい男だなあ。主人公は妻に先立たれ、息子は家を飛び出している。ここでは主人公の家族との思い出がポイントになる。だけど、ルンペン男との奇妙な友情という設定にどうしても感情流入できなかった。宗教的な絡みもよくわからない。教会の世話役の存在がうっとうしく思えるし楽しくないまま最後に向かって行ったという印象だ。

久々に007の主題歌で名高いシャーリーバッシ―の歌が出てくる。
挿入歌だ。もともとバッハしかきかないという主人公にこの曲が絡んでくる。
これはシャーリーバッシ―だ。↓
いかにもむかしのシャーリーはゴージャス



マッターホルンは最後に向けて登場
この山は実に美しくスケール感あるねえ
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映画「あの日のように抱きしめて」 ニーナ・ホス

2016-02-17 17:40:55 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「あの日のように抱きしめて」は2015年日本公開のドイツ映画だ。


予想以上に重い映画である。
九死に一生を得て生き延びてきた女が、元夫に再会する。しかし、夫は妻は死んでいてと思いこんでいるので、よく似ている彼女を利用して資産家だった元妻の家族の財産を山分けしようとたくらんでいたのである。
原題は「フェニックス」まさに不死鳥のようによみがえった女の弱さとそれと相反する強さを見せつける。クリスティアン・ペッツォルト監督『東ベルリンから来た女』もなかなか渋い映画だったが、こちらの方がサスペンスタッチなだけスリリングな部分がある。

1945年6月ベルリン。元歌手のネリー(ニーナ・ホス)は顔に大怪我を負いながらも強制収容所から奇跡的に生還し、顔の再建手術を受ける。


彼女の願いはピアニストだった夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)を見つけ出し、幸せだった戦前の日々を取り戻すこと。顔の傷が癒える頃、ついにネリーはジョニーと再会するが、容貌の変わったネリーに夫は気づかない。そして、収容所で亡くなった妻になりすまし、遺産を山分けしようと持ちかける。
「夫は本当に自分を愛していたのか、それとも裏切ったのか――」。その想いに突き動かされ、提案を受け入れ、自分自身の偽物になるネリーだったが・・・。(作品情報 引用)

国境を車で越えようと運転する女と顔に包帯を巻いた1人の女がいる。
整形して元々の顔を取り戻そうとするが、まだキズが残っている状態だ。


それでも女は元夫を懸命に探し求める。
女が一人で歩くには危なすぎる戦争の痕跡が残っているベルリンの夜道を歩く。いろんな人に話しかけられる中、ピアニストだった夫がどんな所にいるんだろうかと考え、ナイトクラブに忍び込む。当然追い出されるが、そこにはもっと夫がいるではないか!!

でも夫は気付かない。でも元妻に似ているとは思うので、死亡届の出ていない元妻になりきるように頼むのだ。
元妻は自分はあなたの妻だとは言わず、別の名前を名乗る。そして、元夫のいいなりになり行動するのだ。
元夫に出会ったことは友人に告げる。そしてあった時の一部始終を報告する。
妻はいまだに夫に惚れている。


ネリ―がこぎれいに化粧をする。元の顔に近い。あれ!と夫が思うが、生きているはずがないと思うからそれでも元妻だと気付かない。元妻の筆跡に似せてと紙に字を書かせる。そっくりだ。それでも気付かない。こういうことを繰り返す。いつ彼に告げるのであろうか?

そう思いながらにラストに向かう。(ネタバレ)
親族の前で夫がピアノを弾きながら、彼女が歌を歌う。「スピークロウ」だ。
歌っている途中でようやく気付くのだ。


「スピークロウ」の歌詞が実に彼女の心境を物語っている。
それなので情感のこもった歌で真意を気づくのだ。この場面はすばらしい。

(参考作品)
あの日のように抱きしめて
戦争で死んだと思われた女の復活


東ベルリンから来た女
東西冷戦時の東ベルリンにいた美女(参考記事)
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フードドキュメンタリー映画「99分,世界美味めぐり」

2016-02-11 22:50:25 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
フードドキュメンタリー映画「99分,世界美味めぐり」を映画館で見てきました。


世界中の美食の名店ばかりをまわって歩く5人のブロガー達を追う企画である。食べ歩きの境地を極めている人たちってどんな連中なんだろうというのが気になったのと、美しい欧州の女性が京都の割烹に食べに行く映像が気になり、見てしまう。非常に個性的な人たちが多く、世界各地のミシュラン星つきレストランや個性的なレストランをまわり、ずうずうしく評価している。
若い人たちは割と謙虚だけど、オヤジ2人の態度のでかさにいやらしさを感じた。

ミシュランの定義でいえば
1つ星=そのカテゴリーで特においしい料理、2つ星=遠回りしてでも訪れたい料理、3つ星=そのために旅行する価値のある卓越した料理だという。


この5人はまさに世界中を駆け回っているところが凄い。
自分は毎日記事を量産するようなきっちりしたブロガーでないけど、端くれとして刺激を受けた。
予約がとりにくいお店でも優先的にとれちゃうほどの影響力をもつ。ときには、酷評で店といくらなんでもそれはないんじゃないとケンカすることもある。無料で食べると、ついつい店の側に立ちがちなので自腹で食べる。
おいそんな金どこから持ってくるの?

どちらかというと予告編や公式HPを見てもらった方がいいかもしれない。



特に女性2人にエネルギーを感じる。
日本好きの女性が京都の「菊乃井」寿司の名店「さいとう」で映す映像は必見
アイステ・ミセヴィチューテ(Aiste Miseviciute)


彼女のHP
http://www.luxeat.com/#

香港人の女性ブロガーケイティはものすごく行動的だ。
ニューヨークに向かって、昼と夜に予定をみっちり入れていく姿が印象的
ケイティ・ケイコ・タム(Katie Keiko Tam)


彼女のHP
http://k-luxedining.com/

あとオジサンブロガーがすべての料理を20点満点で評価する。
その評価を決めるのは、今まで食べた料理を思い出してその料理が2つ星だったとすると、それよりはおいしかったか、そうでなかったかで点数をつけていくと言っていたのが印象的だ。
アンディ・ヘイラー(Andy Hayler)


おじさんのHP
http://www.andyhayler.com/blog
それぞれの料理を20点満点で点数付けちゃうところが凄い。
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映画「真夜中のゆりかご」

2016-01-10 19:16:59 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「真夜中のゆりかご」は2015年日本公開のデンマーク映画だ。

これは実によく練られた上質のサスペンス映画だ。
刑事が、生まれてまだ数ヶ月で急死した自分の息子と、捜査で知り得た麻薬常習犯の息子をとっさの判断で取り替えてしまう話である。
デンマークには行ったことがない。ここで見る限り、水辺の風景が美しい。それをバックにした家族の映像と下層社会に生きる親子のドツボぶりを対比させながらじっくり映画を作り上げている。本来サスペンス映画ではないが、ストーリーは一筋縄ではいかず、次にどうなるのであろうかと画面に目をくぎ付けにさせてしまう。実にスリリングでここでは脚本のうまさが光る。

敏腕刑事のアンドレアス(ニコライ・コスター=ワルドー)は、美しい妻アナ(マリア・ボネヴィー)と乳児の息子とともに、湖畔の瀟洒な家で幸せに暮らしていた。

そんなある日、通報を受けて同僚シモン(ウルリッヒ・トムセン)と駆けつけた一室で、薬物依存の男女と衝撃的な育児放棄の現場に遭遇する。方、夫婦交代で真夜中に夜泣きする息子を寝付かせる日々は愛に満ちていた。だが、ある朝、思いもよらぬ悲劇がアンドレアスを襲い、彼の中で善悪の境界線が揺れ動いていく…。(作品情報より)

1.取り違えっ子
福山雅治主演「そして父になる」では生まれた病院での取り違えで、まったく家庭環境の違うところでしばらく育つ2人に焦点を合わせる。クリントイーストウッド監督「チェンジリング」では行方不明の子供が突然見つかるという知らせを受け会ってみると、まったく違う子だったのに、警察がそれを認めず押し付けるという話である。そういった話とは今回は違う。


刑事が通報を受けて押し入った家にいる赤ちゃんと、死んでしまった自分の子を取り替えてしまうのだ。これは犯罪だ。幼い頃に養子に入った赤ちゃんは、思春期過ぎになるまで自分が育ての親から生まれた本当の子供と思って育つ。そのまま両親が育ててしまえば、わからないんだろうなあと思いながら映画を見ていくと、アッと驚くような行動に妻が出てしまうのだ。

2.ストーリー展開(ネタバレあり)
通報を受けて押し入った部屋で、主人公の刑事はうんこまみれになっている赤ちゃんを見つける。ほったらかしにしてもちょっとひどすぎる。しかも、父親は麻薬の常習犯だ。でも子供を認知していない。幼児虐待で子供を激しくいたぶりニュースに出る父親ってこんな感じの奴なんだろうなあと思ってしまうような奴だ。この父親のセリフによれば、母親も「客に生でやらせる女だ」なんて言うわけだから売春まがいのこともしているのだ。そんな最悪の家庭環境にいる赤ちゃんなら、育児の怠慢で子供を死なせちゃったと思わせても大丈夫だろうと刑事は思い、深夜にこっそりとりかえる。両親は麻薬を打った後でぐったり寝込んでいる。


死んでしまった子供と別の子供が入れ替わったことを知り、刑事の妻は動揺するが、じきに慣れていく。それで済むなら、越したことはないけど、次から次へと事件が起こる。このあたりは念入りに伏線を置きながら不自然にならないようにストーリーを作り上げていく。実にうまい。

主人公が住む湖畔?の家が素敵だ。北欧らしい木製サッシで、壁は少ない家だ。各部屋の大きさがかなり広い。でも、単なる刑事がこんないい家に住むのかな?と思ってしまう。あくまでドツボっている家庭との対比を見せるためであろう。独特な暗いムードに包まれながら、非常に巧みに映画をつくっているという印象を持った。ドツボ側の母親がいかにもアバズレという演技をしていたが、なかなかうまかった。途中から彼女の存在感が高まる。狂っていると警察に思われ精神病院に押し込まれてしまう映画「チェンジリング」のアンジェリーナ・ジョリーを思わず連想してしまう展開である。最後に向けて、思わぬ父子の再会がある。この作り方もうまい。


正月から昨年公開の旧作DVDをかなり見たが、一番よくできている映画だった。

(参考作品)
真夜中のゆりかご
刑事による赤ちゃんの取り換え
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映画「フレンチアルプスで起きたこと」

2015-07-19 18:58:36 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「フレンチアルプスで起きたこと」を映画館で見てきました。


雪山のアルプスを映しだす構図が気になって見に行ったけど、気がつくと退屈で寝てしまった。人工雪崩で雪がくつろいでいたテラスにいる家族を襲う。ドキッとするが、特に何も起きない。ところが、その時に家族をかばうのでなく一目散に逃げた夫を責め立てるというだけの話である。何でこんなことくらいで妻もおこるのかなあ?しかも、せっかくのバカンスなのに。よくわからない。しかも、それだけの題材で2時間もの映画を構成するわけだからつまらない。寝てしまった。

アメリカ映画は基本的にこういう男いじめの映画は少ない。むしろ女性のイヤな部分に焦点を当てる映画が多い。欧州はちょっと感覚が違うのであろうか?寝てしまう理由は「男いじめ」気にいらないだけだったのかもしれない。   

フランスの高級リゾートにスキー・バカンスにやってきたスウェーデン人一家。
スマートなビジネスマンのトマス、美しい妻エバ、愛らしい娘のヴェラと息子のハリー。普段仕事に忙しいトマスは、たまに取った休暇で高級リゾートを奮発し、ここぞとばかり家族サービスに精を出す。


バカンス2日目。たっぷりとスキーを楽しみ、陽が輝く絶景のテラスレストランで昼食をとっている最中、いきなり爆発音が鳴り響き、彼らの目の前の斜面で雪崩が発生する。それはスキー場の安全確保のため、人工的に起こした雪崩であった。トマスや他のスキー客たちは、ダイナミックな光景に面白がってカメラを向けるが、エバは何かがおかしいことに気づく。果たして、雪崩は予想外に勢いを増し、テラスめがけて向かってきた。

真っ白な雪の煙がだんだんと晴れていく。幸い大事には至らず、人々は再び笑いと活気を取り戻すが、雪崩の瞬間、トマスが見せた“期待はずれの行動”は、エバと子供たちを大いにガッカリさせ、家族の間の空気がぎくしゃくし始める。エバは雪崩が起きた時のトマスの行動を問いただすが、トマスはエバと異なる主張を繰り広げ、次第に夫婦仲にも暗雲が立ちこめてくる。今までの結婚生活に疑問を抱きはじめるエバ、反抗的な態度をみせる子供たち。そして「理想のパパ」の座を取り戻そうと必死にあがくトマス。

バカンスは5日間。残された時間の中で、バラバラになった家族の心は、再びひとつに戻る事ができるのか─?(作品情報より)


ネタばれ気味にいうけど、最終場面に向かって、強い雪が降る雪山の中で家族が一緒にスキーをするシーンや最後にバスが立ち往生するシーンなど若干見どころはある。でもこの映画の良さは分からない。ただ、ずっと固定したカメラ位置とそれに長回しに映し出される映像がちょっと一味違うのは確かだ。最初雪崩がテラスにかぶさった後、しばらく雲の中に入り込んだように真っ白になる。どうなるんだろう??と思っているとしばらくして少しづつテラスの風景が見えてくる。長まわしで続いていくその映像は印象には残った。




映画の最初から最後までヴィヴァルディ「四季」の夏のテーマが高らかに流れる。不安なそれぞれの感情を強調するかのようだ。なるほど、この曲ってそういう使い方もできるのね。何度も聞いたこの曲の奥の深さを改めて感じる。
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映画「野いちご」 イングマール・ベルイマン

2015-01-12 09:18:41 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「野いちご」は巨匠イングマール・ベルイマン監督による1957年のスウェーデン映画だ。(日本では1962年公開)
キネマ旬報ベスト10の最新情報が発表されたが、本作品は1962年の洋画部門1位である。


この作品を自分のベスト作品という人は多い。なにげに「ロードムービー」である。名誉博士号を授賞することになった老医師が、授賞式に出席するために車で自分に縁の深い場所をめぐりながら、現地に向かう。妄想をめぐらせながらいろんな人との関わりをもっていく一日を描いた作品である。
宗教的観念性をもつ他のイングマール・ベルイマン監督作品とはちがって難解ではない。それでも、悪夢が描かれ、現実を交差する中で医師がわずかながら変わっていく姿を描いている。この映画を本当に理解できるのはもう少し年をとってからなんだろうなあと思うけど、何度も見てみたいと思わせる映画だ。

78歳の孤独な医師イーサク・ボルイ(ヴィクトル・シェストレム)。妻は亡くなり、子供は独立して、今は家政婦と二人きりの日々を送っている。長年の功績を認められ、明日ルンド大学で名誉博士号を受けることになっていた。その夜イーサクは奇妙な夢を見る。

人影のない街、針のない時計。彼の前で止まった霊柩車。中の棺には彼そっくりの老人がいて、手をつかんで引きずり込もうとする。
夢から覚めたイーサクは、飛行機でルンドに行く計画を取りやめ、家政婦アグダの反対を押し切って車で向かうことにする。
車の旅には、息子エーヴァルドの妻、マリアン(イングリッド・チューリン)が同行することとなった。マリアンは家族に対して冷たいイーサクの態度をなじる。道の途中、ふと思いつき、青年時代に夏を過ごした邸宅に立ち寄る。古い家のそばに広がる野いちごの茂みに腰を下ろし、感慨に耽るイーサク。いつしか現在の感覚が薄れ、過去の記憶が鮮明によみがえってくる。

野いちごを摘む可憐な乙女、サーラ(ビビ・アンデショーン)。彼女はイーサクの婚約者だが、彼の弟に口説かれ、強引に唇を奪われる。家の中ではイーサクの母親、兄弟姉妹、親戚一族が揃い、にぎやかな食卓を囲んでいる。弟との密会をからかわれ、動揺するサーラ。彼女は真面目なイーサクより、奔放な弟に惹かれていることを密かに告白する。


夢から覚めたイーサクの前に、サーラそっくりの娘(ビビ・アンデショーン1人2役)が立っていた。サーラという名前の快活な女学生と、ボーイフレンドである2人の若者が旅の道連れとなった。途中、事故にあった夫婦を助けるが、アルマンと名乗る夫とその妻は車内で喧嘩を始め、うんざりしたマリアンは二人を追い出す。車はかつてイーサクが住んでいた美しい湖水地方にさしかかる。立ち寄ったガソリンスタンドでは、子供の頃に面倒をみた店主が彼を覚えていて、心のこもったもてなしをする。途中、年老いた母親の屋敷を訪ねたイーサクは、忘れていた過去の記憶に触れ、車の中で疲れて眠りに落ちる。

イーサクに手鏡をつきつけ、老いた自分の顔を見るよう促すサーラ。彼女は弟と結婚し、仲睦まじく暮らしていた。アルマンに導かれ、医師の適性試験を受けたイーサクは、ことごとく失敗して不適格とみなされ「冷淡で自己中心的、無慈悲」の罪を宣告される。更に一組の男女が密会する光景を見せられる。それはかつて目撃した、妻カーリンの不倫現場であった。アルマンはイーサクに「孤独」の罰を告げる。
(作品情報引用  太文字は夢想場面 )

私は今までに、自分の死体と出会う夢を見たことはない。高い場所から飛び降りたりする夢を見ても、その途中で目が覚めてしまう。あれ!これは夢なんだという夢を見るときでも、自分は死んではいない。自分もいい年になったが、こういう夢を見るのはもう少したってからなんだろう。逆に言うと、見るようになった時は死期が近いと悟って心の準備をしなくてはならないのかもしれない。

それにしても、人間のいやな部分を徹底的に見せつける映画だ。主人公も老人のわがままを通し続ける。
「人の悪口を聞くのが嫌で友人をもたない」という主義だ。孤独だけど、それでいいとしている。
人話は聞かない。エゴイストで、頼って自分のもとに来ている息子の嫁にもそっけない。タバコを吸おうとする娘に対して、男が葉巻をすうのはいいけど、女は禁煙にすべきだという。

それじゃ、女の楽しみは何?という質問には
「泣くこと、出産と人の悪口を言うこと」そうのたまう。

本来授賞式には40年来仕えているメイドと飛行機で駆け付ける予定だった。
でも自分の死体と対面する悪夢を見て、朝3時に車で行くことにしたわけだ。その途中で出会いがある。


1.気難しい出演者たち
主演のヴィクトル・シェストレムはサイレント映画時代の名監督だったという。当時78歳、現代と比較すると明らかに寿命が短い当時ではこの年での出演は多少無理があったろう。でも彼にしか出せない独特の雰囲気がまさに気難しい老医師というのをしっかりと演じている。枯れ切った表情にも味がある。事実この映画に出演した3年後に亡くなっている。渾身の演技だったわけだ。

その主人公には96歳になる母親がいる。これがまたイヤな女だ。息子の顔を見るなり、死んだ嫁の悪口がはじまり、悪口が止まらない。それをみて主人公の息子の嫁が「死さえも彼女をさけているようだ。」とあきれてしまう。他にも事故に遭遇してであった夫婦の変人ぶりなど、この世のイヤな部分を全部出し切るみたいな感じである。

2.イングリッド・チューリン
映画で最初に彼女が出てくる場面がある。その美貌にハッとさせられる。
日本映画の場合、一部女優を除いて昭和32年当時の女性は現在と比較すると、何かアカぬけない。イングリッド・チューリンの場合は、むしろ現代よりも進化している未来人のようだ。自分と同様の感想を当時映画を見た日本人は感じたであろう。


どちらかというと、現代人に近い考え方をもつ。

3.1962年度(昭和37年度)のキネマ旬報評価
この年はミケランジェロアントニオーニ監督の「情事」、「夜」、ジョンフォード監督「怒りの葡萄」、ポールニューマンの「ハスラー」と名作ぞろいで、2位は「ニュールンベルグ裁判」だ。そんな中、自分がよく知っている3人の選考委員が10点をつける。津村秀夫と双葉十三郎、そして淀川長治だ。

津村秀夫は自分の大学で「映画論」を講義していた。
「人生の厳粛と苦汁と甘美さとが、融合しており独特な風味を形成しているのであり、それは人生の終末点に立って枯れ木のごとくゆれる哀れに心細い老人の内面であっても、そこに展開される世界は色彩感が豊富であって幻滅も愛も戦慄も恐怖も織り成されているのだ。舌の上にのせても、とろりとするような甘美さが残るのである。」

大先輩双葉十三郎は長い評論家人生に9000本ほど評価した中で、最高点を与えている数少ない15本の1つとしている。
「潜在意識のの映像化という手法を用いた人生観照ドラマとして最高峰を極めたものである。。。老いて死を予感している主人公の内面のとらえ方は見事としかいうほかない。人々との接触で微妙に変化していく経過が、夢と幻想を交えて描かれているうちに、彼の人生が浮かび上がっている。」

映画雑誌編集者だった淀川長治双葉十三郎は仲がいい。一方で朝日新聞の映画担当記者で「週刊朝日」編集長だった津村秀夫双葉十三郎映画「商船シナシチ―」のことで論争をしたことがある。
そんな3人だけど「野いちご」は10点だ。この年断トツのトップである。

最後にむけて徐々に心を開く主人公の境地に自分が至るのかどうか?これからもこの映画を見ていきたい。
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映画「バチカンで逢いましょう」 マリアンネ・ゼーゲブレヒト

2014-10-15 17:55:41 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「バチカンで逢いましょう」は名作「バグダッド・カフェ」マリアンネ・ゼーゲブレヒト主演のローマを舞台にしたドイツ映画だ。


「バグダッド・カフェ」で活躍したマリアンネ・ゼーゲブレヒトが、いいおばあさんになったな!とジャケットを見て思う。あのパフォーマンスを思い出しつつ、dvdを手に取ってしまう。ドイツ人のおばあさんのローマでの珍道中といった感じだ。

マルガレーテ(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)は40年前に夫とドイツのバイエルンからカナダのビッグベア・クリークに移住し、幸せに暮らしていた。そして、長年連れ添った夫ロイズルの葬儀を済ませた。長女マリー(アネットフィラー)は遠く離れた一軒家で一人暮らしをする母の家を売却し、自分の家へ呼び寄せることにした。
ところが、マリーの家で一緒に暮らせるはずだったのに、マリーは彼女に新設の老人ホームを勧める。みんなで行くと約束をしていたローマ旅行もうやむやにされてしまう。敬虔なカソリックの信者であるマルガレーテには、どうしてもローマ法王の前で懺悔したいことがあったのだ。ある朝、マルガレーテは置手紙を残して、空路ローマに旅立った。

ローマに住む孫娘マルティナ(ミリアム・シュタイン)の家に転がり込んだマルガレーテは、さっそくバチカンへ向かった。だが、法王と会うのは簡単なことではなかった。そこで、イタリア人の老詐欺師ロレンツォ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)と出会う。彼は盲人を装って法王に会おうとしていたのだ。


マルガレーテは集団謁見の日に再訪する。神聖な法王の前で偽りの姿をさらす老詐欺師を見つけ、懲らしめようと、持っていた護身用のスプレーを吹きかけたところ、それが法王を直撃してしまう。逮捕され、大きく報道されてしまう。尋問を受けるマルガレーテを救ったのは盲人を装っていたロレンツォだった。彼は警察に事件はすべて自分のせいだと説明し、マルガレーテは釈放される。

一方、マルガレーテはロレンツォの甥ディノとも不思議な縁で出会っていた。ディノの母親はドイツ人で彼らはローマでバイエルン料理店を経営していた。店の料理は不味く、倒産寸前だった。最初は客として来店したマルガレーテも、あまりにひどい料理に自ら厨房で料理を作り始めてしまう。やがてマルガレーテはその店のシェフとして働くことになり、彼女の作る料理は大評判となって店は一気に繁盛する。


法王襲撃犯として国際ニュースにまでなった母を心配して娘マリーもローマへやってきた。そして、彼女は40年間家族の誰にも話したことのない秘密をマリーに明かす。だが、その秘密のあまりの衝撃に母と娘は大喧嘩を始めてしまうが。。。。


第2外国語がフランス語だったので、ドイツ語はまったく分からない。スイスに行った時も、ドイツ語を話されるとバンザイ状態。それでもドイツ映画のコメディは「ソウルキッチン」などなかなか面白いものがある。古くは「ローマの休日」新しいところではウディアレンの映画「ローマでアモーレ」とローマ観光的映画は多々あれど、今回は若い孫役の娘とイタリア人の老詐欺師を中心にコミカルに展開させる。

1.「バグダッド・カフェ」との類似
「バグダッドカフェ」は傑作である。アメリカ西部の片田舎のドライブインに一人のドイツ人が夫とはぐれてくる。彼女はきれい好きで、流行らないドライブインでものすごい活躍を見せる。伊丹十三「タンポポ」のように一気に店に躍動感を与える。そこでは女の友情も語られる。


マルガレーテは孫の家の行った時、アパートは散らかしたままで、壁は裸の女のペインティングできたなくなっていた。早速部屋ををきれいに掃除する。これを見て「バグダッドカフェ」を思い出す。この映画を見てから、自分はドイツ人が整理整頓をする人種というイメージを持ってしまった。ここでも同様、シェフとなる店でもきれいに掃除する。


あとは料理である。本当は故郷のバイエルン料理を食べに行ったつもりだったのに、出てきたものはお粗末そのもの。食材を自分で扱って、「ウィーン風カツレツ」なるものをつくる。結局それはランチの献立になり、顧客を呼ぶようになる。
そんな感じで「バグダッドカフェ」のオマージュ満載である。

2.支える脇役たち
この詐欺師どこかで見たことある!そう「007慰めの報酬」でも見かけたのだ。ジャンカルロ・ジャンニーニはイタリアを代表する国際スターだ。服装もセンスがいい。いかにも陽気なイタリア人らしくコメディタッチにのっていく。スパイ映画だけが彼の持ち味ではないのだ。
イタリアにいる孫を演じるミリアム・シュタインが可愛い。結局現地のロックカフェに勤めて、ロッカーと同棲している。親の心配をよそにハネを伸ばしているという設定だ。フランス娘もいいけど、ドイツ人もいい女多いよね。ウィーン生まれという彼女はその美貌はハリウッドまでとどろくのではないかな?


定番のローマの風景は抜群、最初に映るカナダの山風景もすごくきれいだ。
観光的要素もあり、それなりに楽しめた。


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映画「鑑定人と顔のない依頼人」 ジェフリーラッシュ

2014-09-30 05:27:43 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「鑑定人と顔のない依頼人」は2013年日本公開のイタリア映画だ。


「ニューシネマパラダイス」「マレーナ」のジュゼッペ・トルナトーレが監督で、映画音楽は監督の名コンビ巨匠エンリコモリコーネである。それこそクリントイーストウッドの出世作「夕陽のガンマン」「荒野の用心棒」の音楽担当だ。

イタリア映画といっても、交わされる言葉はほとんど英語である。鑑定人に名優ジェフリーラッシュが扮し、その悪さ仲間がドナルド・サザーランドである。

一流鑑定士がある女性から鑑定依頼をうける。最初は相手にしなかったのに、姿を見せない依頼人に関心を持ち深みに入っていく。依頼人が美人と判明し、それまで独身を通していた主人公の動きがかわる。いったいこの依頼は何なのか?
序盤戦から依頼人が姿を表わすまでは普通の展開だったが、終盤にかけて妙に動きが速くなりスピードアップする。すると、想像もしなかった展開に変わっていく。

ヴァージル・オールドマン(ジェフリーラッシュ)は天才的鑑定眼をもち、あるゆる美術品の価値を一瞬にして判断することができる一流鑑定士だ。オークショニアとして値の張る美術品オークションをリードする立場にあった。しかし、相棒(ドナルド・サザーランド)と悪さをしている。これは贋絵画と偽って、相棒に安く入札させる。ヴァージルは極度の潔癖症で、極め付けに芸術品の中の女性しか愛することができないという人物だ。


そんな主人公にある鑑定依頼がくる。それは、若い女性からの資産家の両親が亡くなり、屋敷に遺された絵画や家具を査定してほしいという依頼だった。忙しい鑑定人は相手にしていなかった。しつこいので、とりあえずお屋敷へ向かう。ところが、依頼人は姿を現さない。ヴァージルは不信感を抱くも、それが本物なら歴史的発見となる、ある美術品のパーツを見つける。


ヴァージルは彼女が屋敷で暮らしていることを突き止める。彼女と壁ごしのやり取りを重ねる。
会話を交わした後、帰ると言って入口のドアを閉め、その隙に屋敷の中に残る。そこでヴァージルは、こっそり依頼人の姿を覗き見ると、美しい女性だった。徐々に魅かれていく。この奇妙な鑑定依頼の本当の目的とは何か?

1.ジェフリーラッシュ
「シャイン」のピアニスト役が絶品だけど、「英国王のスピーチ」のドモリ矯正士も実にうまい。「英国王」ではアカデミー賞の助演男優賞もらってもおかしくないと感じていた。オーストラリア出身だけど、イントネーションが英国系で聴きとりやすい英語を話す。自分にとってはわかりやすい。この映画の鑑定人は、何でそれまで独身だったのか?別に男色の趣味があるわけではない。それが若い依頼人に徐々に心ときめかす。その老いた男の恋愛を実にうまく演じている。落胆した姿も非常に味がある。あんなことになったら具合も悪くなるよなあ

2.謎の依頼人
最初依頼人は姿を見せない。執事が取り仕切っている。大けがでもして顔を損傷しているような人なんだろうか?と思ってしまう。あえてそうしたと思うが、謎に包まれた時間が続く。そうした後で主人公が賭けに出る。わからないようにしてこっそり部屋に残るのだ。そこで初めて姿を見ることができる。美女のようだ。
隠れていたが、依頼人にばれてしまう。彼女はあわているが、説得して平穏な状態となる。それからはひきこもり状態の彼女に対して、男性の保護本能が目覚めてくる。依頼人の世話をするようになっていくのだ。


3.意外性のある展開
この映画のラスト30分はよめない。ミステリーとしては実にうまい。
謎の依頼人が顔を見せ、鑑定人が恋していく。依頼人もそれにこたえる。恋愛モノなのかと自分を錯覚させる。ところがそう簡単には終わらない。イタリアの超一流監督がつくるんだからそんな陳腐な映画ではない。
それまで出演してきた脇役たちが一気にからんでくる。それも見せかけは2人に干渉しているようにはみえない。
2人は愛し合うようになり、絵画に描かれる女性しか愛せない男に隙が生まれる。
そして唖然とするシーンにつながっていく。

結局は「スティング」を思わせるドンデン返しだった。
それでも主人公はある人物をかばう。そこが監督のいいたいことだったのであろう。
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映画「偽りの人生」 ヴィゴ・モーテンセン

2014-02-05 13:52:28 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「偽りの人生」は2013年公開のアルゼンチン映画だ。
サスペンススリラーと言うべきスタイルだが、双子の兄を殺した弟が兄になりすますという構造だ。

主演ヴィゴ・モーテンセンは「ロードオブザリング」などのハリウッド作品に出演して、名声を高めている。彼は少年の時にアルゼンチンに住んだことがあった。その彼が今回監督をするアナ・ピターバーグから自分の脚本を呼んでくれと言われ、読了した。重層構造の脚本に引き込まれ、一人2役を演じることになった。ヴィゴ・モーテンセンが加わることで、映画界から資金を引き出すことができ、映画としての体裁が整ったようである。

アグスティン(ヴィゴ・モーテンセン)は医師としてブエノスアイレスで妻(ソレダ・ビジァミル)と裕福な暮らしをしていた。

2人には子供がなかった。養子をとりたいという妻の申し出に対して、夫は拒絶した。立腹した妻は家を出る。アグスティンは何をやるにも気ののらない抜け殻のような状態で家にいた。
そんな時、長らく離れていた一卵性双生児の兄ペドロ(ヴィゴ・モーテンセン/二役)が突然訪れてきた。兄は末期癌であることを告げる。痛みに耐えられないので、自分を殺すよう懇願する。話を聞いて主人公は驚いたが、風呂に入っている時、兄が発作を起こしているのを見て、とっさに殺害してしまった。

アグスティンは自分が死んだことにして、ペドロになりすまそうと考える。ブエノスアイレスから北へ30km程のデルタ地帯ティグレへと帰った。ペドロはそこで養蜂をやっていた。ボートでペドロの家へ戻ると、川岸の周囲からは白い目で見られた。ペドロは仲間たちと闇の犯罪に関わっていたようだ。町の人からさかんに仲間の行方も聞かれる。そこにはもともとペドロが親しかった若い女性もいたようだ。

アグスティン自身もペドロが今まで生きてきた人生が少しづつわかっていくのであるが。。。

映画っていいよなあ。ティグレなんて町存在することすら知らなかった。調べるとブエノスアイレス近郊の水郷エリアのようだ。ティグレではみんなボートを使う。密林の中を流れる川をボートで行くシーンが繰り返し登場する。描かれる景色は美しい。バックに流れる音楽がすばらしく、情感を高めてくれる。

川とも水郷とも運河とも観光案内ではいろんな書き方がされている。非常に美しい町と書かれているが、映画に映る世界は多少泥臭い。

ヴィゴ・モーテンセンといえば「ヒストリーオブバイオレンス」だ。自分の中でもベスト20に入るくらい好きな映画だ。そこでは、昔マフィアで今はごく普通のカフェの店主になっている影のある男を演じた。そこではカッコよかったが、この映画ではむしろドツボの世界を彷徨う男だ。双子って映画の題材にしやすい。映画「美しい妹」ではマリオン・コティヤールが死んだ妹になりすました役を演じた。その映画ではむしろ華やかな世界の人になりすますわけで、医者から裏稼業まっしぐらの男になる彼からすると真逆である。

印象に残るシーンはたくさんある。まずは兄を殺すシーンだ。1人二役なので撮影はかなり難儀したと思うが、殺してくれと言ったのにもかかわらず、いざというときには抵抗する。その暴れ方がリアルでうまい。あとは蜜蜂に顔を刺されてしまうシーンは大変だなあと同情する。別れた妻との牢屋での再会シーンなどシリアスな雰囲気を醸し出す部分も多い。ソフィア・カスティリオーネという女優がティグレに帰った主人公の恋人になった。彼女のキャスティングは成功だと思う。華美な女性が出てきてもここではおかしい。胡散臭い世界をイメージさせるにも彼女でよかった。

ただ、ここでのメインはやはりティグレという水郷に面した町だ。この景色をバックに練りに練られて撮影されたと思われる映像コンテは実に美しかった。

この映画は2回見た方がいいと思う。関係が一度見ただけではわかりにくい。2度見て初めて良さがじんわり来る。
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映画「偽りなき者」 マッツ・ミケルセン

2013-12-05 23:01:01 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「偽りなき者」は今年2013年公開のデンマーク映画だ。

無実の罪を着せられた男の孤独な戦いを描くヒューマンドラマ。実に重い映画だ。
いい映画だと思うけど、二度と見たくない。そんな思いを痛切に感じさせる作品だ。主人公は「007/カジノ・ロワイヤル」で存在感を見せたマッツ・ミケルセンが演じる。彼はこの作品で2012年カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した。好演であるが、ひどいイジメにあってさぞかしつらい演技だったと思う。

離婚と失業の試練を乗り越え、幼稚園の教師という職に就いたルーカス(マッツ・ミケルセン)は、ようやく穏やかな日常を取り戻した。
しかしある日、親友テオ(トマス・ボー・ラーセン)の娘クララ(アニカ・ヴィタコプ)の作り話によって、ルーカスは変質者の烙印を押されてしまう。


幼いクララの証言を、町の住人のみならず、親友だと思っていたテオまでもが信じて疑わなかった。無実を証明できる手立てのないルーカスの言葉に、耳を貸す者はいない。仕事も親友も信用も失ったルーカスは、小さな町ですっかり孤立してしまう。彼に向けられる憎悪と敵意はエスカレートし、一人息子のマルクス(ラセ・フォーゲルストラム)にまで危害が及ぶ。ルーカスは、無実の人間の誇りを失わないために、ひたすら耐え続ける生活を余儀なくされる。クリスマス・イブ、追い詰められたルーカスはある決意を胸に、町の住人たちが集う教会へ向かう……。


ここでは徹頭徹尾嫌がらせを受ける。
子供の嘘を大人が信じてしまう。幼稚園の上司は、「勃起しているアソコ」を幼児に見せたというセリフにドッキリする。子供はうそをつかないと思い込む。でも、子供の頃って割と誇大妄想的なウソってみんなつくよなあ。そんなのわかっちゃいないのかな?と思うが、女性らしい思いこみだけで、親に報告した後で、父兄に幼稚園で大変な事件が起きたという。
だんだんムカついてくる。そう自分に思わせるのは脚本家がうまいのであろう。

しかも、主人公はスーパーで販売拒否を受ける。食料品すら買えない。息子もだ。ふざけんじゃないよ。スーパーの店員に暴力まで受けてしまうのである。日本だと、傷害事件で訴えてもよさそうなものだ。などなど本当に容赦ない。ウソをついた女の子へのムカつき度は頂点に達する。虐待したいくらいだ。

このように主人公を窮地に陥れるのがいわゆる上質のミステリーだ。その要素を持つ。


ネタばれだが、一言
最後に主人公が猟に行った時、誰かに狙われる。でも太陽光の逆光で顔が見れない。
誰なんだろう?そんな謎解きの要素がある。愛犬を殺したのも誰かと気になる。
ウソをついた親友の娘の兄貴が怪しいとするのが普通であるが、どうだろう?
最後のパーティには親友テオの妻の姿が見えなかった。この女も幼稚園の園長と同じくらいムカつく奴だよなあ

ケンカしたスーパーの肉職人かな?どれもこれも気になってくる。
最後まで主人公は追われるのだ。
後味は最高に悪い映画
だが、芥川龍之介の「藪の中」みたいな楽しみ方もできる。一度は見てみるべき映画だと思う。

コメント
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