南北戦争の戦乱が続くアメリカ南部の郊外、北軍の伍長クリントイーストウッドは負傷して、道端に倒れていた。その時一人の少女が通りかかって彼を助けて、彼女が学ぶ男子禁制のキリスト教全寮制学校に彼を連れて行く。敵軍である北軍兵士の負傷兵を見て、園長はじめ女性たちは戸惑うが、負傷した彼を助けることにする。ハンサムな彼を看病するうちに、スタッフや生徒たちが次第に色目を使うようになる。処女の女教師だけでなく、若干あばずれの気のある17歳の女生徒、彼を助けた少女、昔近親相姦だった噂のある園長が彼の存在に色めき立つようになるが。。。。。
こういう話って現代もあるかもしれない。地方支店で若い男性のいない職場、突如独身のハンサムな社員が異動してくる。若いOLたちは色めきだし、その男性にあの手この手で接近していく。男性が全部をさばくことができないうちに、女性たちの中で愛憎の念が生じて混乱するといった話である。わが社でもその事例いくつも過去にあった。どんな会社でもあるような話だ。
こうやって見ると、「ダーティハリー」「恐怖のメロディ」と「白い肌の異常な夜」はある意味三部作のように見えてくる。いずれも変質者的存在が見えてくる。「ダーティハリー」での変質的犯罪者、「恐怖のメロディ」では主人公のDJをストーカーのように追う女性はいずれも映画史上有名な変質者だ。
ここでは一人に特定されていない。皆がおかしい存在になってくる。そこがポイントだ。一人の男性をめぐっての女性の愛憎のすさまじさを浮き彫りにしている。それぞれはバラバラであるが、みんなが狂ってくる構図である。いつもの正義の味方的なイーストウッドの姿では決してない。長い彼の映画人生でも貴重な主人公の姿であろう。
でもこのエロチックサスペンス的タッチって同じ時期の東映映画でも真似されているのではないかしら?いやそれだけでなく、長く日本の9時台を盛り上げた90分サスペンステレビドラマにつながる流れだ。B級映画的なタッチを監督のドンシーゲルだけでなく、撮影のブルース・サーティーズが懸命に追う。しつこいようなその撮影がいやらしさを増し、この作品を傑作にしている。もしかしたらシーゲルとイーストウッドが組んだ中で一番面白い作品かもしれない。