映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

白い肌の異常な夜 クリントイーストウッド

2009-12-29 07:05:03 | クリントイーストウッド
今年2作放映され映画ファンを喜ばせたクリントイーストウッド。彼の作品はほとんど見ているが、DVDが出ていなくて見れなかった作品であった。時代は南北戦争に遡る。発表された1971年は今年と同じように多作で「ダーティハリー」「恐怖のメロディ」と彼の長い映画人生でも重要な年である。ムードは同じように異常さを盛り上げている。

南北戦争の戦乱が続くアメリカ南部の郊外、北軍の伍長クリントイーストウッドは負傷して、道端に倒れていた。その時一人の少女が通りかかって彼を助けて、彼女が学ぶ男子禁制のキリスト教全寮制学校に彼を連れて行く。敵軍である北軍兵士の負傷兵を見て、園長はじめ女性たちは戸惑うが、負傷した彼を助けることにする。ハンサムな彼を看病するうちに、スタッフや生徒たちが次第に色目を使うようになる。処女の女教師だけでなく、若干あばずれの気のある17歳の女生徒、彼を助けた少女、昔近親相姦だった噂のある園長が彼の存在に色めき立つようになるが。。。。。

こういう話って現代もあるかもしれない。地方支店で若い男性のいない職場、突如独身のハンサムな社員が異動してくる。若いOLたちは色めきだし、その男性にあの手この手で接近していく。男性が全部をさばくことができないうちに、女性たちの中で愛憎の念が生じて混乱するといった話である。わが社でもその事例いくつも過去にあった。どんな会社でもあるような話だ。

こうやって見ると、「ダーティハリー」「恐怖のメロディ」「白い肌の異常な夜」はある意味三部作のように見えてくる。いずれも変質者的存在が見えてくる。「ダーティハリー」での変質的犯罪者、「恐怖のメロディ」では主人公のDJをストーカーのように追う女性はいずれも映画史上有名な変質者だ。

ここでは一人に特定されていない。皆がおかしい存在になってくる。そこがポイントだ。一人の男性をめぐっての女性の愛憎のすさまじさを浮き彫りにしている。それぞれはバラバラであるが、みんなが狂ってくる構図である。いつもの正義の味方的なイーストウッドの姿では決してない。長い彼の映画人生でも貴重な主人公の姿であろう。

でもこのエロチックサスペンス的タッチって同じ時期の東映映画でも真似されているのではないかしら?いやそれだけでなく、長く日本の9時台を盛り上げた90分サスペンステレビドラマにつながる流れだ。B級映画的なタッチを監督のドンシーゲルだけでなく、撮影のブルース・サーティーズが懸命に追う。しつこいようなその撮影がいやらしさを増し、この作品を傑作にしている。もしかしたらシーゲルとイーストウッドが組んだ中で一番面白い作品かもしれない。
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チェンジリング クリント・イーストウッド

2009-06-05 19:11:34 | クリントイーストウッド

きつい映画だ。かなり気味が悪い。
クリントイーストウッド監督がアンジェリーナジョリーを主演に迎えて異常な犯罪の世界に入り込む。「グラントリノ」よりもかなりエグイ話だ。とかくロス市警は映画の世界では評判が悪すぎる。ここでは際立って悪い!!

1928年3月母子二人でロスに生活するアンジェリーナ・ジョリーが仕事に出ているすきに、子供が行方不明になる。警察に届けたが見つからない。失意の5ヶ月がたち、息子がイリノイ州で見つかったという知らせが入る。喜び勇んで、駅にて迎えた。しかし、来た子供は自分の息子と違った。一緒にいた警部に「この子は違う。」と主張したが、聞き入れてくれない。とりあえず彼を自宅に連れてきて、柱のキズで背の高さを確認すると7センチも低い。息子とは違うことを証明するために、通っていた学校や診察してくれた歯科に行って書面にて本当に違うことを証明させようとするが。。。。

変質者を登場させるのは、イーストウッドの得意技である。特に強烈なのは「ダーティハリー」「シークレットサービス」「ブラッドワーク」あたりだと思う。フィクションでなく今回は実話である。どうも犯人の顔は本物の顔に似ているようだ。イーストウッドは最初に実際のイメージに合った人を配役で選ぶことに注意をするらしい。今回はいろんな意味で会心の笑みを見せていることであろう。主演女優もヒラリー・スワンクやリース・ウィザースプーンの売り込みもあったらしい。 でもアンジョリーナでよかった。

アンジェリーナジョリーについては、個人的には派手なアクションで動き回る方が好きだ。でもシリアスな役も悪くはない。精神的に激しいダメージを受けるかなりきつい役だと思う。目つきも相当悪くするように指示されている。よくもったと感心する。これもここ数年の輝かしいキャリアがあるせいであろう。
ジョンマルコビッチはアンジェリーナジョリーの後見役的な神父さんの役である。頭が禿げていなかったので一瞬わからなかった。めずらしくきわめて一般人の役である。「バーンアフターリーディング」とはまた違った味を出す。イーストウッド映画では「シークレットサービス」で変質者を演じた。そして大統領警護のイーストウッドとの直接対決をする。あの映画でのマルコビッチの怪演ぶりは彼のベストではないであろうかと思う。
あとは本当に憎たらしいと見ている者に感じさせた、ロス市警の警部さん。途中でこっちがむかむかしてきた。これは素晴らしい演技だと思う。 「ディパーテッド」のマークウォルバーグがダブって見えた。

いずれにせよ1年に2作も傑作を生んだイーストウッドに感謝

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グラントリノ  クリントイーストウッド

2009-05-29 21:29:01 | クリントイーストウッド
「グラントリノ」を劇場で見た。イーストウッド最後の出演作。往年のイーストウッドを思わせる殴るシーンもあり、胸をときめかせる。エンディングでは周りの女性たちからすすり声が聞こえていた。基本的には男性映画であり、正直それほど泣ける映画とも思えない。大スターイーストウッドの過去50年の集大成といった気がする。最後と思うと熱狂ファンの一人としては悲しい。

フォードの修理工であったクリントイーストウッドが妻に先立たれた葬式の場面からスタートする。朝鮮戦争の退役軍人で気難しいイーストウッドは自宅での「葬儀のお清め」から、息子たちやその娘たちの振る舞いが気に入らない。一人の方が気兼ねなくてタイプ。頑固な性格を映画は描写していく。
そんな時、隣にアジア人の家族が引っ越してくる。「モン族」という東南アジアの民族である。親族との連帯感が強く、常に騒いでいる隣をイーストウッドは気に入らない。そのアジア人の息子が同じ民族の不良仲間にそそのかされて、イーストウッドの愛車「グラントリノ」を盗もうとして、未遂に終わるが。。。。。

「弱いものを助ける」とか「やられたらやり返す」というようなイーストウッドの伝統的なストーリー展開である。詳細の筋はいえないが、最後の復讐場面でのイーストウッドの顔は、「許されざる者」でモーガンフリーマンの死体がさらされているのを見て保安官ジーンハックマンに対して向かっていこうとする時のにおいを感じた。結果は意外な展開になるが。。。。

この映画でのイーストウッドのプロフィルやストーリー展開は過去のいろんな映画とだぶる。そういった意味で彼の俳優としての集大成なのである。
しかし、年取ったなあイーストウッド!先日「続夕陽のガンマン」をDVDで見たとき、その声の響きは「ミリオンダラーベイビー」のコーチ役の声と大きく変わらないと思った。「グラントリノ」の声はおじいさんの声になっていた。78歳なんだもの仕方ないけどね。
インテリの役ではない。兵役の義務を果たし、フォードの組立工をやったという典型的なアメリカブルーカラーの役柄である。朝鮮戦争で出征していたイーストウッドだからこそ演じられた部分も多い気がする。イーストウッド以外でも演じられるが、彼で本当に良かった。 この役を他の人が演じていたら、こんなに人気が出たであろうか?疑問である。「ダーティーハリー」や「夕陽のガンマン」の彼を知っているからこそ、別れを惜しみにアメリカ人たちは映画館に向かっていったのであろう。
アメリカの大部分はブルーカラーであり、自分の姿とラップさせる中高年が多かったに違いない。私も小さいときに「ダーティハリー」を劇場で父と見た。本当にかっこいいと思った。その同じ感動を持っているアメリカ人はたくさんいるはずだ。

映画自体では、脇役のちりばめ方が上手だったと思う。「モン族」の隣の家族全員(英語が話せない祖母、母、娘、息子)、教会の神父、「モン族」の不良グループ黒人の不良グループ、イーストウッドの息子たちと孫たち、「モン族」の親族たちなどなど。。。。それぞれに活躍していた。
決してイーストウッドだけの映画ではない。大スターがイーストウッドだけだったので、脚本的にも配慮する必要がなかったかもしれない。公平に役割分担を与えていた。脚本のうまさを感じる。
作家の小林信彦はイーストウッドが死んだら、映画は見なくなるかもしれないといったそうな。その気持ちはわかる気がする。
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硫黄島からの手紙  クリントイーストウッド

2009-05-22 05:51:27 | クリントイーストウッド

イーストウッド硫黄島二部作の日本側視点の作品。家族との別れを惜しみ本当は死にたくなかった人たちのプライベートな気持ちに入り込み、戦争の悲惨さを訴える。戦闘云々よりも戦前日本の撃沈主義への疑問を感じた。
一部渡辺謙の回想場面を除き、すべて日本語である。日本映画といっても良い。しかし、この映画の中に流れる独特の無常さは「ミスティックリバー」や「ミリオンダラーベイビー」をつくったクリントイーストウッドならではである。


結果は誰でも知っていることなので、ストーリーはあえて語らない。ただ単に負けそうだから自決するのが美徳としていた軍の考えではなく、最後まで防御を固め、相手に向かって戦う栗林中将の姿勢はすばらしいと思う。アメリカの駐在経験があるので、前近代的であった軍中枢部とは違う考えも持ち合わせていたようだ。渡辺謙は「ラストサムライ」に劣らない好演である。

捕虜に対する扱いがこの映画で一つの焦点となっている。
東条英樹首相は「相手に捕らえられるくらいなら自決してしまえ!」という話をしていたようだ。当然捕虜に関するジュネーブ条約は、軍上層部の知るところであったであろうが、下士官には伝わっていなかった節がある。
この映画で興味深い場面が3つある。
1.バロン西こと西中佐が、捕らえられた米軍兵を抹殺しないで手当てをする場面
2.相手側に投降した日本兵の同士の会話で、ここでは食事が出るそうだと話し合う場面
3.2の日本兵を監視していた米軍兵が、夜通しの監視が面倒くさくなって日本兵を殺してしまう。その殺された姿を見て、日本軍下士官が「捕まえるとお前らもこうなるぞ」と言う場面

1.西中佐は乗馬の1932年ロスアンゼルスオリンピック金メダリストである。学習院初等科経由(鳩山、麻生の先輩)で東京府立一中経由(今の日比谷高:昭和40年代まで全国一の高校)の秀才であり、男爵である。国際感覚があり、ジュネーブ条約に基づいた扱いをしたのであろう。
2.日本では捕虜を虫けら扱いしたといわれている。米軍の捕虜たちにはろくなものは食べさせなかったのであろう。しかも、戦況悪化とともに何も食べていない日本軍兵にとっては、一瞬オアシスに見えたかもしれない。
3.とはいうものの全ての米兵がまともであるわけがない。面倒くさくなって捕虜を殺してしまうシーンが出る。それみたことかと日本の下士官たちが叫ぶ。玉砕するしかないよと。。。。 非常に微妙である。

デイヴィッドリーン監督「戦場にかける橋」の捕虜収容所の話を思い出した。アレックギネスと早川雪州との微妙な関係のなか、捕虜たちが日本軍に協力して、一緒に橋を作る話である。これは2次大戦開始間もないからこういうこともあったのかもしれない。

いずれにせよ、玉砕していった人たちのことを思うと悲しくなる。
幸せな時期に生まれて本当に良かった。

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続夕陽のガンマン  クリントイーストウッド

2009-03-02 21:21:54 | クリントイーストウッド
日本映画ばかりが続いた。
洋画を見ていないわけではないが、今ひとつ乗り気になれなかった。
そこでクリントイーストウッドの世紀の大傑作を見る。
イーストウッドは「いつもの声」で話す。ミリオンダラーベイビーでヒラリースワンクを後ろから指導している「あの声」と40年前も変わらず話す。そんな彼の声を聞くためにも吹き替えで見ることはありえない。

内容は話せないが、ラストシーンの緊張感
これは映画史上でもそうはないすごいシーンだ。

ここではイーストウッドは主役3人の内の一人である。映画の本題は「いい奴、悪い奴、汚い奴」(the good the bad the ugly)である。イーストウッドは「いい奴」だからといって、正義の見方ではない。悪さをたくらむ連中の一人である。

イーストウッドと「汚い奴」とはコンビを組んで金をせしめている。
「汚い奴」はお尋ね者で2000$の賞金が出ている。彼を狙って賞金稼ぎの連中が捕まえようとしている。捕まえようとする連中を横目にイーストウッドが捕らえる。捕らえて当局に出し賞金をもらう。その後公然の前で絞首刑にあう寸前にイーストウッドが助けて分け前を取り合うなんてことをしている。
「悪い奴」は依頼を受けて殺しを請け負う。しかし、金をもらったとたん依頼者を殺してしまうような奴
南軍の将校が20万$の金貨を持って逃げているいると聞きそれを追う。

いつものようにイーストウッドはコンビをくんで賞金を奪おうとしたときに、仲間割れをして「汚い奴」を僻地に置いてきぼりにする。しかし、しぶとい「汚い奴」はイーストウッドを見つけ復讐的に砂漠の中を引きずりまわす。
イーストウッドにとどめを撃つ寸前砂漠を走る馬車を見つける。馬車には負傷した南軍の兵士たちが乗っていた。
死にかけていた将校がポツリと金貨のありかの話をする。
「汚い奴」はある墓にあることを聞いたが、具体的な場所はイーストウッドが聞いてしまい殺せなくなる。
二人は墓のありかに向かう、その目前に軍勢が来る。南軍と思って近づくと北軍の兵士で捕らえられる。
捕虜の収容所にいくが、そこにいたのは北軍の刑務官として紛れ込んでいた「悪い奴」だった。。。。。

単なる西部劇ではなく、南北戦争の真っ最中という設定で、戦争シーンも含まれる。「戦場にかける橋」を思わせる木製の橋の爆破シーンもある。
160分を超える長編となっているが、お互いの対決の間合いの部分を丹念に撮っていく。アップの使い方が実にうまいし、間合いをとった画像が上手である。
セリフも粋である。人間には二種類あるで始まるセリフは少しずつ変えて反復されていく。コメディ的な笑いをそそる「汚い奴」の演技は抜群だ。

映画を見ている量では世界10本の指に入るといわれるタランティーノが自身のベスト10の中に入れている。確かに画像的に影響を受けるシーンは多いと思う。
私自身はイーストウッドの渋さにただ感嘆!!


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