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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

香港映画「私のプリンスエドワード」ステフィー・タン

2023-06-03 17:42:17 | 映画(アジア)
映画「私のプリンスエドワード」を映画館で観てきました。


映画「私のプリンスエドワード」は武蔵野館の新世代香港映画特集で「縁路はるばる」に引き続き観た。香港好きの自分としては、現代香港を撮ったこの映画を観ないわけにはいかない。「縁路はるばる」は自分の好みの作品であった。ここでは新鋭女性監督ノリス・ウォンによる偽装結婚も題材に加えた現代香港の結婚事情を覗き込む。

香港のプリンス・エドワード地区(太子)にある金都商場は、結婚式に必要なものすべてが格安で揃えられるショッピングモールだ。ウェディングショップで働くフォン(ステフィー・タン)は、ウェディングフォト専門店のオーナーであるエドワード(ジュー・パクホン)と同棲中。ある日、エドワードからプロポーズを受けたフォンだったが、実は10年前に中国大陸の男性と偽装結婚しており、その婚姻がまだ継続中であることが判明する。それでフォンは偽装結婚の離婚手続きと結婚式の準備を同時に進めるという話だ。


結婚式グッズが揃うショッピングモールで働く男女が、結婚に向かって準備している。でも、女性には大陸の男との偽装結婚の履歴があってそれを打ち消さねばならないという課題を解決せねばならないというわけだ。

現代香港の若者のウェディング事情がよくわかる。
主演のステフィータンを東京の街に放っても誰も中国人だとはわからないだろう。素敵な女性だ。広東語でまくしたてるといかにも気の強い香港人女性ぽくなる。相手役のジュー・パクホンはラブコメデイ的要素を意識させるお笑い系のキャラを持っている。その一方で、クールな主役女性のキャラクターがシリアスに見えてしまう。いかにも香港人女性監督による作品というのがよくわかる。香港人の気質を知っている自分からすると、全く不自然ではない。でも、コメディになりきれないのでのれない日本人もいるのでは?


⒈偽装結婚
主人公が何で偽装結婚しなければならなかったのか?という理由はよくわからない。実家を飛び出して1人暮らしをするためにお金がいるという。たしかに家賃が高い香港に住むのは大変だ。日本から移り住んだ日本人も大手企業の香港駐在員以外はほとんどルームシェアだ。

でも、ほんの少しのお金を得るために戸籍を汚すという心理がよくわからない。逆に大陸の中国人からすると香港の居住権が欲しい。実際にカネで偽装結婚した人がいるから映画の題材になったのであろう。自分には香港人の心理の方が意味不明といった感じがする。

結婚解消するために、偽装結婚した大陸に住む男性と交渉する過程や偽装結婚をそうでないと示す写真を撮ったりする場面に奇異な印象を持つ。相手が住む大陸の福州にまさに遠路はるばるバスで向かう。中国の知らない町を映し出すそれ自体はありがたい。


⒉マザコンの婚約者
女性監督がつくったというのが顕著に出るのは、男性側のマザコンぶりである。母親が結婚式の段取りを一気に仕切る。披露宴をやるつもりはなかったのに、母親が自分の友人を中心に招待客をかき集める。見栄っ張りだ。フィアンセ側があきれた顔をしても、母親が一気に突き進む.。母親の暴走を極端に強調する。いかにも姑を嫌う女性監督がつくったと思わせる構図だ。


実は香港のプリンスエドワード(太子)には行ったことがない。旺角(モンコック)の次の駅だ。今回の舞台の金都商場は典型的な香港の商店モールである。親しみをもつ。「縁路はるばる」の主演のお兄ちゃんがこの映画でも、エドワードのアシスタント役で出演していた。自分には「縁路はるばる」の方がよくできている映画だと感じる。
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香港映画「縁路はるばる」

2023-05-22 04:28:33 | 映画(アジア)
映画「縁路はるばる」を映画館で観てきました。


映画「縁路はるばる」は香港映画、IT系企業に勤める若き男性が、香港の中でも僻地に住む5人の女性と付き合うラブコメディである。新世代香港映画特集として観た。アモス・ウィー監督の作品だ。民主化デモ以来なかなか香港に行けていないので、こういったミニシアターの特集は現代香港を知る上でもありがたい作品だ。香港島や九龍の中心部が描かれることの多い香港映画では異色の存在で行ったことがないエリアだ。しかも、黒社会系ドンパチの類ではないし、民主化デモにも触れていない。変わりつつある辺境部を中心に現代香港の若者の偶像が見れてうれしい。


香港のIT系の企業につとめるハウ(カーキサム)は大学で情報工学を学んだ28才のいわゆるオタク系の社員だ。これまで2人の女性と付き合ったが、結局フラれてしまった。恋愛には自信がない。そんなハウにもモテ期が訪れて、美女5人と次々とデートをするチャンスに恵まれるという話だ。

香港好きの自分としては、心地よく観れた映画だった。
あえて、香港の中心部でなく、中心から約40km以上離れた中国本土との境や離島方面に女性たちが住んでいるという設定にする。沙頭角、下白泥、大澳、船灣荔枝窩、長洲、茶菓嶺という地名だ。香港には方々行った自分でもなじみは薄い。


その昔からすると、なくなりつつある村部エリアを舞台にする。緑あふれる山間部や海を見渡すなかなか貴重な映像だ。目の保養になる。ハイキングもできてしまう場所もある。島部といえば自分も南Y島には中環からフェリーで向かったことがある。海辺のオープンエアで食べる海鮮料理がおいしかった。最後に空港のあるランタオ島に近い長州島で締めくくるのはうれしい。


ハウはもともと女性と面と向かって会話するのも苦手な男性だ。ただ、香港ではエリートとされる香港中文大学を卒業して、IT系企業でそれなりの仕事はしている。同じような婚活をしている女性たちから見て、結婚相手としては悪くはない存在だろう。そんなハウが奥手ながら5人の女性とデートするようになる。会社の同僚、親友の結婚式の介添の女性、婚活アプリで知り合った女性、大学時代のマドンナや一緒にチームを組んだ仲間などである。以前から知っている女性からすると、空気みたいな存在だったのが一気に近づく。森山未來「モテキ」のような要素をもつ。


もしかして、日本の30前後の女性よりも香港の女の子の方が結婚願望が強いのではないかと思わせるセリフが目立つ。30までに子供が欲しいという女性もいる。積極的な女性が多い。女性には疎いハウも少しづつ修練を重ねていく。

日本でいうと、酒井法子のようなかわいいタイプの顔を香港人は好む。5人の女性はまさにそのタイプでいずれも美人揃いだ。性格的には気の強い女性が多い香港人そのものである。現代のIT気質を象徴するようなタッチで描く新しいタイプの香港映画が観れたのはうれしい。
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映画「セールスガールの考現学」

2023-04-30 17:30:21 | 映画(アジア)
映画「セールスガールの考現学」を映画館で観てきました。


映画「セールスガールの考現学」モンゴルのアダルトグッズ屋で働く大学生バイトに焦点をあてた作品である。モンゴルについては、行ったこともないしほとんど知識がない。共産国だと昔学校で習ったのが、ソ連崩壊とともに自由主義経済となっている。当然モンゴル映画は初めてだ。評判がまあまあなので、映画館に向かうとこれが大当たりだ。

大学で原子力を学ぶサロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)が友人が骨折をしたことで、代わりにアダルトグッズのショップでバイトすることになった。ショップののオーナーは怪しげなムードを持ったカティア(エンフトール・オィドブジャムツ)という謎めいた女性だけど、毎日売上を持っていくと色々と教えてくれる。イヤなことに遭って辞めようとしてもなだめられ続けていくという話である。それをコミカルタッチに描く。

これはむちゃくちゃおもしろかった。
主人公のサロールはごく普通の大学生で、大人のおもちゃを扱うといってもエロさはないかわいい女の子である。一昔前の薬師丸ひろ子にも似ている。世間一般でいうモンゴル人ぽい細目のルックスではなく、日本人の中に入ってもまったく違和感は感じないだろう。「パターソン」ジムジャームッシュ監督やフィンランドのアキカウリマスキ監督の作品がもつ朴訥なムードが流れる快作だ。

セールスガールというのは英語原題であるが、日本ではいわゆる外回りの営業に使う言葉である。ここでの彼女はいわゆるショップの「売り子」である。そう題名につけては元も子もないのかもしれない。

そんな女の子が一人で店番をするお店に、いろんな客が来店してきて数多くのエピソードが生まれる。巨根の「男根」を贈り物と言って求める女性や、顔を隠しながらあわててバイアグラを買いにくる男性など大勢くる。配達にも行く。ラブホテルにグッズを持っていき代金を授受する。ホテルで警察による売春の一斉摘発があり、配達で現場にいると他の売春婦とともに引っ張られる。すぐ釈放されて、もう辞めるというにも関わらずオーナーに慰留されて辞めない。


⒈考現学
原題にはない考現学なんてすごい言葉を題名に使う。今和次郎の「考現学入門」を読んだことあるけど、戦前の街の様子を調べた本だ。街を歩いている人の服装が和装か洋装か?とか歩いている人が職人か小僧か?とかを数字でカウントして統計的に今ある世相を調べていく。最近でいうフィールドワークの手法だ。

この女子学生がそのように学問的に調べているかというと違う。でも、アダルトグッズをどんな人が買いにくるのかなんてことは店員にならないと絶対にわからないだろう。別の意味で店に固定した定点観測になっている。


⒉モンゴルの街
現代モンゴルに関することはほとんど知らない。13世紀にモンゴル民族がアジアを制覇して、21世紀に大相撲を制覇したことくらいはわかる。大草原の中で固定的に居住せず遊牧民が生活するというイメージを持っていた。

ここで映る現代モンゴル(たぶんウランバートル)は都会だ。ビル群が建ち並び、道路では最新のクルマが走る。登場人物が住むアパートのキッチンや設備も新しいし広い部屋だ。(最近の日本映画に映るアパートの方が貧相だ。)オーナーの住居もリッチにできている。そんなに貧しそうな国には見えない。とは言え、大草原のシーンも一部用意されていた。小さい子供たちがサロールが乗る車に向かってキノコを売り込んでいた。まだまだ国としては発展途上かもしれない。


⒊ロシアの影響
映像に映る文字を観て、ロシア語みたいだと思った。調べてみると、どうやらアルファベット系は似たような文字を使っているようだ。ロシア革命以降、早い時期に共産化したモンゴルなので、文化的にもソ連の強い影響を受けていたのであろう。中国人とほぼ同じ顔立ちなのに漢字文化は映画を見る限りでは見当たらない

ショップのオーナーのカティアの家に行って食べる料理がピロシキとボルシチのロシア料理のようだと思ったら、主人公のサロールとカティアがロシア料理のレストランに行くシーンがある。そこで魚料理を食べて、カティアはロシア語でロシア人の客と会話する。すると、サロールが自分の父親がロシア語教師だったというセリフもある。ロシアとの関係は今でも強いようだ。

ロシア料理好きの自分からすると親近感を感じる。


⒋コミカルなエピソード(ネタバレなのでご注意)
エピソードが盛りだくさんだ。アダルトショップに大学の女性教員が現れて、サロールは一瞬驚くが後日「2人だけの秘密」プレゼントをあげるシーンがあったり、倦怠期のサロールの父親に更年期かと母親が心配しているので、父親のお茶にバイアグラを入れる。一転して元気になった父親と機嫌のいい母親が寝室に消えていくシーンなど満載だ。あらゆるエピソードにコミカルなムードを含ませる。

その中でも、観客の笑いを最も誘ったシーンがある。ラストに向けてサロールが男性の友人を自宅の自室に誘ってコトをいたそうとする時に男性が暴発するシーンだ。自分のような年寄りは約50年前だったら同じようなことがあったかもしれないとほくそ笑むのかもしれない。これには笑えた。
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映画「七人樂隊」

2022-10-22 10:41:20 | 映画(アジア)
映画「七人樂隊」を映画館で観てきました。

映画「七人樂隊」は香港の7人の映画監督が時代の片隅に埋もれているショートストーリーを描いた作品である。アクション映画の巨匠ジョニートーが全体をまとめる。1時間50分で7作なので、1本あたりは短い。1950年代から現代まで追っていく。短い短編小説を読んでいる感覚だ。香港好きの自分としては、非常に親しみの持てる作品が続く。7本もあると、何をどう書いて良いのか迷う。

1作目は50年代の中国のアクロバットな舞踏団のきびしい稽古、練習をサボると罰を受けて延々と逆立ちをやらされる話、


2作目は恩師だった校長先生と旧交を温めるときにやさしかった若くして亡くなった美人教師をしのぶ話、3作目は付き合っていた高校生のカップルが、女の子の家族が海外に移住する別れの前に自分たちの将来がないことで葛藤する話、


4作目は海外に移住した息子の娘が一時帰国して、むかしカンフーの達人だった祖父と孫娘がチグハグな交情を交わす話

この辺りまでが香港返還くらいまでの時期である。ビル群の上を飛行機が飛び交う啓徳空港がまだあったころの時代背景だ。猥雑な部分とコロニアル文化が混じった自分が大好きな90年代の香港だ。物価も安い上に円高でいい買い物ができた。2〜4作で出ている女性がみんなかわいい。特に2作目の美人教師がやさしそうで素敵だ。香港人好みの若手美人女優を集めた。


1作目では体操の選手を一斉に集めたようなバク転連発の曲芸のようなパフォーマンスがいかにも香港的、3作目で山口百恵のコスモスの中国語版が流れる。香港でも流行ったのかな?出演者のヘアルックスはいかにも80年代後半頃だ。4作目のハンバーガーを食べる孫娘と彼女のために蒸し魚を作ってあげるカンフーの達人とのアンバランスさがおもしろく見れる。自分はやっぱり広東料理の蒸し魚の方がいい。


1997年のチャールズ皇太子(現国王)が参列した香港返還のセレモニーがつい昨日のような気がしてくる。

5作目はマネーゲームに関心を持った男女3人が、株や不動産の価格の上げ下げを感じながらもゲームに加われずうまくのれない話、6作目は久々に海外から香港に帰郷した男が、以前あった場所に同じ建物がなく右往左往してしまう話、最後は精神病院の入院患者のやりとりだけど意味がよくわからなかった。


5作目で、株を買おうとしたら気がつくと株価があっという間に高騰していて買えず、どんどん上がっていた後で急落してあたふたする光景は株を買う人は誰もが経験するパターン、その後SARSでどんどん不動産の売り物がでて、叩き売りになった時に誰も買わないシーンもある。結局その時点から比較して今は8倍になっている皮肉の話だ。なかなかうまくいかないことをコメディタッチにしておもしろい。ジョニートーの作品だ。「奪命金」という相場に関わる人たちを描いた作品を思い出す。


6作目で名優サイモンヤムが演じる初老の男が、香港中環(セントラル)でフェリー乗り場の移転に戸惑い、以前建てた建物がなくあたふたする話を見て、しばらく行けていない香港に自分が行った時に大丈夫なんだろうか?とふと感じてしまう。自分の好きなジョニートー「スリ」で香港の街で悠々とスリをする姿を見せるサイモンヤムとは正反対なので思わず吹き出す。


あたふたしているうちに主人公が交通事故に遭ってしまう話と仲本工事の事件が妙にダブる。この作品をつくったリンゴラムは亡くなってしまう。
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映画「アメリカから来た少女」

2022-10-08 19:32:35 | 映画(アジア)
台湾映画「アメリカから来た少女」を映画館で観てきました。


映画「アメリカから来た少女」は台湾映画、母娘3人でアメリカから台湾に帰国した13歳の少女が母国の学校生活に慣れずに戸惑う生活を描いている。韓国映画はちどりが好きな人はこの映画を気にいるかもしれないというコメントを見て気になり早速映画館に向かう。主人公と同じような境遇でアメリカで育った女性監督ロアン・フォンイーがメガホンを持ち、台湾映画界の各種映画賞を受賞したようだ。

2003年冬、母と妹とロサンゼルスで暮らしていた13歳のファンイー(ケイトリン・ファン)は、母(カリーナ・ラム)が乳がんになったため、3人で台湾に戻ってきて父と暮らす。台北の中学に通い始めたファンイーは、アメリカとは違う学校生活になかなか馴染めない。母に対しファンイーは反抗的な態度を取り続ける。親子の溝が広がっていく話である。


流れているムードは静かである。
比較的平坦な映画である。細かい逸話をいくつも重ねていくが、起伏は小さい。ちょうどSARSが流行した時期で、ストーリーに少しだけ織り交ぜる。自由なアメリカでの学校生活に比較すると、規則でがんじがらめになり戸惑う少女の心の動きと周囲から冷たい目で見られる姿を描く。病気で苦悩する母親は女のイヤな部分をここぞとばかり見せつけるので、自分はちょっと苦手。女性の方が気持ちが同化しやすいかもしれない。

「はちどり」は主人公の他に、漢文塾の先生という魅力的な女性を登場させたので傑作というべきレベルになった。オーディションで選ばれたケイトリン・ファンの演技はすばらしいが、映画としては「はちどり」と比べるとちょっと弱い。


⒈台湾の学校生活と意外な側面
アメリカではAの数が多いので、主人公ファンイーはいわゆる台北の名門校に編入できた。幼なじみとも仲良くなれた。でも、校則で髪を切らねばならずガッカリ、漢文の授業は苦手だ。しかも、母親の精神状態が不安定で家庭内がバラバラだ。とても勉強できるムードにない。成績もわるい。ここで、漢文の授業で点数が発表されて成績のわるい人は立てと言われるが、ファンイーは立たない。そこで女教師に体罰を受ける。この時代でもまだ残っていたのかと驚く。

さすがに大人扱いを受けた自分の高校では体罰はなかったが、昭和40年代半ば過ぎだった公立中学時代は、当然の如く体罰の嵐だった。別に部活動ではない。課題の出来が悪いだけで、美術の教師はお尻を竹刀で叩いたし、英語の教師も小さな棒で叩いていた。体育の教師は生徒をしょっちゅう殴っていた。当然その当時の教員は体育の教員を除き戦前派で軍隊こそ行くかどうかの境目くらいで、旧制中学くらいまで行っていた。戦前の体罰は自分の時代よりもひどかっただろう。

台湾は戦前は日本が統治していた訳で、この体罰の習慣も日本人教師が持ち込んだのであろう。映画の学校の保護者会の場面で体罰を肯定する発言が親から出ていたのには驚く。
今はどうなっているのであろうか。


⒉旧式のインターネットとSARS
2003年ってついこの間のような気もするが、はや19年経つ。ネット時代に入っているが、携帯電話も旧式だし、インターネットは電話回線で立ち上がりに時間がかかる。それでも、ファンイーは一人でネットカフェに入り、台湾の学校生活は不自由だとアメリカの親友にメールして愚痴をこぼす。母との衝突をブログ記事にして、学校の先生にもバレてしまう。

自分もSARSのおかげで毎年のように遊びに行っていた香港に行けなかった。ここでは、妹に熱が出て学校行事に行けるかどうかの問題が最後のストーリーの詰めの題材になっていく。


ここでは、父親の発言が気になる。台湾だけでは商売が成り立たないので、大陸に長期出張して家を空けざるを得ない。そもそも、そういう事情で母親と娘2人がアメリカに行ったのだ。現状、台湾海峡をめぐる事情も徐々に緊迫している。台湾人は当然現状維持を望むだろうが、そうはさせないと試みる。でも、台湾のビジネス上では大陸の影響を大きく受けるというのがセリフからわかり複雑な気持ちになる。
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インド映画「スーパー30 アーナンド先生の教室」

2022-10-01 19:57:47 | 映画(アジア)
インド映画「スーパー30」を映画館で観てきました。


「スーパー30 」はインド映画、貧しい境遇で育った勉強好きの子を無料で教える塾の教師の物語だ。目標はインド工科大学入試合格だ。中国映画少年の君では大学受験が題材になっていて現代中国受験事情がつかめた。ゼロを発見して古代から数学に強いインドはどうなんだろう。以前観たインドの数学の天才ラマヌジャンを描いた奇跡がくれた数式はおもしろかった。興味を持って映画館に向かう。

数学に長けて、英国のケンブリッジ大学から留学を認める通知がきたアーナンド(リティク・ローシャン)なのに、渡航して暮らす就学資金を懸命に用立てようと試みたが難しく断念する。

結局、インド工科大学を目指す高額所得者層の子弟が通う予備校の経営者ラッラン(アーディティヤ・シュリーワースタウ)に拾われ、たちまちカリスマ人気講師となる。ところが、勉強好きなのに金がなく進学を断念する少年を路上で見て、無料で学べる塾を始める。恵まれない子たちを選抜で30人に絞り、インド工科大学を目指して勉強を始めるのだ。

もといた進学塾からはクレームがつき、徹底的に妨害されても運営していたが、金欠では塾の運営もうまくいかない話の展開だ。


十分楽しめた。
実話に基づいているとはいえ、オーバーな表現も目立つ。バックの音楽はうるさいくらい奏でられるので、嫌な人もいるかもしれない。しかも、インド映画だけに上映時間が長いのが気になっていた。途中でインターミッションの表示も出ていた。それでも最後まで飽きなかった

いきなり、1.618のフィボナッチ数が出てきて、数学や物理の専門的な用語も出てくるかと思ったらそうでもない。歌に踊りのインド映画の中に、「王の子どもは王じゃない。王になるのは能力のある者だ」と金言を交えて生徒たちを教育する姿を描く。ただ、90年代から2000年代にかけてのインドが、同じ時期の中国と比べてあらゆる面でここまで遅れていて非常に貧しいのは意外だった。中国に比べて市場経済導入が遅れた。社会主義経済が主軸の国の危うさだろう。

⒈制度がない
奇跡がくれた数式ラマヌジャンは有名なインドが生んだ数学の天才ラマヌジャンの物語で、ラマヌジャンの天才ぶりが認められケンブリッジ大学の教授から招聘されて英国に向かう。これって今から100年前の1914年の話である。それなのに、アーナンドは20世紀の最後の話なのに行けない。父親の年金の前借りをした上に、文部大臣が数学の賞の表彰式で渡航費用を持つと言ったことを信じていく気になっていたのがオジャンだ。

どこへ陳情に行っても行っても「制度がない」の一言だ。奨学金とかの制度がないということなのか?悲劇だ。これが今から50年くらい前ならともかくインドってやっぱり貧しかったんだなあ。ラマヌジャンはカースト制のバラモン階級だったのでその違いか?


⒉スパルタ教育とインド工科大学
インド工科大学がすごいというのはいろんな本に書いてあるし、卒業生のGoogle CEOのサンダー・ピチャイなどがIT系のトップにいることも知っている。でもそれだけ。恥ずかしながら、インド工科大学がインド各地にいくつもの校舎があることは知らなかった。競争率50〜100倍というのは半端じゃない。そう簡単には入れないね。数学の入試問題を初めて見てみた。数Ⅲ程度の証明って感じだけど、ネットでわかる範囲では一部だし、何題をどれくらいの時間で解かねばならないのかわからないのでなんとも言えない。難しいのは確かだ。

まずは30人を選ばねばならないのにテストする。そこで振り落とすわけだ。次点の子が自分も入れてくれとお願いにきても、アーナンドは入れない「入試とは一点の差が大きい。甘くない。来年またきてくれ」という。


インド工科大学に入るために塾で講義するといっても、知恵の出し方を塾で教えているという印象を受ける。最後に向けて、インド工科大学の入試に行けないように妨害されて、頭を使って対抗する場面がある。福山雅治のガリレオシリーズの物理的な思考という感じを持った。本当にこんなことあったの?という感じも持ったがまあインド映画だし、いいでしょう。


歌って踊って大はしゃぎの場面もある。
インド人って普段の生活でもこんなことしているのかな?と思ってしまう。
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映画「女神の継承」

2022-08-04 18:39:17 | 映画(アジア)
映画「女神の継承」を映画館で観てきました。


タイ映画「女神の継承」は韓国のナ・ホンジンが原案を書き、プロデューサーに加わっている作品である。ナ・ホンジンといえば、「チェイサー」でわれわれの度肝を抜き、「哀しき獣」「コクソン」とクライムサスペンスの傑作を続けて世に出した名監督だ。

「女神の継承」はナ・ホンジン監督コクソンで描いたシャーマンの世界の延長上にあるようだ。「コクソン」では名優ファン・ジョンミンが祈祷師を演じて、人智を超えた何かに取り憑かれる世界を描いてわれわれを恐怖に陥れた。これは観るしかないと映画館に向かう。想像以上に観客は多い


タイの山奥の村落にいる祈祷師一族にスポットをあて、ドキュメンタリー映画っぽい展開で進む。一族の1人ミンという普通の女性が突然何かに取り憑かれるように狂い出す。周囲が解脱させようと懸命に試みるというストーリー展開だ。


正直自分には合わない映画だった。
クライムサスペンスのタッチはなく、どちらかというと実録ドキュメンタリーホラーTVのようなものだ。連想したのは「エクソシスト」である。主演のリンダブレアが緑色の嘔吐物を吐き出したシーンが衝撃的だった。自分が観たのは中学生の時だったけど、主役のミンが見せる狂気の姿は「エクソシスト」のエッセンスをかなり含んでいると感じる。今回のタイの監督バンジョン・ピサヤタナクーンはかなり意識したのではなかろうか?


一連のナ・ホンジンの映画は先を読ませないストーリーと予想外の展開に毎回驚かされた。でもこれはちょっと違う。ただ、気が狂っている女性を追うだけで物語の性質をあまり持たない。これでもかと次から次に凄いシーンをみせてくれる。でも、それだけなんだよなあ。悪霊に取り憑かれるミンは、白目をむいて発狂している姿を見せる。これが演技だとするとすごい。
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映画「blue island 憂鬱の島(香港)」

2022-07-17 05:16:11 | 映画(アジア)
映画「blue island 憂鬱の島(香港)」を映画館で観てきました。


2007年から映画を観るたびに、ノートに作品名を書いている。実は、記録した本数がついに3000本まで達した。大台に近づくにつれ、どの作品にしようかと思っていた。結局、大好きな香港に関する映画が公開されるので、これは好都合と記念の作品にしてしまう。3000に向かう気持ちは別の機会に雑感を書くことにする。

「Blue island 憂鬱之島」香港では公開されない香港在民たちの苦楽を描いたドキュメンタリーだ。途中では、若手俳優たちによる再現フィルム劇が挿入されている。正直、2019年からの民主化デモだけを取り上げるレポート的作品であれば、観にいかなかった。「香港デモ史」的な要素を持ち、文化大革命あたりからの反体制運動を描いているドキュメンタリーフィルムも織り込まれているとのことで関心を持つ。


1967年の六七運動、1989年の天安門事件にかかわる同胞支持のデモの話に加えて、2019年から2020年にかけて日本のTVでも随分と報道された民主化運動にかかわる話が中心だ。予想を超える感動は特にはない。こんなもんだろう。大好きな香港の見慣れた風景が出てきて、慌ただしくせわしない香港在民たちの動静を見ているだけで十分満足できる。

⒈ヴィクトリアハーバーで泳ぐ陳さん
文化大革命の頃に海を泳いで香港に来たという陳克治さんはなんと、毎日のように九龍サイドと香港島の間のヴィクトリアハーバーで泳ぐという。軽い準備運動をした後に、海パン姿で、優雅に泳ぐシーンには驚く。決してきれいな水とはいえないところだ。嵐の日も泳ぐ「007は2度死ぬ」ショーンコネリーが一旦姿を消したあの海だ。


陳さんは当時英国領だった香港に、中国から山を越えて妻と2人で逃げ込んだ。それを再現フィルムで、若手俳優が演じる。ともに香港返還がなされた後に生まれた俳優だ。このシーンを観て、「ラストエンペラー」ジョン・ローン主演で日本映画として香港で撮った「チャイナシャドー」を思い出した。香港のマスコミ界で活躍している黒幕のジョンローンが、中国本土から海を渡って香港に来たという設定だ。中国本土から脱出する似たようなシーンがある。「チャイナシャドー」では毛沢東が死んだ1976年に国境を越えているが、陳さんは1973年に渡っている。


当時の中国では1968年以降高校を卒業したら、産業の根幹である農業をやるために農村に行かねばならなかったそうだ。16日の日本経済新聞に中国の大学生の就職内定率が47%で、24歳までの若者の失業率が19%であるという記事があった。驚いた。大学進学率が58%で、一学年の大学卒業生がなんと1000万人以上だという。

日本は人口減少という問題を抱えている。でも、いまだ就職は売り手市場である。20代の安倍元首相支持率が高いことを不思議がる人がいるが、民主党政権時代の就職氷河期を連想する若者がアベノミクスによる雇用の回復を支持するのは当然だろう。リベラルという名で金儲けしているエセ知識人や駅で共◯党のビラを配っている赤ババアにはわかるまい。

⒉六七運動と天安門事件
六七運動という英国統治に対する反旗をあげた運動が1967年にあったのは知らなかった。文化大革命に影響された左派香港人が、中国のことは中国に任せろとばかりに大騒ぎをしたようだが、本土の中共は手助けをしなかったという。当時活動した人物が登場したけど、2019年のデモに関しては無関心を装っている。

1989年天安門事件の時には、北京での民主化運動を中国共産党が強行に鎮圧したのは歴史上有名な話だ。その時も、同胞として香港の運動家たちが支持したという。結局、2019年からの民主化運動も共産党政府にデモを鎮圧され、騒乱に対しては法令改正で強硬に取り締まるようになった。


映画によれば、文化大革命で20万人が本土から香港に移り住み、今回の民主化運動の顛末で9万人が去ったという。もっとも、中国返還が決まった時に、カナダなどに移住した人も多かったはずだ。個人的には、デモは自己満足と思っているクチで周囲に迷惑をかける騒乱は意味はないと思っている。鎮圧は当然だろう。

ただ、1997年の英国から中国への返還の趣旨からすると、中国共産党による高圧的な一党支配でなく、もっと香港在民に自由をという気持ちはものすごくよくわかる。世界中でもっとも自由経済がうまくいっていると言われる香港である。その自由にメスが入れば、シンガポールあたりに移住してしまう人が増えるだろう。良き時代の香港の自由が失われていくことを個人的には残念に思う。

平成になった後で、大学の同期が転勤で香港に行くことになり、そのあと初めて香港へ行ったのが香港好きになったきっかけだ。猥雑な街の雰囲気なのに、植民地文化の英国テイストが織り混ざる洗練された部分がある。しかも、食事のおいしさにぶったまげた。当時は今よりずっと安かった。こんなにおもしろいところはないと毎年のように通った。民主化運動のデモやコロナの影響で行けないのが残念で仕方ない。あの雑踏に身を任せたい。また行きたい。
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映画「英雄の証明」アスガー・ファルハディ

2022-04-04 21:36:26 | 映画(アジア)
映画「英雄の証明」を映画館で観てきました。


イラン映画「英雄の証明」アカデミー賞国際映画賞を2度受賞したアスガー・ファルハディ監督の作品である。ハイレベルの2021年カンヌ映画祭で2位にあたるグランプリを受賞している。善意の出来事で称賛を浴びた主人公が、SNSにアップした悪い情報で転落するという映画という情報だけで観に行く。

イランといえばイスラムシーア派の国で、イラン革命以来アメリカと政治的な争いを続けている。映画とは無縁に見えるが、レベルは高く、日本でも次々と公開されている。アスガルハーディー監督の「別離」は傑作の誉れが高いものの、自分には合わなかった。民族としての考え方にギャップを感じた。それでも、先日公開されたイラン映画白い牛のバラッド刺激的で重厚感のある傑作だと感じた。これで3作連続で2021年カンヌ映画祭の上位作品を観ることになる。

借金未払いの罪で収監されている男が、一時的出所の際に金貨をひろう。それを換金せずに、届け出た持ち主に返すのがネット上で美談とされマスコミの取材を受ける。ところが、これはでっち上げというのがSNSに投稿され拡散して立場を失うという話だ。


傑作とされるが、自分にはよくわからない映画だった。
これから観に行く人には、事前情報で予習することを勧めたい。おそらく2回目を観ると、もう少し情報があってディテールまで馴染むのであろう。でも、情報が少ないままに映画がスタートして、登場人物、特にヴェールをかぶっている女性の見分けがつかず、主人公が徐々に転落していくのはわかっても、理解度が弱く内容がつかめないままに最終場面を迎える始末だ。

普通は事前情報が少ない方が楽しめる。サスペンス仕立ては特にそうだ。この映画はイランの国に行ったことのある人などの現地生活や建物、宗教、風習などいろんなことに精通している方がたやすく理解できる映画だと思う。「別離」同様自分には理解しづらい映画だった。


ただ、驚いたのは、イランでネット文化が進んでいるということ。独裁国で言論統制されている国はもっといろんな情報が遮断されているかと思った。イスラムというだけで団結して国家の支持率も高く、反逆も少ないのであろう。もしかして、ネットにプアな高齢者が多い日本の方が遅れていたりして?

⒈主人公の転落を招く行動
借金のことが会話に出てくるが、そもそも主人公は何か刑事罰でも起こしたのかと思った。この男の罪は借金にまつわる話らしい。イランで借金未返済での刑務所暮らしの罰があると知らないと、映画に馴染めない。でも、何でそんなに多額の借金をしてしまったのかは映画では語られていない。

主人公は元妻と離婚している。吃ってうまく話せない息子がいて、姉家族に同居してもらっている。その元妻の兄貴に多額の借金がある。一部返済できそうになっても、満額返済でないとダメだと言われている。そんなやりとりの後で、SNSに悪い噂がupされる。てっきりこの兄貴のせいだと思い、小突いてしまうのだ。


あくまで一時的な出所なのに、暴力を振るってしまうなんて理性のあるふつうの人間だったら、耐えるところだ。それが難しいのだ。多額の借金といい、この暴力といい、我慢することができない主人公のダメさを見せる映画である。なので、感情移入する要素は少ない。自業自得という言葉しか浮かばない。

⒉ウソに包まれた言い訳
この金貨は自分がひろったわけではない。いまの恋人がひろったものなのだ。そこから始まって、嘘で固めているわけで、これも同情の余地がない。この映画で大きな対立軸は、カネを借金している元妻の兄との葛藤と仕事に就こうとして申請した管理官との葛藤だ。何をどう言っても、職を斡旋する管理官は納得しない。ふつうだったら、こういう妨害で主人公に同情がいきそうだけど、ウソに包まれた主人公には嫌悪感しか感じない。


イラン版ダメ男物語といったところかもしれない。もう少しマシな映画かと思ったけど、そうでもなかった。2021年カンヌ映画祭ではドライブマイカーが脚本賞を受賞している。パルムドールのチタンは激しすぎ、監督賞のアネットはストーリーが中途半端、そしてこの「英雄の証明」だ。自分にとってのパルムドールは「ドライブマイカーだな。
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映画「白い牛のバラッド」マリヤム・モガッダム

2022-02-19 20:02:10 | 映画(アジア)
映画「白い牛のバラッド」を映画館で観てきました。


映画「白い牛のバラッド」イラン映画、日本で公開される作品はいずれもレベルが高い。予告編で冤罪で死刑執行された男の未亡人の物語だというのはわかっていた。 マリヤム・モガッダム、ベタシュ・サナイハの共同監督マリヤム・モガッダムが主演の未亡人を演じる。

殺人犯で死刑となった夫を亡くして、聴覚に障害のある娘と2人で暮らすシングルマザーのミナの元に裁判所から真犯人が捕まったという報告が来る。賠償金がもらえることになる。その後、夫から金を借りたというレザが現れ、住居の移転先を斡旋してくれたり親切にしてくれる。しかし、レザにはミナに告白していない秘密があったという話である。


おもしろいとは到底言えない重い映画である。
サスペンス的な要素もあり、ストーリーの先行きが常に気になる緊迫感がある展開で飽きない映像の構図は上質できれい。類似するパターンのいくつかの映画が思い浮かぶが、今回のような設定は初めて観る。イスラム教や古代メソポタミアの倫理観が影響している感を持った。

⒈金銭的に困窮する主人公
テヘランの牛乳工場で働きながら耳の聞こえない幼い娘ビタを育てるミナは、賃料も滞納して、生活も困窮している。遺族年金をわずかしかもらえない。娘も学校になじんでいない。そんな時に裁判所に呼ばれる。


夫ババクの殺人容疑裁判の証人になった2人のうちの1人が真犯人とわかったのだ。すでに死刑は執行されており、夫はこの世にいない。賠償金をくれるというが、裁判所当局の判事に怒りがこみ上げる。映画が始まって早い時間に冤罪だったということがわかる。この映画は冤罪を証明するという内容でないことがわかる。

⒉突然訪ねてくる夫の友人
突然、未亡人ミナのもとへ1人の男性が尋ねてくる。予告編で男性が訪問するシーンがある。これって真犯人なのかな?と観る前に想像していた。実際には、真犯人が分かっているので尋ねてくるわけがない。夫ババクの友人だという男性レザは夫から多額のお金を借りているという。あれ?詐欺師かな?と思ったら、普通にそのお金を返す。しかも、ミナと娘に親切にしてくれるのだ。


日本の倫理観と違うのか、イスラム教の考えなのか?男性が訪ねて来て部屋に入ったのを見たというだけで大家から追い出されることになる。部屋探しで不動産屋を回っても、未亡人は受け入れてくれないことが多い。途方に暮れているミナにレザは安い賃料で借りられる部屋を紹介するのだ。レザに助けられるのだ。

こういうシーンがある一方で、レザがミナに夫の無罪を説明した裁判官と2人であっているシーンが映る。いったい何者なんだろう?

⒊高倉健の唐獅子牡丹
高倉健の任侠映画ってわりと似たような設定になることが多い。昔はヤクザだったけど、今は出所して堅気なんてパターンは「夜叉」や「冬の華」など何度もある。その「冬の華」に類似しているのが、主題歌があまりにも有名な「唐獅子牡丹」である。三田佳子との共演だが、三田佳子演じる組の姐さんの亭主を義理の世界でやむなく殺したのが、高倉健で刑務所から出てきて名乗らずに姐さんと子どもをかわいがるという設定だ。映画を観ながらアナロジーを感じる。


⒋主人公の変化
親切にしてくれるレザは夫が亡くなった後に神が授けてくれた人だと思うようになる。聴力のない唖の娘もレザと一緒に映画を観たりしている。レザの顔を見るミナの表情が変化していく。心臓発作を起こしたレザに渾身の看病をする。いなくてはならない人になる心境の変化をマリヤム・モガッダムが巧みに演じる。


しかし、観客であるわれわれはレザがどういう人物かを知っている。いったいどんな結末にもっていくのか?おそらく観客の誰もがそう思っていたところで、最終転換を迎える。

イスラム教の教義の影響もあるのだろうか?と思いながら、最終局面を眺めていた。いや、高校の世界史で習った古代メソポタミア文明のハンムラビ法典だと思いつつ、日本と違った強い遺伝子がイラン人にあるのかなと感じていた。
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映画「クレッシェンド 音楽の架け橋」

2022-02-10 05:47:12 | 映画(アジア)
映画「クレッシェンド 音楽の架け橋」を映画館で観てきました。


クレッシェンドは10代の頃からイスラエルを絡めた中東情勢に関心を持っており、観てみたいと思っていた作品である。アラブ対ユダヤという根深い対立状態にある両人種からドイツ人指揮者が音楽好きを集めて合同でコンサートを開こうとする話である。

予想ほどにはいい映画ではないが、後半盛り上がる。
一方的なユダヤとアラブの対立の構図に、恋物語を混ぜた設定は悪くはないが、あまりにユダヤ人女性がおかしな行動をとるのに呆れてしまったことで点数が急降下してしまった。ちょっと不自然すぎる。音楽に関する内容は悪くはない。曲の選択もよく、最後に向けての盛り上がりはまさにクレッシェンドといえる。


世界的指揮者のスポルク(ペーター・シモニシェック)は、紛争中のパレスチナとイスラエルから若者たちを集めてオーケストラを編成しコンサートを開くという企画を引き受ける。ユダヤ人、アラブ人両方の若者が家族の反対や軍の検問を乗り越えオーディションに参加した。スポルクが人種にこだわらずに演奏する姿を隠して選抜し、20名あまりの精鋭メンバーが選ばれる。しかし、お互いの憎しみは強く予想通り激しくぶつかり合ってしまうのだ。そこでスポルクは彼らをスイス南チロルでの合宿に連れ出し、コンサートのための準備を始めるのであるが。。。


いきなり検問所が出てきて、イスラエルの近代的都市テルアビブに行くために、アラブ人の演奏家たちがイチャモンつけられるシーンが出てくる。陸でつながっていても、許可書がなければ入れない。しかも、オーディションに参加することを家中が賛成しているわけではない。

そんなエピソードを並べ立てて、ユダヤとアラブの対立を浮き彫りにする。それでも何とか融合を目指そうとするところに映画の意義があるわけではあるが。

⒈中学生で習ったユダヤとアラブの対立
自分が中学生の頃、社会科の先生がユダヤとアラブの対立に関して語ってくれたことがあった。ユダヤ人が突然訪ねてきて、ここは自分たちが2000年前に住んでいたところなので戻してくれと言って、アラブの人たちを追い出した。そのためにアラブ人たちはテントで流浪のキャンプ生活を送っていると。

ユダヤ人がこの地に来たことを、同じようにこの映画でもアラブ系の人たちは言っている。

みんなの家に突然大昔に住んでいた人が訪ねてきて、昔住んでいたのでどいてくださいといったらどうする?え!そうなんだ。今から50年ほど前の講義だけど、鮮明に覚えている。当時、一世を風靡したマクドナルド社長藤田田が「ユダヤ人の商法」という本を書いてベストセラーになる。商売上手のユダヤ人というのは中学生の自分にはすごい存在に見えた。

自分の高校では地理を高校1年で学んだ。毎週の授業は課題を基にした生徒の発表であった。中学時代に社会科の先生から聞いた言葉が気になり、自分はイスラエルにおけるシオニズムの研究を課題に選んだ。紀元前からスタートして、第一次大戦時のシオニズムやイスラエル建国、中東戦争を題材に選んだ。その流れはその後も続いて、中東情勢に関する本を読むようになった。ユダヤ人陰謀説はどれもこれも気になって仕方なかった。

大学でイスラム史の先生が娘の指導教授だったのも何かの縁かもしれない。

⒉ドイツ人指揮者
名高い指揮者がユダヤ人とアラブ人の混合オーケストラの企画にのった。ドイツ人指揮者スポルクである。スポルクの父親はナチスの強制収容所で医師をやっていたという。まさしく戦犯の1人だ。イタリア経由で南米に逃亡を企て、移動途中に射殺された。まさに南米に逃亡してしばらく経って捕まったアイヒマンの話も出てくる。アイヒマン裁判は「ハンナアーレント」でも取り上げられた。古くはアルフレッドヒッチコックの映画「汚名」でもナチスの残党の話が出てくる。

アラブ対ユダヤの構図もあるけど、ナチス対ユダヤの構図もある。指揮者自体も何かの標的になっている。怖い世界があるのだ。


⒊ラベルのボレロ(ネタバレ注意)
オーケストラでのアラブとユダヤの争いは絶えない。それでも、ドイツ人指揮者の指導で、何とかコンサート開催にこぎ着けそうになってくる。リハーサルでは、ヴィヴァルディ「四季」の冬が演奏される。2020年の傑作「燃ゆる女の肖像」のラストで「四季」の冬が流れた時、思わず背筋に電流が流れた。感動的なシーンだった。それを思い出したせいか、この映画でも同じようにゾクゾクした。

この延長でいいコンサートが見れるのかと思ったら、思いがけない展開となる。さみしいなあと思ったときに登場するのがラベルのボレロだ。この曲は個別のいくつかの楽器で次々と主旋律を流して、それがいくつか続いた後徐々に他の楽器が加わるまさしくクレッシェンドの展開となる。映画にも時間制限もあるので簡略化するが、ここでこの曲を選択したのは大正解である。さすがに盛り上げるいいシーンだった。
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映画「ジャッリカットゥ 牛の怒り」

2021-08-03 20:52:07 | 映画(アジア)
映画「ジャッリカットゥ 牛の怒り」を映画館で観てきました。

インド映画でちょっと変わった映画があるらしい。逃げ出した水牛が暴走するという。インド映画にしては珍しく90分でまとめている。しかも、牛ってインド人普通は食べないよね。好奇心で観に行ってみる。


登場人物が多く、しかもみんな同じに見える。誰が誰だかよくわからない。登場人物は殆どが男だ。スピーディーに見えるけど、割と緩慢。気がつくとウトウト寝てしまう。途中意味がわからないことも多い。もっと早く水牛を射殺すれば済むものをと思ってしまうが、部族的なオキテがあるんだろうか?

解説を見て初めて恋人を取り合った同士で大げんかとわかるが、よくわからない。最後に向けてはもっと不可思議な状態である。人の数が急増する。村にこんなに人っていたっけか?人口多い国だから、沢山いてもおかしくないが、なんじゃこれ?ここまで来ると、宗教的何かがあるんじゃないかと思う。こうなるとちょっとお手上げだ。

舞台は、南インド・ケーララ州最奥のジャングルに位置するとある村。さえない肉屋の男アントニが一頭の水牛を屠ろうと鉈を振ると、命の危機を察した牛は怒り狂い、全速力で脱走する。暴走機関車と化した暴れ牛は、村の商店を破壊し、タピオカ畑を踏み荒らす。アントニは恋心を寄せるソフィに愛想を尽かされ、自分の手で牛を捕まえて汚名を返上しようと奮闘する。村中は大パニック。


一方、かつて密売の罪で村を追放された荒くれ者クッタッチャンが呼び戻されるが、猟銃を携えた彼は、かつてソフィをめぐっていがみあい、自分を密告したアントニを恨んでいた。やがて牛追い騒動が、いつしか人間同士の醜い争いへと大きくなっていく…。(作品情報 引用)

日本でも、ヘビが逃げたと先日大騒ぎ。結局見つかったけど、それのインド風水牛探しか。でも、水牛の方が見つかりやすいでしょう。これってどうなの?と思うのにブログアップしてしまう。自分にはちょっと合わなかった。備忘録もたまには必要
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映画「夕霧花園」 リー・シンジエ&阿部寛

2021-07-25 21:29:44 | 映画(アジア)
映画「夕霧花園」を映画館で観てきました。


映画「夕霧花園」は予告編でアジアンテイストの映像に阿部寛が登場しているのが気になっていた作品だ。早速足が向かう。マレーシアが舞台で、戦前戦後、そして80年代と3つの世代にわたって今は裁判官になった1人の女性を中心に描いていく。日本占領時代や戦後英国統治時代の共産系ゲリラの独立運動も絡めた歴史的な要素を含むストーリーの流れは、日本庭園や刺青の本質に踏み込み、奥が深い。

若き日の主人公ユンリンをマレーシアの女優リーシンジエ(アンジェリカ・リー)が演じ、60代になった主人公を台湾のベテラン女優シルビア・チャンが受け持つ。そして、阿部寛は日本人庭師で主人公と恋に落ちる役柄だ。

監督のトム・リンの作品は初めてであるが、緑多いマレーシアの中でのしっとりとした映像は自分にとっては居心地が良いムードである。音楽も映像に合っているし、丹念に映像コンテを考えているのも感じられる。エンディングロールに流れる曲が素晴らしく終了まで席を立てなかった。

1980年代、女性として初めて裁判官に抜擢され、マレーシア連邦判事を目指すユンリン(シルビア・チャン)は、キャメロン高原に久々来訪し旧知のフレドリックと再会した時に、その昔日本庭園のことを学ぶために日本人庭師中村有朋と出会ったときの日々を回想する。


1951年、皇室御用達の庭師だったという中村有朋(阿部寛)は、キャメロン高原で「夕霧花園」という日本庭園をつくっている。そこへユンリン(リーシンジエ)が天龍寺の庭を意識した日本庭園を作って欲しいという依頼で訪れた。亡くなった妹が京都に行ったことがあり、気に入っていたのだ。有朋はすぐさま断ったが、粘るユンリンに今造っている庭園を造ったあとなら、引き受けてもいいと応諾する。すると、有朋はしばらくここで手伝わないかとユンリンに言うと、「夕霧花園」の下職とともに造園作業に携わるようになる。


ユンリンは日本軍のマレー占領末期に日本軍の強制労働の収容所に妹とともに駆り出されていた。その際、姉妹ともども兵士たちにむごい仕打ちを受けたこともあった。しかも、終戦となる際に妹は不幸な事故で亡くなってしまうのだ。それもあってか妹の思いを実現したいと思ってきたのだ。

やがて、ユンリンは造園工事を手伝いはじめると、有朋とユンリンとの関係は芸術性を求める有朋の凝り性で、重い石を何度も動かす繰り返しでギクシャクしていた。しかし、いくつかのきっかけで徐々に縮まっていくのであるが。。。

1.マレーの虎 山下奉文
1941年12月世界大戦で宣戦布告した直後に、あっという間に英国領マラヤ(当時)を占領した山下奉文大将の活躍はあまりにも有名である。ここでは、山下率いる日本軍が獲得した財宝をマレーシアに隠しているという伝説にあやかって、ストーリーを組み立てる。戦後英国からの独立を図るマレーシアの共産ゲリラが、山下大将が隠した財宝のありかを有朋が知っていると追求するシーンがある。


実はシンガポール陥落させてマレー半島を占領した山下大将は翌1942年初頭に満州方面に異動になっている。そして、終戦時はフィリピン戦線を指揮していた。終戦に至る事情は山下大将の部下だった元陸軍参謀堀栄三氏による名著「大本営参謀の情報戦記」にも書いてあるし、財宝伝説はむしろフィリピンでマレーの地にそのまま埋めたという話はちょっと違うんじゃないかなと思うけど、まあ突っ込みすぎる必要はないでしょう。

2.マレーシア
2015年の秋に出張で首都クアラルンプールに行ったことがある。高層ビルが建ち並び、近代都市という感じがしてその発展ぶりに正直驚いた。日本からもディベロッパーが進出してマンションを造っている。マレー料理は普通、シンガポールは明らかに日本より物価が高いと感じたが、クアラルンプールは日本と同じ程度だった。
2015年の時撮ったもの↓


ヴェールをかぶっているマレー人女性が多く目立つが、華人でもかぶっている人もいる。イスラム国家だ。ショッピングモールにはイスラムの礼拝スペースがある。郊外にあるシリコンバレーのようなIT都市にも行ったけど、至るところでイオンの進出がやけに目立った。熱帯ムードが強い沢木耕太郎の小説「深夜特急」に出てくるエリアまでは行っていないので、ちゃんと評価することはできないが、清潔で近代的な国である。

3.阿部寛とアジアンビューティー
阿部寛の英語はあまりうまくはない。そもそも、この時代に英語がうまい日本人なんている訳がないと思うので、別に不自然ではない。しかし、当時の日本人としては、あり得ないほどの長身である。どういう経緯で彼を起用したのか。とはいうものの、好演だと思う。落ち着きがあり、日本伝統の仕事をしている風格もある。


あまたある古書に囲まれ、障子のある窓から外を眺めながら指示して、この場から最もよく見える庭園の美を追求するという。ただ、映画では最後まで日本庭園の庭は完成しない。こればかりは、マレーシアの田舎に日本の庭師が行って仕事するってわけにはいかないから仕方ないでしょう。


主人公の若いころを演じるリー・シンジエはしっとりしたアジアンビューティーである。自分が観たことある作品にも出ていたようだが、記憶にない。シルビアチャンは香港映画ではずいぶん活躍していた。でも、さすがに年をとった。ジャ・ジャンクー監督「山河ノスタルジアで、少年に恋されるおばさん役を演じていた。これはいくら何でも不自然な設定だと思った。さすがベテランだけあって、この映画では安定感がある演技を見せる。2人とも背中に刺青を入れるシーンがある。これは大変だったんじゃないかな。


映画を通じて、日本の右翼が見たら怒りかねない日本軍兵士によるむごいシーンもあるが、末梢神経を刺激するほどではない。ブログ開設4800日目深い緑の映像を目で追い、安らかな音楽を聴きながら映画を観る楽しみを堪能できる優雅な時間が過ごせた。
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ベトナム映画「走れロム」

2021-07-12 22:23:24 | 映画(アジア)
ベトナム映画「走れロム」を映画館で観てきました。


走れロムは2019年のベトナム映画だ。新鋭チャンタンフィ監督の作品で、プロデューサーにはこのブログでも何度も取り上げた「夏至」や「ノルウェイの森」のトラン・アン・ユンが名を連ねているので、早速観に行く。ベトナムの労働者層が大好きな闇くじ(デー)を扱う孤児の少年ロム(チャン・アン・コア)が下層社会でのたうち回る姿を描いている。原題は「ROM」で、「走れ」と入るのはこの映画を見ればよくわかる。最初から最後までずっと走り回る少年である。

映画は80分に簡潔にまとめている。釜山の映画祭で賞を受賞した後で、国家当局の検閲を受けていないということでいくつかのシーンがカットされたという。映像ではこの闇くじについて、何度か説明がある。でも、一回見ただけでは、理解しづらい部分もある。それでも、ベトナムの下層社会のバクチ好きがよくわかる。日本に当てはめると阿佐田哲也の「麻雀放浪記」の時代に属する昭和20年代の下層社会のレベルといった感じかなあ。いずれも規範を逸脱した世界である。その世界を生きるために疾走する少年を見るのもなかなか面白いものだ。


⒈闇くじ(デー)
政府公認の毎日発行する正規のくじがある。その当選番号の下二桁を当てるというのだ。普通のくじを購入すればいいのにとも思うが、一般の労働者たちは皆カネがない。ツケで借金して購入するのだ。きっと金貸しと博打の胴元両方で裏社会の資金源になっているのであろう。そして、借金が積み上がってニッチもサッチもいかない人が山ほどいる。自殺者も出るくらいだ。

映画の解説によると、胴元が仕切り、賭け屋が運営し、走り屋が繋いでいる。ロムは予想屋兼賭け屋への取次だ。自分の棲家である小屋裏部屋でこじつけて数字を考えて、集合住宅の住人たちの賭けを誘う。当たれば、ご祝儀をもらえるが、外れたら責められて殴られる。そんな毎日だ。きっと胴元は優雅な生活を送っているのであろう。バクチはテラ銭を取る胴元が1番儲けるのは万国共通の真理だ。賭け屋がいる掘立て小屋がドブ川を隔てた反対側の岸にあって、イカダというには貧相な乗り物でロムは取り次ぐために向かう。ロムは泳げないから、決死の仕事だ。


日本で言うヤクザが運営する競馬、競輪などのノミヤはあらかじめ当たったオッズはわかっているけど、これはわからないらしい。映画を見ているだけでは配当の仕組みがよく理解できない。こんな闇くじによく賭けるなあと思うけど、ハマったら逃れられないようだ。ある意味かわいそう。

⒉ホーチミン市(サイゴン)
ベトナム独立の立役者ホーチミンの名前をとって1976年からホーチミン市になっている。自分より上の世代は60年代半ばにベトナム戦争の戦況がTVで放送されていたので、サイゴンの地名にはより馴染みがあるだろう。
以下↓2015年に行ったときの写真


2015年の秋に自分は東南アジアに向かい最初にホーチミン市から入った。深夜に到着したが、空港から中心部にあるホテルまで、どの商店も空いていて、店の前に人々がたむろっているのが印象的だ。傀儡政権というべき旧南ベトナム政府はサイゴンに政府を置いていた。官邸を見学したが、地下に戦況を把握する防空壕のようなものがあった。旧サイゴンということで、アメリカのベトナム帰還兵が観光でずいぶんと来るらしい。


街には高層ビルが立ち並ぶ。社会主義政権とはいえ、市場主義経済である。中国同様一国資本主義の強みを生かして経済は成長基調を保つ。結局こうなるならアメリカもムキにならなくてもよかったのに。自分もサイゴン川が見渡せる高級ホテルの天井高が3メートルを超える部屋に泊まった。


三階建分譲住宅を見たが、天井高がどの階も3メートルあって驚いた。日本の住宅では斜線と高さ制限でよほど敷地が広くないと不可能である。

コンビニだけの感覚では物価は日本より安い。街を歩くと、至る所にバイクが連なっている。誰も彼もがせっかちだ。このパワーには圧倒される。でも、この少年は走るだけ。そういえば何才というセリフはなかった。バイクの免許が取得できないくらいの年頃だろうか。


⒊ライバルの少年フック
ロムと同じように、闇クジを取り次いでいるフックという少年がいる。バク転とかすいすいとやってしまう。でも、ヤクザ映画を見るかの如くに、敵と思ったら味方のようになり、気がつくと取っ組み合いの大げんかをしている。この辺りの2人の心境は良くわからない。


ある時、ロムが絶妙の思いつきで数字を閃き、さて賭け金を集めようとしたら、フックに邪魔をされ監禁された。集合住宅の住民はロムがいないので仕方なくフックがカネを集めて賭け屋に行ったけど、締め切りを過ぎていた。いつもの集合住宅ではそのラッキーナンバー41が出て大騒ぎだ。ところが、戻って間に合わなかったとなったものだから袋叩きだ。

フックは博打場にも足を踏み入れる。「裏金融」を本職とする男にビリヤードで大負け、カネを返せないとなると1日当たり20%の異常利息をつけられる。こんな感じでみんな地獄に落ちていくんだなというのを映像を次から次へと映し出す。


日本も公認カジノをつくらないかどうかと横浜市長選挙の論戦のポイントになっている。個人的には公認バクチとしないから裏が生まれると思ってしまう。ベトナムの闇くじのようなデタラメな博打が横行する。アメリカの禁酒法のようなもので、禁じると裏で地下マネーが動く。それよりも正規の金が動くようにした方がいいんじゃない。日本も先日危うく禁酒法設定まがいになり損なったけど。
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映画「1秒先の彼女」

2021-06-27 17:13:26 | 映画(アジア)
映画「1秒先の彼女」を映画館で観てきました。


台湾映画「1秒先の彼女」の評判がいい。台湾で賞をとりまくったようだ。原題:消失的情人節、英題:My Missing Valentine、ラブコメディだという知識だけで映画館に向かう。主人公のプロフィルを簡潔に映像で紹介する序盤戦は、テンポ良くスタートする。恋のチャンスに恵まれない30才の女性がひょんなきっかけで知り合った男と七夕バレンタインを過ごそうと意気込んでいたら、ふと目を覚ますと時計の針は1日先を示している。しかも、顔は日焼けしている。いったい何があったのかと空白の手がかりを探すという話である。

終わってみて、ようやく基調は純愛ラブコメディだということがわかる。いきなり、主人公が警察に昨日の出来事を教えてよと交番に駆け込むシーンを映す。


何で日に焼けているのかもわからない。これってどういうこと?と思っていると、中盤戦でファンタジーの手法を使っていることもわかる。それが不自然すぎると、非現実すぎてちょっと引いてしまう。でも、それぞれのキャラクターに惹かれるものがあってむしろ引き込まれる。

台湾映画独特の優しさと笑いを誘うコミカルなタッチが、非常に心地よい。現代台北の街中だけでなく、田舎の海岸線が美しい町を映して視覚的にも楽しめる。


末梢神経を刺激するような荒々しい動きもなく、最後まで快適な時間を過ごせた。自分は1人で見たが、カップルで映画を見るのにはここ最近では1番のおすすめだといえよう。


郵便局で働くシャオチー(リー・ペイユー)は、仕事も恋もパッとしないアラサー女子。何をするにもワンテンポ早い彼女は、写真撮影では必ず目をつむってしまい、映画を観て笑うタイミングも人より早い。ある日、ハンサムなダンス講師(ダンカン・チョウ)とバレンタインにデートの約束をするも、目覚めるとなぜか翌日に。バレンタインが消えてしまった?


消えた1日の行方を探しはじめるシャオチー。見覚えのない自分の写真、「038」と書かれた私書箱の鍵、失踪した父親の思い出…謎は一層深まるばかり。どうやら、毎日郵便局にやってくる、人よりワンテンポ遅いバスの運転手・グアタイ(リウ・グァンティン)も手がかりを握っているらしい。そして、そんな彼にはある大きな「秘密」があったー。 (作品情報 引用)

⒈リーペイユーとシャオチーの恋
主人公を演じるリーペイユー「学力の経済学」を書いた慶應義塾の中室牧子教授に人相がそっくりである。以前企業グループの講演会で講義を聞いたことがあった。1クラスの人数を減らしても経済学的に効果は出ないなんて、最近の論調と違う教育に関するお話を思いっきり早口で話していた。この映画の主人公がせっかちだというのに妙に通じて思わず笑ってしまう。
リーペイユー↓


中室教授↓


街の公園でダンス教室をやっていて、良かったら一緒にやってみませんかと言われ加わると、講師に誘われてしまう。郵便局の窓口に何度も訪ねて来たりして、ようやく七夕バレンタインを一緒に過ごせる人が現れるという展開だ。このダンス教室の講師、ラグビーの五郎丸選手に似ていて、五郎丸と中室教授の恋かな?と思っていたら、突如空白の1日ができて、相手の行方も含めて訳がわからなくなるのだ。

郵便局の窓口対応が主人公の仕事である。向こうでは「郵局」の二文字だ。窓口には隣に美貌の若い女の子と反対の隣にハイミスのベテラン女性がいるけど、いずれハイミスと同じような身になってしまうのかと恐れている。やっとの思いで恋を掴みきったように見えたが。。。ここで郵便局員という設定にしたのは最後に向けて生きてくる。


⒉純愛
シャオチーが窓口にいると、封書に貼る切手だけを買いにくる1人の男性がいる。何かあるな?と思っているど、主人公シャオチーの恋は進む。でも、突如空白の1日がすぎて、郵便局に出社する。すると、いつものようにこの男性が切手を購入しにくる。でも、目の周辺に殴られたような跡がある。どうしたんだろう。


ストーリーの序盤から中盤にかけて、少しだけ触れていく。でも、この男性こそがストーリーのキーになるのである。この男グアタイは何をやるのにも動きが一歩遅い。せっかちで常に誰よりもテンポが速い動きをするシャオチーの真逆だ。ある意味、主人公は男女それぞれいるということなのだ。シャオチーの恋の物語の裏で同時進行で動いている話があったのだ。それを徐々に語っていく。このあたりをまとめる編集の力にも恐れ入った。

絶対に会えない人まで登場させる その話に情感がこもる。しかも、悲愛に思えた話に最後に向けて光を与える。そして、ビージーズが歌うジョークでエンディングクレジットを迎える。素敵な終わり方である。
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