映画「少年の君」を映画館で観てきました。
オリンピックの開幕を前にして、開会式の音楽担当に関する過去のいじめ経験がマスコミにクローズアップされている。「少年の君」は中国の高校におけるいじめが題材になっている。同時に中国の受験生模様も描かれる。本を読んで厳しい受験生事情は知ってはいたが、こうやって映像で見るのは初めてだ。香港の名優エリック・ツァンの息子デレク・ツァンの監督作品である。
同級生からいじめにあっている受験を前にした進学校の高校生が、ひょんなきっかけで裏社会に足を突っ込むチンピラ少年としりあう。自分を守ってもらうように頼むが事態が悪化してしまう顛末である。現代中国の受験事情を描くと同時に、裏社会につながる黒い部分にもスポットを当てているので、単純な青春ものとは違うテイストがある。ノーヘルで2人乗りバイクで仲良く街を疾走する映像は素敵だ。ただ甘酸っぱい恋愛ではない。
ストーリーの行き先には目が離せない面白さはある。ただ、韓国クライムサスペンスでも感じるんだけど、こんな女子高校生が暗い夜道を歩くのかなあという素朴な疑問だ。ちょっと出来過ぎの気もするけど、現代中国を知るにはいい作品だ。
2011年の中国、高校生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)は、進学校で名門大学を目指して勉強に励んでいる。「全国統一大学入試(=高考)」が近づいているある日、同級生の少女がクラスメイトからのいじめを苦に、飛び降り自殺で命を絶った。
校庭で死体に寄り添っていたのをみて、チェンはいじめグループの次の標的となってしまう。チェンは母親が出稼ぎ中で、1人住まいだった。下校途中、1人の少年シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)がリンチをくらっているのを見て通報する。急場を救ったことをきっかけに親しくなる。シャオペイはチンピラグループの一員だった。
その後も、チェンへのいじめは止まらず、我慢した末に警察に連絡をする。それを受けていじめグループは停学にはなるが、まったく反省の余地がなく、仕返ししてくる。そこでチェンはショオペイの掘っ立て小屋の棲家に逃げ込む。ショオペイはいじめから救うためにボディガードを買って出るのであるが。。。
⒈家庭に恵まれない女の子チェン
コンクリートの公営アパートと思しきところに住んでいる。シングルマザーの母親は出稼ぎと称して娘を1人置いて化粧品の販売に携わっている。客から肌が荒れたというクレームを受けているようだ。(この映像を見ていると、日本における中国人の化粧品爆買いの意味がなんとなくわかる)借金取りが自宅に押し寄せている。金を返せという張り紙がアパートに貼ってあり、それを目ざとく見つけたいじめグループがSNSで撒き散らす。
世間をだましだまし生き抜いてきたであろう母親がいたので、なんとか金がかかりそうな進学校に通っていたのであろう。それでも、大学に入れば、今より良い水準の生活ができるからと、懸命に勉強している健気な女子高校生だ。
自殺したいじめられっ子からは「助け」を求められたが、結局何もできなかった。その思いで、死体に近寄っただけだ。故人と親しいのかと思われて、警察に事情徴収を受けたが、何もしゃべっていない。それでも、いじめグループは何かチクったのではと思い、次の標的にされる。気の毒だ。
⒉中国進学校事情
映画によると、中国における大学入試共通テストには全国で923万人受けているという。(日本は48万人、中国は約20倍近くだ)ここで映る進学校は共学であるが、学校内の熱気がちがう。このイメージは、日本で言えば名門中学を目指す塾で「合格!」に向けてのシュプレヒコールを叫んでいるかの如くだ。むしろ、日本のレベルの高い進学校の生徒はもっと冷めているし自由だ。そういえば、この間日本でいちばんの女子高で自殺があったと報道されていた。
生徒のパフォーマンスにはいくつかあれ!?と思うシーンはある。それぞれの生徒の机の上にテキスト、教科書?らしきものが乱雑に積まれている映像が印象的だった。試験の不出来で教室の席順もかわる。みんながガツガツ勉強しているイメージである。
でも、受験を控えている進学校の生徒にいじめにうつつを抜かすヒマってあるのかしら?という疑問は残る。話が出来過ぎというのはその部分である。
⒊全国統一大学入試(=高考)
いじめを受けたりするが、チェンは共通テストを受験する。そこには作文がある。課題に対して、先生がヤマを張るなんて言葉があるが、記述式である。日本の新共通テストでは、採点に難ありとマスコミに非難され記述式は中止になった。
1300年もの間科挙という官僚登用試験のあった中国には作文というのは欠かせないものなのであろうか?アジアの大学ランキングでは常に中国は上位にランクされる。ますます日本と中国及び香港、シンガポールとの学力レベル差が大きくなるのではないかと感じる。
⒋学歴と能力
自分が敬意を払う社会学者である本田由紀東大教授「教育は何を評価してきたのか」によれば、
努力:努力する人が恵まれる。能力:知的能力や技能のある人が報われる。教育:給与を決めるとき教育や研修を受けた年数の長さ、日本では能力、努力、教育の順となっている。(本田「教育は何を評価してきたのか」p41)日本以外の国(特に欧米先進国)では教育歴が給与に反映されるべきだとする。(同 p42)日本では学歴は能力を反映しないという見方が強い。(同 p47)
この日本の考え方に反するつもりはない。諸外国において大学を出るという意味が日本における戦前の旧制帝国大学を出るくらいの意味を持っているのかもしれない。
上海市の正社員の給与昇給率は14%以上だ。20%以上もある。初任給が日本企業より少なかったとしても30歳になる頃には,日本の給料を追い越している場合も少なくない。(中島恵「中国人のお金の使い道 」p37)アリババファーウェイといった中国を代表する有名IT企業であれば初任給は手取りで2万元約300,000円だった。入社3年目で3.6万元約540,000円にアップしている。(同 p40)
上記のような記述からも日中の違いが良くわかる。いずれにしてもこれらの給料もらう人が大卒なのは間違いない。
⒋パクリという説については
そもそもこの手の話は似通っているものだ。演歌の節回しがどれも似通っているのと同じであろう。東野圭吾の作品からとったというパクリ説もある。良いとこどりはあっても、パクリではない。韓国映画で連想すると、高校生がむごい目に合う「母なる復讐」や不良と子供の友情を描いた「アジョシ」なんて映画を思い浮かぶ。中国映画というより、陰湿な韓国映画で良く描かれたパターンなのかもしれない。まあ、何かしらかぶるものだ。
この映画は重慶でロケされたという。坂道と階段が多い。いずれも映画と相性が良い。何処なのかなと考えていた。猥雑なダウンタウンから高層ビルが立ち並ぶ現代的な中国に急激に変わりつつあるその姿を見るだけでも価値があるんじゃなかろうか?
オリンピックの開幕を前にして、開会式の音楽担当に関する過去のいじめ経験がマスコミにクローズアップされている。「少年の君」は中国の高校におけるいじめが題材になっている。同時に中国の受験生模様も描かれる。本を読んで厳しい受験生事情は知ってはいたが、こうやって映像で見るのは初めてだ。香港の名優エリック・ツァンの息子デレク・ツァンの監督作品である。
同級生からいじめにあっている受験を前にした進学校の高校生が、ひょんなきっかけで裏社会に足を突っ込むチンピラ少年としりあう。自分を守ってもらうように頼むが事態が悪化してしまう顛末である。現代中国の受験事情を描くと同時に、裏社会につながる黒い部分にもスポットを当てているので、単純な青春ものとは違うテイストがある。ノーヘルで2人乗りバイクで仲良く街を疾走する映像は素敵だ。ただ甘酸っぱい恋愛ではない。
ストーリーの行き先には目が離せない面白さはある。ただ、韓国クライムサスペンスでも感じるんだけど、こんな女子高校生が暗い夜道を歩くのかなあという素朴な疑問だ。ちょっと出来過ぎの気もするけど、現代中国を知るにはいい作品だ。
2011年の中国、高校生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)は、進学校で名門大学を目指して勉強に励んでいる。「全国統一大学入試(=高考)」が近づいているある日、同級生の少女がクラスメイトからのいじめを苦に、飛び降り自殺で命を絶った。
校庭で死体に寄り添っていたのをみて、チェンはいじめグループの次の標的となってしまう。チェンは母親が出稼ぎ中で、1人住まいだった。下校途中、1人の少年シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)がリンチをくらっているのを見て通報する。急場を救ったことをきっかけに親しくなる。シャオペイはチンピラグループの一員だった。
その後も、チェンへのいじめは止まらず、我慢した末に警察に連絡をする。それを受けていじめグループは停学にはなるが、まったく反省の余地がなく、仕返ししてくる。そこでチェンはショオペイの掘っ立て小屋の棲家に逃げ込む。ショオペイはいじめから救うためにボディガードを買って出るのであるが。。。
⒈家庭に恵まれない女の子チェン
コンクリートの公営アパートと思しきところに住んでいる。シングルマザーの母親は出稼ぎと称して娘を1人置いて化粧品の販売に携わっている。客から肌が荒れたというクレームを受けているようだ。(この映像を見ていると、日本における中国人の化粧品爆買いの意味がなんとなくわかる)借金取りが自宅に押し寄せている。金を返せという張り紙がアパートに貼ってあり、それを目ざとく見つけたいじめグループがSNSで撒き散らす。
世間をだましだまし生き抜いてきたであろう母親がいたので、なんとか金がかかりそうな進学校に通っていたのであろう。それでも、大学に入れば、今より良い水準の生活ができるからと、懸命に勉強している健気な女子高校生だ。
自殺したいじめられっ子からは「助け」を求められたが、結局何もできなかった。その思いで、死体に近寄っただけだ。故人と親しいのかと思われて、警察に事情徴収を受けたが、何もしゃべっていない。それでも、いじめグループは何かチクったのではと思い、次の標的にされる。気の毒だ。
⒉中国進学校事情
映画によると、中国における大学入試共通テストには全国で923万人受けているという。(日本は48万人、中国は約20倍近くだ)ここで映る進学校は共学であるが、学校内の熱気がちがう。このイメージは、日本で言えば名門中学を目指す塾で「合格!」に向けてのシュプレヒコールを叫んでいるかの如くだ。むしろ、日本のレベルの高い進学校の生徒はもっと冷めているし自由だ。そういえば、この間日本でいちばんの女子高で自殺があったと報道されていた。
生徒のパフォーマンスにはいくつかあれ!?と思うシーンはある。それぞれの生徒の机の上にテキスト、教科書?らしきものが乱雑に積まれている映像が印象的だった。試験の不出来で教室の席順もかわる。みんながガツガツ勉強しているイメージである。
でも、受験を控えている進学校の生徒にいじめにうつつを抜かすヒマってあるのかしら?という疑問は残る。話が出来過ぎというのはその部分である。
⒊全国統一大学入試(=高考)
いじめを受けたりするが、チェンは共通テストを受験する。そこには作文がある。課題に対して、先生がヤマを張るなんて言葉があるが、記述式である。日本の新共通テストでは、採点に難ありとマスコミに非難され記述式は中止になった。
1300年もの間科挙という官僚登用試験のあった中国には作文というのは欠かせないものなのであろうか?アジアの大学ランキングでは常に中国は上位にランクされる。ますます日本と中国及び香港、シンガポールとの学力レベル差が大きくなるのではないかと感じる。
⒋学歴と能力
自分が敬意を払う社会学者である本田由紀東大教授「教育は何を評価してきたのか」によれば、
努力:努力する人が恵まれる。能力:知的能力や技能のある人が報われる。教育:給与を決めるとき教育や研修を受けた年数の長さ、日本では能力、努力、教育の順となっている。(本田「教育は何を評価してきたのか」p41)日本以外の国(特に欧米先進国)では教育歴が給与に反映されるべきだとする。(同 p42)日本では学歴は能力を反映しないという見方が強い。(同 p47)
この日本の考え方に反するつもりはない。諸外国において大学を出るという意味が日本における戦前の旧制帝国大学を出るくらいの意味を持っているのかもしれない。
上海市の正社員の給与昇給率は14%以上だ。20%以上もある。初任給が日本企業より少なかったとしても30歳になる頃には,日本の給料を追い越している場合も少なくない。(中島恵「中国人のお金の使い道 」p37)アリババファーウェイといった中国を代表する有名IT企業であれば初任給は手取りで2万元約300,000円だった。入社3年目で3.6万元約540,000円にアップしている。(同 p40)
上記のような記述からも日中の違いが良くわかる。いずれにしてもこれらの給料もらう人が大卒なのは間違いない。
⒋パクリという説については
そもそもこの手の話は似通っているものだ。演歌の節回しがどれも似通っているのと同じであろう。東野圭吾の作品からとったというパクリ説もある。良いとこどりはあっても、パクリではない。韓国映画で連想すると、高校生がむごい目に合う「母なる復讐」や不良と子供の友情を描いた「アジョシ」なんて映画を思い浮かぶ。中国映画というより、陰湿な韓国映画で良く描かれたパターンなのかもしれない。まあ、何かしらかぶるものだ。
この映画は重慶でロケされたという。坂道と階段が多い。いずれも映画と相性が良い。何処なのかなと考えていた。猥雑なダウンタウンから高層ビルが立ち並ぶ現代的な中国に急激に変わりつつあるその姿を見るだけでも価値があるんじゃなかろうか?