Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“障がい者(障害者)”とフーコー

2013-08-16 17:24:48 | 日記

★ 父親の職業が養護学校教員であったことから(いまはもう養護学校という呼称は存在せず、特別支援学校に代ってしまったようだ)、私が幼いころの家には、そこの学生さんたち(高校生と卒業生)がよくやってきた。私は障がい学について疎く、また父親が関係者であった事情もあり、その方面の勉強やボランティアを意図的に遠ざけていた部分があるので、彼ら/彼女らがいかなる障がいをもっていたのか、いまもってよくわからない。

★ ときおり家にやってくる、肩から手の生えているお兄さん、顔が半分潰れているようにみえるお姉さん、大人のようなのに背丈が自分よりちょっと高いだけの年齢不詳のひと、総じて顔をくしゃくしゃにして何かをうめいているこうした学生さんたちを前にして、幼少時の私が感じたのは、人間にはいろいろな種類があるのだな、世の中には実に多種多様なひとがいるのだなということ、ただそれだけであった。彼ら/彼女らがこの世界に存在することに、何の不思議さも感じず、何の違和感もなかった。

★ もちろん幼かったために偏見がなかっただけだ、といってしまえばそれまでのことだろう。だがフーコーを読むたびに、私は、そういえば自分が子供のころには、いろいろな種類のひとたちが家にきていたな、ということをおもいおこす。そしてフーコーが書いていたものは、直接的にではなくとも、彼ら/彼女らに向けてであり、そして彼ら/彼女らと一緒にいる自分たちに向けてでもあるのではないかと考えてしまう。フーコーが人間の分類学を試みたということは、そして人間の彼方を構想したということは、そういう部分を含んでいるのではないか。

★ さらにいえばフーコーは、彼ら/彼女らは、正常とされる人間たちと、連続的で同じひとびとであるということを、近代個人主義的平等概念に「逆らい」ながら、あるいはそれのもつヨーロッパ中心主義を「相対化」しながら試み、彼ら/彼女らの肯定されるべきモンスター性をひきたてたのではないか。それは、社会的な正常性において「こちら側」と考えがちな「われわれ」なるものが、いつも彼ら/彼女らとともに成りたっていることを明らかにする作業以外の何ものでもないだろう。

<檜垣立哉『フーコー講義』“あとがき”(河出ブックス2010)>







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