Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

生きるのに必要な最小のもの

2011-04-23 09:52:34 | 日記


今度の“震災と事故”で、ぼくが信じられなくなったのは、“信じる”という言葉である。

たしかに、“信じる”という言葉が、“信じられない”というのは、とても不安なことであり、不快なことである。

つまり、ぼくだって、ネガティブなことよりも、ポジティブなことを“信じたい”。

ネガティブな認識に“覚醒して”も、あんまり気持ちよいということは、ない。

そこで、“生きるのに必要な最小のもの”のリストというようなことを考える。

ぼくが若かった頃、読んだ『調書』という本の最初で、海辺の別荘地の家にもぐりこんだ、“ヒッピー”のような主人公が、“必要なもの”を紙切れに記入した;

モク
ビール
チョコレート
食うもの

新聞 もし
できたら少し
見て歩く


まあこれは、フランス(たぶんニース)のことであった。

時代が変わって、たとえばぼくは、“このパソコン”を必要としている。

しかし、“このパソコン”は、本当に必要だろうか?と思うのだ。
このパソコンは必要でない、という“結論”が得られたのでは、ない。

もちろん、上記のような(ぼくの)記述を読んだ人が、“このひとは(悪い意味で)文学的なドリーマーなんだ”と思うのは、自由である(つまり“正しい”)

しかし、ぼくには“文庫本”が必要である。

戦後(すなわち日本の敗戦後に生まれ)、ある年月が経過して、“ぼくに”良かったことは、文庫本の活字が大きくなったことであるような気がする。

良くないことは、ぼくの好きな本が、“すべて”文庫本になってはいないことだ。
たとえば、上記引用のル・クレジオ『調書』が、新潮文庫に入っていない。

もし、ひとつのカバンだけを持って逃げるなら、本は、文庫本数冊だけしか持てない。
もちろん、“本”を選ばない(持たない)ひとも、(当然)、いる。

しかし、中上健次の『熊野集』と『紀州』、ビュトールの『時間割』、オンダーチェの『イギリス人の患者』なら、文庫本で持ち出せる。


もちろん、ここでも、ぼくは自分の選択を、主張していない。
選択するのは、あなたである。

(つまり“本以外”を選択するのは、“あなた”である)


さて、今日の引用、昨夜読み終わった短編連作集より;

★ 車の窓からその川を見た時、彼は思った。
古座川の水は、車に乗った彼の眼からでも、海の潮が逆流し、脹れているのが分った。それがいつの時なのか分らなかった。それが夢なのか現実なのか、それともよく人がやるように記憶を合成したのかも判別つかなかった。彼はまだ小さかった。彼の下の娘と同じくらいの齢だった。古座で生まれ、十五の齢まで育ったが、気の強い母は、よほどの事がないと古座には帰らなかった。だが、彼のその記憶の中で月明かりの夜、母は川につかっていた。その川は底がスリバチ型になっているため、誰も泳ぐ者はないと、後で彼は知ったのだった。船がすぐそばにあった。
母が川につかって彼の名を呼んだ。
「ここへ来てみいよ、きれいな魚おる」
その声を彼は記憶していた。

★ 男らの集まるところ、春をひさぐ女は必ずいた。
椿の花が咲いていた。その花よりも、潮風が崖の下から吹きあがり、島の斜面に沿って密生した灌木の枝や葉の揺れるのが、彼には、まばゆかった。枝や葉がふるえ、揺れるたびに、一本一本、一枚一枚に当たった日が、下にこぼれ落ちている。彼にはそう見えた。海はその茂みの下から、串本へも古座へも広がっていた。町並みの向こうに、山々が重なっているのが見えた。ぼうっと白く日にかすんで見えた。日はここも、あそこも万遍なく照らしていた。

<中上健次“神坐(かみくら)”―『化粧』(講談社文芸文庫1993)>



中上健次は、“土着”だろうか、“世界性”だろうか。

むしろ、川、海、山々、そして町並みがある。
草、花、木、枝々がある。
風がおこり、日が散乱する。

そして土地の名がある、たとえば“古座”。

以上のこのブログにおいても、“土地の名”は呼び交わしている。

“古座”-“ニース”-“マンチェスター”-“南カイロ”

“路地”

ここに引用されていない土地、“シャティーラ”を思い浮かべても、よい。

“土地”に着く人々がいる。
“土地”を追われる人々がいる。

ぼく自身は、この“人生=LIFE”で、多くの土地を転々としてきた。
ぼくの“家系”は、東北であり、ぼくは仙台に暮らしたことがあるが、記憶はない。
すでに、記憶なき時から、ぼくはさ迷った。

母との暮らし、そして自分の所帯となってからも、引越しを重ねた。
自分が生まれた土地、の記憶はない。

そして、生活の基盤ではなく、訪れた土地もあった、単身赴任した土地もあった。
現実でなく、映画で、読書で、音楽で、体験した土地があった(“ネヴァ川!カリフォルニア!ベルリン!ニューヨーク!パリ-テキサス!アラキス!ツバメの谷!”……)

そこでも、その街でも、その荒野でも、日差しは散乱していた。
あるいは、街路に雨が降り、木々の葉を濡らした。

テレビで、“私の家に帰りたい”と泣く老婆を見た。

誰も、彼女を責めることはできない。

しかし、ぼくたちは、自分の土地に固着するわけではない。

生きるのに必要な最小なもの。




* 画像はニューヨーク・タイムズによる






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2 コメント

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Unknown (つちや)
2011-04-26 08:49:20
 地震の起きた3月11日の昼、私は常備薬を忘れたことに気づきながらもバスに乗り、駅へと向かいました。そして駅ビルの本屋さんで地震に遭い、震える足で非常階段を降りて外へ出ました。たくさんの人が一緒でしたが、皆とても静かでした。
 小さな粒の薬のおかげで動ける私。私の場合は、何はなくともまずは薬なんですよね。
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Unknown (warmgun)
2011-04-26 22:21:57
つちや さま

そうですね、ぼくも妻を見ているので。

このブログ、このごろますますコメントをつけにくい雰囲気(笑)だとおもいますが、ありがとう。

なんかぼくも、ますます自分だけに向かって書いているんです。

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