このところ加藤周一の『夕陽妄語 第一輯』を読んでいる。
『夕陽妄語』は1984年から朝日新聞に月1回のペースで連載された(たぶん2006年まで)
その第一輯は1984年7月から1987年12月まで。
この1984年~1987年の年月、自分がどのように生きて、世の中とかかわっていたかを思い出す(思い出せるなら!)のもいいだろう(まだ生まれてなかったひとは、自分の親の時代を想像せよ)
たしかに、政治の話題などでは、ああそんなこともあったなぁ、だがもはや(現在とは)カンケーない、と思うことも多いだろう(当時の“政治家”が中曽根とレーガンだったとか)
これを読んでいて、時代は変わったと思うことも、時代はさっぱり変わらなかったと思うこともできる、あるいは加藤周一の状況認識が、ある種の“予言”と感じられることもある、その一例;
★ 日本の新国家主義が将来どういう方向へ発展するかは、それが国際化とどういう風に係わるかによって決まるにちがいない。経済の国際化が、心情の領域にも及べば、新国家主義が狭量で破壊的な「イデオロギー」に結晶する可能性は、少ないだろう。しかし経済の合理主義が国家主義的心情と矛盾したまま結びつけば、――そういうことは経済危機を前提としなければあり得ないだろうが――破壊的な狂信主義を生みだすかもしれない。
★ 年の暮れに、私は一年をふり返って、そういうことを考えた。やがて街には、あの恐るべき「ジングル・ベル」が鳴りひびき始めるだろう。「テレビ」の報道番組には、にこにこ笑う、うれしそうな顔の女が出てきて、幼稚園で何がおこったか、動物園で何がどうなったか、という話をする。週刊雑誌は、どこの店で何を食べるとうまいか、うまいものをつくるにはどういう料理法があるか、というようなことを、微に入り細を穿って書く。まるで「メディア」が全力を挙げて、日本国には何の問題もなく、万事がうまくいっていて、めでたい、めでたいとくり返しているかのようである。もし私が中米の国から帰ってきたばかりでないとすれば、私自身もそういう気になるのかもしれないが・・・。
(1986/12/19)
<加藤周一『夕陽妄語 第一輯』(朝日選書1997)>
以上は今年書かれた文章ではない、ほぼ25年前である(笑)、この引用文での“将来”とは“現在”のことである。
“街”は変わったろうか?
“テレビ”や“週刊雑誌”などの“メディア”は変わっただろうか?
“WEB(蜘蛛の巣)”は政治を動かすのだろうか!
もっと“紙に印刷された言葉”をていねいに読む必要はないのだろうか?
<追記>
ぼくがここで言いたいのは、“加藤周一”がすぐれた思想家(先見の明があるとか)ということではない。
その時代に書かれた言説は、その時代の“現在”であり、その時代に予測されたことは“現在”(=この現在、2012/12/06)にとっていかなる意味を持ちうるかということ。
それは、あらゆる“本”が、新刊書でない限り、次々と“昔の本”になっていくという単純な事実による。
すなわち、“過去の本(書かれたもの)”を、この現在においていかにして読むのか(そこから“意味”をくみとるのか、それが現在にとって有意義であるために)
もちろんこの“過去”は、宇宙史とか地球史とか生命史とか人類史とか世界史とか日本史とかで、ありうる。
あるいは、“近代史”とか“現代史”とか“戦後史”とか“同時代史”でもありうる。
ぼくの場合、たまたま生まれたのが1946年なので、“戦後史”が同時代史である。
その戦後という時代に、いかなる言葉が書かれたのか、に注目せざるをえない。
戦後と同じ時間を生きなかったひと(もっとあとで生まれたひと)にとっても、“目の前にあるもの”の背後を知るためには、この60余年に書かれたものを参照することは必須であると思われる(このことはもっと昔に書かれた“いわゆる古典”を排除しない)
しかし“すべて”を読むわけにはいかないから、たとえば、加藤周一、見田宗介(真木悠介)、辺見庸、藤原新也というようなひとを、“ならべて”読んでみるのも、ひとつの選択だと思う(これらの人々にも歴史はすでにある)
もちろん“目の前にいるひと”から選択し、あなたがなにを読もうと勝手である。
<追記B>
たとえば見田宗介も1985年~1986年に朝日新聞に論壇時評を書いている。
これをまとめたものが『白いお城と花咲く野原』(なんというタイトル!)として朝日新聞社から出ている、さらに講談社学術文庫『現代日本の感覚と思想』の第2部に全48回中28篇がおさめられている、最近刊行の『著作集』にも入っているだろうがぼくは未確認)
タイトルにもなった時評“白いお城と花咲く野原”は1986年7月29日の日付をもっている、その書き出しはその年の『ユリイカ』7月号で今泉文子が引用しているブレヒトの“反民話(あるいはメタ・メルヘン)”の再引用である;
★ 《 むかしはるかなメルヘンの国にひとりの王子様がいました。王子様はいつも花咲く野原に寝ころんで、輝く露台のあるまっ白なお城を夢見ていました。やがて王子様は王位について白いお城に住むようになり、こんどは花咲く野原を夢見るようになりました 》
つまり1980年代の朝日新聞の“論壇時評”はこのようにおもしろかった。
これが“おもしろくない”ひとは、ぼくとは趣味が合わないだけである。