ふぅ

2011年11月25日 | 日記
今日も二限から。
昨日なくした学生証が、ホントにないかどうか探し回ったら、一昨日はいていたズボンのポケットに入れっぱなしにしてあった。洗濯してしまって、裏面が殆ど解読不能に・・・。まぁ、大丈夫だろう。
この二限の授業は、実にいい加減である。「可御心安候」を「おんこころやすかるべくそうろう」と読んだら、違うと云われた。「心安」は、形容詞だと思うのだがね。また、教科書の誤読を見つけて然々、と訊いてみたら、僕には判らぬ、という始末。どうしたもんだか。

お昼はMで。段々込んできて、店員さんが困っていたので、移りましょうか、と合図する。そんなことで、途中で席を移動した。
三限は、先週のN氏の分を移したのと、桜散る氏の担当部の寄合書を読む予定であったが、N氏はすっぽかした上、寄合書の担当部もできて居らぬと云う為体。厳しめに言っておいた。この会、図書館でやっているのだが、裏白学生証でも入ることができたぞぃ。

四限の英語は、適当に済ませ、S先生の授業を受けているI女史に所用があって教室に行くと居なかったので、先生と世間話(?)をした。
五限の時間は、来週の調べ。当初予定していた内容は、段々厳しくなってきて、時間的にも間に合わなそうなので、同じ題目で通用する範囲内で微調整することになりそうだ(発表要旨を出さなくても良いのでこういうこともなんとかできるのである)。
六限は、I氏の発表を聞く。先々週のS氏と同じように、参考文献に振り回されており、どうでもよいようなものであった。というか、そもそも、参考文献自体が、江戸の国学の思いつきみたいな解釈に振り回されているどうでもよいものであったが。

その後、S氏と今週復帰した桜散る氏を引き連れてマックへ行って、なぜか私の政治論を演説してしまった。迷惑な先輩で済まぬ。

帰宅後、名将西本幸雄が逝ったと聞く。
西本氏は、昭和五四年の日本シリーズ、所謂「江夏の21球」の時の近鉄の監督。此の昭和五四年の日本シリーズ第七戦九回裏は、近鉄が、そして名将西本幸雄が最も日本一に近かったときである。私は、「江夏の21球」が日本球界の中でも、屈指の場面であると思うのである。