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優れたお米。(卑弥呼米を食べる)・・・古代国家を支えた米食文化。

2018年02月23日 21時40分16秒 | 日本の食文化
弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。  其の②

『豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり』と天照大御神みことのらせ給う。


2400年ほど前、北部九州に水稲耕作文化が伝来し、

そしてまたたくまに日本各地に拡がり、米食の時代に突入したのです。

縄文土器の表面にモミの痕がついたものがありますが、

しかしコメの出現で社会が変化した痕跡はない、また木製の農耕具もないのです。

やはり米食文化は弥生時代になってからなのです。

村人総出で開墾して、共同で水を引き、イネを育てる。

春に五穀の豊穣を祈り、秋の収穫のときには感謝する

このようななつかしい故郷の風景の誕生である。

弥生土器などの誕生により、焼いたりする以外に、

火で煮炊きしたり、蒸したりする調理方法、

食事方式の変化、食器、

煮炊き用の鍋に蓋が導入されコメを蒸す技術が進化していったのです。

近畿地方の縄文時代中期の人口が2800人だったのが、

弥生時代早期には10万830人に急増し、

コメは人口増加を支える大きな力であったのです。

コメによる農耕社会の誕生により

古代国家の形成に大きな役割を果たしたのです。

『魏志倭人伝』には邪馬台国には

租税をおさめるための建物があると伝えています。

『卑弥呼の館』には、中国からの贈り物以外に、

日本各地から集められた稲が入っていたのではなかと。


人類には穀物が最良である。

古今東西どこの国でも穀類を何千年もの間変わることなく、

最も重要な主食としてきたのです。

『釈尊』も肉類には毒性があるとして、

病気の時に薬として使う以外は肉食を禁じるなどして食事の戒律を定めた。

『孔子』も『肉多しといえども食気に勝たしめず』と戒めている。


『注』

    豊葦原の瑞穂の国・・・草々が豊かにしげり、瑞々しい稲が実る国。
                    美しい日本の国を讃えた『コトバ』。







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