夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
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人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

中(みなか)のこころ・・・(日本人の心)

2016年06月03日 21時33分59秒 | 日本の食文化
中(みなか)のこころ・・・(日本人の心)

山間部に住んでいる仲間が明日は朝から水田の『畦つくり』で忙しいので今日帰ると言い私と一緒に宿泊しないで帰ってきました。
山間部から田植えが始まり海辺の地区が最後の田植えになります。
農業の機械化が進んでいるのにもかかわらず、農作業が始まると経済活動、病院通い等が減少します。
以前は一族、親戚、同じ等総出で、田植え、稲刈り等の農作業には共同作業をして、学校も臨時休校になりました。
このような事が地域の連帯感、一体感を養いました。
背景に稲作が古代より日本国の重要な基幹産業でありました。
しかし時代の変遷により、外国から利便性のある食生活の文化が流入しました。
日本は穀物の原型を失わせ製粉にして食する文化は、飛鳥朝以前はあまり普及しませんでした。
そのうどんも飛鳥朝時代にまんじゅう、豆腐等は南北朝時代に中国から入ってきたもので、そうめんも帰化人によって伝承されました。それらは副食に値するものでした。
江戸の粋な心が生んだ『生(き)そば』は発酵を待たず、こねたものを延し、切って直ぐ茹でますが、
うどん、そうめん等は捏ねてからある時間(一晩等)ねせて発酵を待ってから延し、切って茹でます。
このように同じ麺類でも、江戸の『生そば』と、うどん、そうめん、外国のスパゲテイ等とは麺作りの考え方が大きく違います。
これは小麦粉を捏ねて発酵したものを焼いたパンにも言えることであります。
日本は米、麦等は精米して麦飯等のように原型に近い状態で食します。
これは懐石料理にも云えることですが、なるべく素材を捏ねまわさず、素材の純粋なるもの(中心)を顕して素朴な状態で食する考え方が日本古来の思想でありました。
純粋なる中心を大切にして、またその素材を極限まで簡素化した、日本画、浮世絵、生け花等の日本の伝統文化にも云えることでもあります。
これ等はヨーロッパの印象派の画家の人々にも多大な影響を与えました。
フランス料理にも日本の美的感覚は影響を与えました。
現代のフランス料理は日本特有の繊細な美しさに進歩しました。






中心帰一の精神を日本民族の伝統として

身土不二の立場から観るとき、われわれ日本人は、此の日本の国土の生命を享け、国土の生命をもつアイデアに導かれ、それを生活の様式に具体化しつつあるのである。
『中心帰一』という日本国民の本能的傾向は、国土の生命を享け、国土の生命が包有するアイデアがそこに住む国民の生命の傾向としてあらわれたものであって、それが『古事記』の冒頭に『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』を
宇宙の主神として挙げた国民の思想となってあらわれたし、さらにまた日本国創建の主神として、
太陽系の中心にある太陽の霊にましますところの天照大御神を神話の中に配した思想ともなった。














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