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高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)について・・・悠久の古代史

2019年03月21日 16時33分15秒 | 歴史
昨日は長崎市内でお話をさせて頂きました。

長崎の街は坂が多いので、家の近くには駐車がありません。

家を探し、石段を登っているうちに雨が降り出しました。

長崎市内はすり鉢の形をしていますので、

陽が落ちますと夜景が美しいです。

しかし高齢化で坂の上の高い処は

無人になり灯りが無くなってしまいました。




高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)について・・・悠久の古代史


延喜式に『高良玉垂神社』とあります。

福岡県久留米市の高良山の中腹に鎮座している大社。

『高良玉垂命』を主祭神として『八幡大神』を左相殿に『住吉大神』を右相殿に祀ってあります。

古くから朝廷の尊崇極めて篤く、

桓武天皇、嵯峨天皇、仁明天皇、文徳天皇、清和天皇、醍醐天皇等より神階を与えられています。



『高良玉垂命』は如何なる神であるかと云うことは古い時代から色々諸説があります。

その一つに

『竹内宿禰(たけうちすくね)』とし配神に『荒木田襲津彦(あらきだそつひこ)』を配祀とあり

また月天子とも神功皇后征韓の時の人『藤大臣(とうのおとど)』とも、藤大臣は『中臣烏賊津使主命(なかとみいかつのおのみこと)』とも、

藤大臣連保とも住吉明神の化身であるとも、物部氏の遠祖、『物部謄咋連』とも云う。

また『安曇連』の祖、綿津見神で、神功皇后征韓の時、

この神大いに武烈をはたらかせ汐干の珠、潮満の珠の如意宝珠の二珠を

神功皇后に授け新羅を順はしめた、この神は太古より筑紫地方に勢力があった故に此処に祀った。




別に同じ高良山の麓にも2003年に1900年御神期大祭を終えた

『大善寺玉垂宮』という古い神社があります。

祭神は、『玉垂命(藤大臣(とうのおとど)、高良大明神とも称す)』、『八幡大神』『住吉大神』が祀られています。

1600年程受継がれいる国の重要文化財である『鬼夜』という火祭りが毎年1月7日に行われています。



この他にも諸説ありますが


この高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)の正体は

古事記の(仲哀天皇)、日本書紀の神功皇后『気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)』にある神功皇后と御縁が深い神様と思われます。

『まぼろしの邪馬台国』で『宮崎康平』さんが古代の北九州の海抜を予測なさっています。

それによりますと高良山の麓は

1900年前の古代では博多湾と有明海が海水でつながる程

地盤が低かったのではないかと思えます。

また大善寺玉垂宮の神事の中に

現代では内陸部でありながら『お汐井汲みの神事』があります。

海の神である住吉大神、綿津見神、それを奉斎している海神族の藤大臣、安曇連、

また『古事記の仲哀紀』で登場する審神者(さにわ)の竹内宿禰、中臣烏賊津使主命、

神功皇后本人であるか、神功皇后に従軍した藤大臣(とうのおとど)、安曇連が有力ではないかと思われます。




四方の海 みなはらかと 思う世になど 波風の立ち さわぐらむ
                     明治天皇御製
  
明治天皇の御製を朗読され、昭和天皇が御前会議で戦争反対の意思を示されました。




全托の祈り・・・

この苦き盃を我より取り去り給え。

されど我が意をなさんとにはあらず、

御心の如くならしめ給え。


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