夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

夏草や 兵どもが 夢の跡・・・・・松尾芭蕉

2018年09月29日 12時56分24秒 | 歴史
先日1時間30分程離れた北有馬町へ出講に行きました。

近くには今、世界遺産に登録された原城跡などがあります。

この地域は35年程前に書籍、クラシック音楽、版画、掛軸等のギャラリーなどの販売をしていところです。

聞きますと以前ご縁があった原城などに詳しい郷土史の南有馬商工会の志岐さん達は既に亡くなられていました。

35年の月日を深く感じさせられました。

まるで35年の前のことが目の前に突然に顕われたようでありました。

訪れたお宅は幕府の息がかかった浄土宗のお宅でした。

何んと小さな町に大きな浄土宗の寺院が二箇所もあるそうです。

当時の幕府の強い意志が伺えられます。

『原城』の本城である北有馬町に在る『日野江城』跡は幕府側の城であり、

キリシタン弾圧とは関係が少ないということで世界遺産から外されたそうです。

支城の『原城』も本城の『日野江城』も『有馬貴純』が築いた城であります。

この島原の乱後に幕府は鎖国政策をおこない、

長崎の出島だけを外国の窓口にしました。

キリスト教徒及び百姓一揆の民衆と共に反旗の狼煙が上がり、

戦乱に明け暮れ此の地区は荒廃しました。

各地の地蔵菩薩の石塔の首のみが撥ねられました。

また多くの農民が失われました。

島原の乱の後には大掛かりの移民政策が行われ、

島原半島の北側、広義には半島の根元である諫早地区まで及びました。

移民の人達は四国、博多、柳川等幕府の息のかかった庄屋、農民達が配置換えとして此の地区に根付くことになります。

移民の人達の故郷の氏神である宮地嶽神社等の祭神が祀られることになります。

特に四国の移民の人達が多かったので、此の島原半島及び諫早の南の地区には

金比羅の元の祭神である出雲大社の『大国主大神』を祭神とした神社が多く見られます。


          

悲哀の奥には聖地がある。
       
オスカーワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde)


苦難の中を通過した人のみが、

真実に苦しんで人に愛と同情とを与える力が

其の魂の中に培われることになるのである。




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