夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

鶴和尚・・・・・むさぼりの心から放れよ

2017年04月16日 22時03分52秒 | 真理の言葉
鶴和尚

福徳薄くして、貪り、執着(自我)の心で善事を求めることは、その貪欲の心を映して却って足元をすくわれ、良い結果を招くことにはなりません。

鶴勒那(かくろくな)尊者は『いかなれば、わたしの身に、かくも多くの鶴が附いてまわるのでありましょうか』と魔拏羅(まるら)尊者に問うと
お前ははるかむかしの前の世においてすでに坊さんであった。
しかも非常に優れた得道の坊さんであった。
あるときお前は竜宮から招待を受けて出かけることになったのだ。
するとお前の弟子5百人が、われわれもとお前に随従したいと言い出した。

お前は最初、この弟子たちの願い出を許さなかった。
お前は言った『なんじらは、まだ仏法において未熟である。竜宮の大饗応につらなって大ご馳走を受ける資格も力量もまだ備えていない』と

しかし弟子の懇請に負けて竜宮の饗宴に参加させたが、いかにせん彼らの福がうすく、彼らの徳が軽かった。
それを押し切って竜宮の饗宴に参加した因縁により、5百人の弟子は羽毛を生じて鶴となり、
いまもなお生まれ変わり、死にかわりをして、なんじを慕うてなんじに附きまとうているのだ。

鶴勒那尊者は魔拏羅尊者について修行して悟りをひらき、無上の法を得た後、
5百の鶴を深くあわれみ、彼らを羽族の境遇から脱却せしめてやった。


注…釈迦牟尼佛から迦葉尊者、阿難陀尊者と数えて二十三代目が少年聖子と云われた
   鶴勒那尊者である。