夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

久遠は時の流れの中にあらず、久遠は即今にあり

2016年04月28日 21時50分24秒 | 真理の言葉
久遠は時の流れの中にあらず、久遠は即今にあり。

日時計主義と礼拝主義は車の両輪のようなものである。

今日は年二回の定期健康検診でした。
今回の内診の若い女医さんは、それぞれの検査の結果を見て、明るく爽やかに安心を得るようにと優しい説明して頂きました。
分かり易く、相手を納得させ明るく希望と安心が抱けるような説明はどのような職業にも必要な事と思えます。

太陽が分け隔てなく普く平等に温かい虹色の光を照らして輝くように、
世界の全ての地域に神の御心である慈しみのともし火を燈し、人と物と事との光明なるもののみを把持し,記憶する
日時計主義を掲げ、すべての人々と生きとし生けるものの尊い生命を唯ただ素直に合掌礼拝する礼拝主義を実践して
世界の人々を幸せの世界である、天国、極楽浄土へと・・・・・。



哲学の思索は間違うことがある。唯物論の次には唯心論が現れる。
思索というものはより多く頭脳的なものであり、論理的なものである。
それだけ人間には合理的に見えるけれども、哲学というものは、時代を超えることが出来ない。
合理は時代に即して合理だと思われるのである。時代に即しない合理は人から不合理だと思われる。
或る時代に合理的だと思われたものは、次の時代には不合理だと思われる。
人間の作った合理など決して当てにならないものである。