joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

日本1-4ブラジル

2006年06月23日 | 日記


今大会ではアルゼンチンの成熟度が話題になっていますが、今日の日本戦でブラジルは独特のコンビネーションを取り戻したと言えるでしょう。昨日の読売新聞で元ヴェルディ監督の李さんが「ブラジルの選手はつねに選択肢を三つ・四つもちながら、それを他の選手とコンビネーションさせる。しかし日本は一つの選択肢をもつのでアップアップだ」と言っていましたが、今日のブラジルはまさに各人が閃きでとっさの判断をしながら、にもかかわらず選手間で共通の意思を瞬時にテレパシーで打ち合わせたかのようなプレーを披露しました。これがブラジルなのでしょう。次のメキシコ戦でも今日の後半のようなプレーができれば、ブラジルはアルゼンチンと互角に闘えるチームになるのでしょう。

日本の一点目の失点は、まるで2002年大会のトルコ戦の失点のように、一瞬エアポケットに入ってディフェンスがボールウォッチャーになり、ロナウドをフリーにしました。この失点には論理的な理由があるのか、それとも日本の人に独特の集中力の欠如なのか、専門家の意見を聞きたいところです。

後半は日本の選手の終盤の足が止まってしまいましたが、それでも後ろまで下がってボールをもらい必死で組み立てをしようとした中田英寿が印象的でした。本調子ではない中村に対し、中田はいついかなる時でも精神力と体力を持続させて体を動かし、かつ論理的・効果的な動きを続けます。

昨日僕は中田の“キラーパス”が嫌いだったと書きましたが、彼が“キラーパス”をしていたのはフランス大会の予選までで、本大会ではむしろつなぎのパスを多用していました。

イタリアに渡って以降はますます崩しのパスは消え、シドニーオリンピック代表と合流した頃からは、すっかりチームリーダーとしてまわりとのバランスを考えるプレーに徹するようになりました。

元々“キラーパス”も中田なりの論理性から導かれたパスだったのでしょうが、一度回りの選手との連携も考えるようになると、“キラーパス”以上に全体最適化のプレーをするように彼の中ではスイッチを切り替えるようになったのでしょう。

中田が本当にチームリーダーとして日本代表の顔となったのは、シドニーオリンピック予選の頃からだったような印象があります。

ただ、中盤での地道なつなぎのパスや、少し後ろ目から攻撃の起点・連携の起点となるボール回しをするようになってからは、素人の僕には中田の良さというのはわかりにくくになりました。テレビのカメラはどうしてもボールホルダーを中心とした画面になるし、その画面では後ろでのパス回しの起点や忠実な守備を理解するのは難しいと思うのです。

しかし、それでも今日のブラジル戦などは、明らかに周りが足が止まっている中で、それでも懸命かつ論理的・効果的なボール回しのために走る中田英は目立っていました。いついつかなる時でも気持ちを切らさない彼のサッカーへの情熱がそこにはあるように感じました。


涼風

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