joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

2006年04月08日 | 日記
今日、県立図書館のある明石城公園に行くと花見客で一杯でした。

たしかに桜は満開なのだけど、天気は曇りだし風がきついし、あまりいいお花見日和ではなかったみたい。

今年はこのまま桜の季節が過ぎ去るのかな。こっちで満開になる前にトウキョウ在住の人のブログで桜満開の写真を見たりしたけど、少なくとも神戸方面ではあまり桜に恵まれなかった年かもしれない。正確には、桜を見るのにいい天気には恵まれなかったというか。

桜の写真というのはなんだか気恥ずかしくて撮る気にはなりませんでした。まぁ、歩いていていつもデジカメを構えるのが面倒というのもあるのですが。でもこれは、太宰治が『富岳百景』の中で真正面から見る富士山は見ていて恥ずかしいというのと同じなのかもしれない。絵になりすぎるのも、という感じなのです。

桜というのは日本特有と思いがちだけど、じつはアメリカでもよく見られるみたいです。その割には写真や映画で桜を見たことはありません。例えば秋のニューヨークやワシントンやボストン(かどこかは分からないけど)の銀杏(らしきもの)はよく見るのに桜は見たことがない。なぜだろう。要するに、アメリカの人は桜に何も感じないということなのかな。

桜が日本の名物なのではなく、桜を綺麗だと思う感性が名物なのかな。


この明石城公園というのは、すごく「昭和」の香りのする公園です。緑が多く,それも綺麗に整えられていて憩うにはいいように一見感じるし、たしかにいい雰囲気を持っているのですが、その根底(?)にとても退屈と倦怠の感覚が漂っています。

その倦怠感の漂う公園であるのに、それに加えて今日は曇りで、おまけに家族連れやらグループやらがものすごく沢山来て「お花見」をして、つまりビニールやらを広げて食べたり飲んだりしゃべったりしています。すれ違う人の中には顔がお酒を飲んだときの真っ赤な顔をしています。

なんだかそうした光景で、そこは公園というより、なんだか「無礼講で騒ぎまくる野蛮な群れ」に見えました。

それは僕の(まるでアメリカの中西部の中で一人だけイギリス英語を話すような)貴族主義的な感性のせいなのだと思います。

涼風

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