アメリカの建築家ルイス・カーンの設計した住宅の写真を収めた『Louis I.Kahn Houses―ルイス・カーンの全住宅:1940‐1974』を観ました。
いつものように解説はまったく読まずに写真だけを眺めていたのですが、これはとても面白い写真集です。ルイス・カーンという人の設計した家もいいし、それを撮った写真もとてもいい具合なんです。
以前紹介したフランク・ロイド・ライトの設計した住宅(『巨匠フランク・ロイド・ライト』)もそうですが、カーン設計の住宅も、森と森の間にある平地に一つポツンとした感じで建てられています。そんな贅沢な土地の使い方をしているのは、おそらくお金持ちからの依頼で家を建てたからなのでしょう。
ただ、実際の大きさはもちろんわからないけれど、ロイド・ライトの住宅よりもカーンの方がより小じんまりとした印象を与えます。カーンの家というのは、“ボックス”という感じですね。
ただ“ボックス”とは言っても、安っぽい感覚はまったくなく、なにか“とてもとても大切な箱”という感じです。
本当に“高級”な家というのは、私たちが想像するような高級感とは無縁なのかもしれない。カーン設計の家も、高級感は感じない。
なんだろう?とても丁寧に作られた感じがする。カーンの家には、余分な濁った感情が感じられません。作り手の余計な思い入れがないのです。いや、思い入れはあるのです。しかしその思い入れに濁った感情が含まれていないのです。どんなに高級な素材やインテリアを使っていたとしても、そんな“高級感”は感じさせない。
カーンという人は、設計段階にはいるや否や、日常の感情から解き放たれて、とても透明な意識とでも呼ぶべき領域に入っていたのではないだろうか?
カーンの住宅写真を見ていると、彼が設計を愛し、家を愛していたのは伝わってきます。しかし、その愛は、とてもニュートラルなものです。ただ事物そのものへの愛情であり、そこに個人の感情や思想は含まれていないのです。
自然としての自然、木として木、土としての土、葉っぱとしての葉っぱ、空としての空がそこにあり、その中に家としての家がある。カーンの家はそんな感じです。そこに「住む人のための」とか「自然と調和した」などという言葉は似合いません。カーンの家は、木や土がそきにあるように、家もただそこにあるのです。
そこに家があるべきなのか?そこにある家はどういう形であるべきなのか?こういった問いは、カーンの住宅に関しては無縁のように思います。カーンの家がそこに出現した途端に、その家はただそこにあるからあるのだ、ということになります。
何が彼の家をしてそのような存在たらしめているのでしょうか?すぐには思い浮かびません。それは、カーンの設計が、私の安易な思い込みを受け付けないからのように思います。
アマゾンのレビューも絶賛が続いています。興味のある方はぜひ手に取ってみてください。
Louis I.Kahn Houses―ルイス・カーンの全住宅:1940‐1974TOTO出版このアイテムの詳細を見る |