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「夕暮れのナンキンハゼと街燈」
「コミットメントとは、自らを100%与える選択のことです。人によってはコミットメントを投獄か何かのように感じる人もいますが、本当はその反対で、私たちを自由にするために何が重要で本質なのかにフォーカスするのがコミットメントです。
コミットメントの度合いは、私たちの人生がどれだけ簡単で真実であるかの度合いでもあります」(“100 Healing principles” チャック スペザーノ (著))
結婚にコミットするとは、たとえば浮気をしている配偶者を許すということなのだろうか?食器洗いや掃除を全くしない配偶者を許すということなのだろうか?
仕事・職場にコミットするとは、見返りには関係なく、やっている活動それ自体に献身することなのだろうか?どれだけ“搾取”されていても。
コミットメントは、「何が正しいのか?」「何が善で何が悪なのか?」を考えることをやめることを意味する。ただその場や活動に自分のみを投げ出し、結果は起きるがままに任せる。
うーん。
ある状況にいて、その場にい続けてコミットするという場合と、より高い価値・目標にコミットするからこそ、その場から去るという場合の両方があるかもしれません。自分の人生を大切にするという価値にコミットするからこそ、家庭内虐待をする配偶者から決然と去る人もいるのでしょう。
その場にい続けるのがコミットなのか、去るのがコミットなのか、人によっては違うし、その人にとって何がコミットなのかは最終的にはその人にしか分からないように思えます。
そこで、どれだけ自分に正直でいられるか、難しいですね。
ただ、いかなるときにも、罪悪感や犠牲心、あるいは期待や羨望から行動の選択肢を選ぶことは、よくないのだと思います。
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